行き触れ  - Chapter 8 -



 カラスを追う魂子は地獄へ入場し、悪魔や鬼が住んでいる区域を訪れた。どこか懐かしげな昭和レトロな街並みを過ぎると、いわゆる高級住宅街に差し掛かる。それまではひなびた家屋が延々と連なっていたが、そのあたりはモダンであったり豪奢な西洋建築が堂々と立ち並んでいた。悪魔や鬼の社会にも当然貧富の差はあり、それは住宅などの生活様式に如実に表れるということだ。この界隈は、階層のトップに位置する者達が住んでいるにちがいない。
 そんな高級住宅街の中でも、ひときわ優雅なロココ調の屋敷が魂子の目をひいた。白亜の屋敷の前に構えられた門は、金でつくられた豪華なものだった。なんという羽振りの良さだろう。つい見とれていると、その門に向かって、彼女が追いかけていたカラスが滑るように飛んでいった。魂子がそのあとに続くと、門は待ち構えていたかのように、自動的に開いて彼女を招じ入れた。
 カラスが低空飛行を始めると、魂子は地へ降り立って歩くことにした。玄関に続く小道は美しい薔薇園に縁どられ、左右どちらを見ても色とりどりの薔薇が咲き乱れている。薔薇の中には小さな噴水もあった。白亜の天使が捧げ持つ壺からこぼれ落ちる水が、さらさらと穏やかな音を立てている。悪魔の家で天使のレプリカにお目にかかれるとは、すこし滑稽だ。この屋敷の主は、楽園、あるいは天国を模倣したつもりなのかもしれない。まがまがしい髑髏のオブジェが入口に吊るされてさえいなければ、そこが地獄だということをつい忘れてしまいそうだった。
 ノックをすると、がちゃりと音を立ててひとりでに鍵が開いた。サタンやコウモリといった毒々しい細工が施された扉を押し開けて、魂子は悪魔の屋敷へ足を踏み入れる。
おびただしい邪気が、捌け口を求めてなかから溢れ出した。歩みを進めるごとに鎌で浄化しながら、魂子は顔をしかめる。なんという邪気だろう。こんな邪気に満ちた世界は、楽園とも天国とも程遠い。ここはやはり地獄だ。罪を贖う魂たちが、救済をもとめてもがき苦しむ奈落の底だ。
魂子は足早に螺旋階段を下っていく。地下に行き着くと、視界の先には薄暗く長い廊下があった。カラスは滑るようにその先へと飛んでいく。追いかけていくと、ぼんやりと明かりが見えた。カラスの羽ばたきがぱたりと止んだ。
「ご苦労。もう行っていいよ」
 悪魔の指先に止まったカラスが鳴き声を上げ、魂子の側を飛び去っていった。
「使いをよこしたのは、あなたね」
魂子は悪魔と向き合う。
「お察しの通りです、りんねくんのおばあさん。僕は悪魔、魔狭人と言います」
 不敵な笑みを浮かべつつ、魔狭人は形ばかり頭を下げた。おばあさんという呼称を毛嫌いしている魂子だったが、それを咎めることはしなかった。
「りんねが悪霊に憑かれたって聞いたけど、本当なの?」
「はい」
「で、あの子はどこにいるの?」
「ここにいますよ、この中に」
 背をもたれている扉をコンコンとノックしながら、悪魔は気軽な口調で言う。そんな彼を押し退けて扉をこじ開けようかと考えていた魂子だったが、不意に誰かがその袖を引いた。
「──桜ちゃん?」
 魂子は仰天して、孫の同級生を見つめた。目が合うと、桜はぺこりと頭を下げる。生身の人間である彼女がこんなところにいるとは予想外のことで、魂子の表情がますます険しくなった。
「そうか、あなたも巻き込まれちゃったのね。でもこれ以上、ここにはいない方がいいわ。悪霊の邪気が充満してるから、桜ちゃんには危険かもしれない」
「……」
「りんねのことなら私に任せて。後から六文が来るから、一刻も早く現世に、……桜ちゃん?」
 魂子は眉根を寄せて、桜の肩を掴んだ。彼女は口を動かして、確かに何かを伝えようとしているのだが、そこから音が出てこない。
「どうしたの?ねえ、喋れないの?」
「──」
「ああ、なんてこと」
 邪気にあてられたのかもしれない。無理もない、百戦錬磨の強者である魂子ですら、気分のいいものではないのだ。
「本当にごめんなさいね、こんなことに巻き込んでしまって──。ここを出たら、すぐに治してあげるわ。出店に寄って、身体の中に充満した邪気をはき出す薬を買ってあげる。それを飲めば、すぐに良くなるはずだから」
「薬なんかじゃ、その子の声は戻らない」
 敬語をかなぐり捨てたぶっきらぼうな声で、魔狭人が割り入った。
魂子は横目で睨み付ける。
「それはどういう意味かしら?」
「そいつは僕と契約したのさ。死神界に使いを出す代わりに、僕はその子の声をいただいた」
 魂子は絶句した。鎌を掴む手がわなわなと震え、今にも魔狭人に襲いかかるかのようだった。
「よくも、この子を巻き込んでくれたわね」
 心外だ、と言いたげに魔狭人は肩を竦める。
「僕を責めるのは見当違いだ。契約を強いちゃいないし、選択の余地だって与えた。それでもその子は、契約することを選んだんだ。対価をとられるのを承知でね。同意の上で結んだ契約に、なぜ他人から口をはさまれなきゃいけない?」
 もっともらしい反論だった。魂子は口惜しげに唇を噛み、桜に向き直る。
「桜ちゃん、悪魔は信用ならないのよ。私達死神とは違うの。狡猾で、残忍。他人を貶めることを何とも思わないのよ。りんねのためとはいえ、悪魔と取引するなんて無茶だわ」
 出掛けに翼にも同じようなことを言われたのを思い出し、桜は心の中で二人にそっと、ごめんなさいとつぶやいた。けれど桜は、決して魔狭人を信用したわけではない。ただ魂子を呼びたい一心で、そのためには手段を選ばなかっただけだ。あくまでも、複雑な状況を楽しみたい魔狭人と、どうあってもりんねを助けたい彼女との利害が一致した、ただそれだけのこと。逆に何の見返りも求めずに魔狭人が手を差し伸べてきていたなら、桜は決して彼に頼み事などしなかっただろう。何かを得るためには、何かしらの損をすることになると決まっている。
──でも私、後悔してません。
 桜の呟きは声にはならなかったが、かたくななその表情から伝わったのかもしれない。魂子は困ったような、それでいてこそばゆいような、複雑な笑みを浮かべた。
「好きな子から、こんなに身を尽くしてもらえるなんて。うちの孫ったら、果報者ねえ」
 その言葉に、魔狭人は興味深いことを聞いたというように片眉を上げてみせる。かたわらで、桜がほんの少し目を見開いて、それから戸惑ったような笑みをちらつかせた。





To be continued


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