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 ありがとう



「鴛鴦夫婦だねえ」
 と、近頃よく言われる。満更でもない気分になるおれの隣で、真魚はいつも顔を真っ赤にして、ひとりぼそぼそと言い訳がましいことを呟いている。
 そうやって真魚が恥じらいを見せるようにまでなったことが、おれはほんの少しこそばゆい。

 五百年の時を生きてきたおれにとって、はじめのうちは、真魚は庇護の対象のようなものでしかなかった。親鳥がか弱い雛鳥を守ってやるのと同じだ。
 いつか人魚たちにその肉を捧げるためだけに、蝶よ花よと育てられた少女。このお姫様は、足枷を嵌められ、世界から徹底的に隔絶され、鳥籠の中に閉じ込められて生きてきた。
 巣の外の世界を何ひとつ知らない雛鳥を外敵から庇護する親鳥のように、おれはそんな真魚に甲斐甲斐しく世話を焼いてやった。
 真魚は、おれの心配をよそに、驚くほどしっかりと外の世界に順応していった。
 かつてのおれがそうしてきたように、普通の人間として生きてゆくことのできない不運を嘆き、悲嘆にくれることも無い。
 人々と触れ合うことを怖れたり、いとったりすることも無い。むしろ積極的に人々と関わろうとする。
 真魚は、孤独の殻に閉じこもるような女ではないのだろう。
 外の世界と向き合って生きて行こうとするその勇姿に、おれは深く感銘を受けざるを得なかった。
 
 人魚の肉を喰って、望んでもいない不老長寿を得たもの同士。流転する世界の爪はじきもの同士。
 真魚とはこの連帯感でつながっている。
 真魚がいなくなれば、おれは独りだ。そしておれがいなくなれば、真魚は独りだ。そうやって互いに依存し合うおれたち。
 ずっとそんな存在を探していた。有限の時を気にせずに、心から依存し合える相手を求めていた。無限の時を、流転する世界を何百年もさすらいながら。
 真魚を見つけた時には、長い孤独から解放される喜びに心が震えた。我儘で高飛車なお姫様は、すぐにおれにとってかけがえのない存在になった。
 その芯の強さに惹かれていくうちに、思い知った。親鳥でいたつもりのおれと、いつしか真魚が横で堂々と肩を並べていたことを。
 そしてそのことを知った時から、真魚は庇護の対象ではなくなった。
 おそらく真魚も、そのことを漠然と感じ取っていたのではないかと思う。

 真魚との間には、男女間の愛情とか、そういう類の感情を越えたつながりがあると信じている。けれど、ふとしたことで互いに対して恥じらいを感じるようになった時、愛情もやはりひとつの結びつきであることを知った。
 最近など、野宿をするときに気まずくなることが時々ある。例えば着替えをするとき。少し前までは平気であられもない姿をさらしていた真魚が、木陰にいそいそと身を隠すようになった。
 長きを生きてきたおれは、それなりに女を知っている。けれど近頃は、真魚と接するときに、ほんの少し緊張する時がある。まるで初恋をしている少年のように。



 食堂からの帰り、真魚が寒さで悴む両手を擦りながら呟いた。
「……私と湧太が鴛鴦夫婦、だって。あのおばさん、本気で言ったんだろうか。湧太はどう思う?」
 切れ長の目の上で、日本人形のように切り揃えられた前髪が少し揺れる。
 ガウンのポケットに手を突っ込んだまま、おれは照れ隠しのように少しだけ笑った。
「ま、はたから見れば仲良し夫婦ってことなんだろうよ。おれは悪くねえと思うけど?」
「ふ、夫婦……」
 真魚がぎくしゃくと変な動きで、早足に歩き出す。
 おれは足並みを合わせながら、一歩先ゆくその背に投げ掛けた。
「なあ、真魚。いっそのこと、本当に夫婦になっちまうか?」
 ブーツのヒールを側溝に引っ掛けて、真魚は前につんのめった。間一髪のところで電柱に手を付いて、恨みがましい目でこっちを見る。
「おいおい、美人が台無しだな」
 からかい半分、本音半分にそう言ってやった。真魚の顔がみるみる染まっていく。
「冗談でもそんなこと言うな!」
「あー、どっちのことだ?夫婦のことか?それとも美人って言ったことか?」
「どっちもだ、バカっ!」
 肩を怒らせて真魚は言う。
「まあまあ、そう怒るなって」
 宥めるように笑いながら、おれは横手に見えるコンビニを指差した。
「ほら、あそこで肉まん買ってやるから」
「本当か!?」
 単純な真魚はすぐに怒りを忘れて、満面に喜色を浮かべた。食堂で十分に腹ごしらえしたはずなのに、まだ食べる気らしい。
 こうしていると、自分たちが不老不死だということを忘れてしまいそうだ。不老不死だろうがなんだろうが、腹は減る。寒ければコンビニに立ち寄って、温かい肉まんのひとつも食べたくなる。
 ──おれは生きているんだな、と思った。止まっているようでいて、それでも時は確実に流れている。
 そう思えることが、嬉しかった。そして、そう思わせてくれる真魚に、心の中でそっとありがとうを言った。





end.


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