行き触れ  - Chapter 1 -


「六道、六道りんね。……なんだ、六道は今日も欠席か?」
 出席簿を見下ろしながら、担任教師が呆れた口調で言う。一年四組の教室のあちらこちらで、囁き合う声がさわさわとさざなみのように広がった。
「六道くん、どうしたのかな?もう、一週間も学校来てないけど」
 隣の席のミホがそう問いかける声が、周囲の囁きの合間を縫って桜の耳に届いた。右隣のぽつんと空いた席を、横目に見遣る。
「──借金苦でとうとう学校に来られなくなったとか?」
「それか夜逃げしたとかじゃない?」
「まさか、飢え死にしてたりしないよな?」
 りんねの不在に関する無遠慮な憶測が、教室のあちこちで飛び交っている。とはいえそのどれもが「ありえない」とは言い切れないものだった。黙って隣の空いた席を見つめている親友に、ミホは再び話しかける。
「もしかして、具合悪くて寝込んでるのかな。桜ちゃん、会ってないの?」
「うん──。というか、先週から全然見かけてないし」
「そうなんだ。──心配だね、どうしちゃったんだろう。このまま学校に来なくなる、なんてことにならなければいいけど」
 ミホが気遣わしげに言った。うわの空で相槌を打つその横顔を、後ろの方の席から翼が心配そうに見つめていたが、物思いにふける桜が気付くことはなかった。
 放課後、校舎に隣接する廃屋寸前のクラブ棟を訪れる桜の姿があった。階段をのぼってすぐ手前にある部屋のドアを、数回ノックする。
「六道くん、いないの?」
 声を張り上げて呼びかけるが、ドアの向こうから返答はない。桜はドアノブに手をかけて回した。鍵がかかっていないので何の抵抗もなく開き、いともたやすく彼女を中に入れてくれた。
「……六道くん?」
 ゆっくりと、錆び付いた音を立ててドアが開く。明かりのない部屋の中に一筋の光が差し込んだ。年月を経てひび割れた壁、ダンボール箱いっぱいにつめられた造花の薔薇、空っぽの缶詰に立つ燃え尽きて縮まった蝋燭。見馴れた景色だが、決定的に足りないものがある。──六道くん、ともう一度桜は呼んだ。あるじが不在の部屋に、答える声のない呼びかけがぽつんと響いた。
落胆を隠そうともせず、小さく溜息をつく桜。りんねが欠席するようになって一週間。こうして毎日放課後になるとここに通いつめている。けれど待てど暮らせど部屋はもぬけの殻のまま、あの同級生は一向にここに戻って来る気配がない。
「どこ行っちゃったのよ、六道くん」
 私に何の相談もなしに。
非難めいた口調でそう付け足しかけたが、それは胸の裡で呟くにとどめた。しずかにドアを閉めて、桜は再び息をつく。
「やっぱり、六道は帰っていないのか」
 突然頭上から声が降りそそぎ、桜は驚いて振り返った。いつの間にか、もう一人の同級生である十文字翼が背後に立っていた。ポケットに手を突っ込み、眉間にしわを寄せて閉じられたドアを睨みつけている。
「本当に夜逃げでもしたのか?あいつ」
「まさか。さすがにそれはないよ」
 苦笑いを浮かべながら桜が言うと、翼は小さく舌打ちし、切れ長の瞳をますます細めた。耳元で小さな耳飾りが小さく揺れる。
「あいつ、真宮さんを心配させるような真似しやがって。借金苦で蒸発するのは勝手だが、その前に俺達に一言くらいあってもいいだろうに」
「翼くん、まだ蒸発したって決まったわけじゃ」
なだめるように桜が言った時、翼ははたと険しい視線を背後に向けた。どうしたの、と桜が問うよりも先に、彼女を背に隠す。上着のポケットに手を突っ込んで、聖灰玉を取り出した。
「そこでこそこそ覗き見してるのは、誰だ!」
 威嚇するような声で宙に向けて言葉をぶつけると、手にしていた聖灰玉を放った。球状の入れ物が中空で二つに割れて、灰が辺りに撒き散らされた。桜をかばいながら、辺りをきょろきょろと見渡していると、バサッと翼が空を切る音が聞こえた。灰が煙になってもうもうと立ちこめる中、黒いシルエットがぼんやりと浮かび上がった。
「前にも言わなかったか?そんな聖灰、僕には効かない。祓えるのはせいぜい下級霊くらいのものさ」
 煙の中から声の主が姿をあらわした。一見すると物腰柔らかそうな人外の青年が、漆黒の翼を悠々と伸ばして中空に浮かんでいた。仕立てのよいタキシードに身を包み、紳士然とした面に余裕ある微笑みを浮かべている。自らを誰よりも心の狭い男と称する、悪魔・魔狭人だ。
「悪魔が一体何の用だ!」
 仕事を軽んじられたことに激昂して翼が吠え立てる。猫のような悪魔の瞳が、うるさい番犬を見る目付きで一蹴した。
「お前に用があって来たわけじゃない、十文字」
「なんだとっ?」
「僕はりんねくんのことで──」
「六道くんなら、ここにはいないよ」
 すかさず、翼の背から桜が言い放った。おや、と小首を傾げて魔狭人は彼女に視線を移す。
「六道くん、ここ一週間姿が見当たらないの。学校休んでるし、ここには帰ってないみたいだし」
「知ってる」
 あっさりと白状する魔狭人に、翼と桜は思わず目をみはった。その反応が心地良いのか、悪魔の青年は八重歯をちらりと覗かせて、不敵にほほ笑む。
「魔狭人くん。どうして、あなたがそのことを知ってるの。──あなたが六道くんに何かしたの?」
 眉をひそめて慎重に桜が訊ねる。そこに静かな怒りがこめられているのを察した魔狭人は、心外だというように肩を竦めた。
「僕はりんねくんのためを思って、こうしてわざわざ訪ねて来てやったんだけどな」
「どういうこと?」
 疑わしげな桜の眼差しにクスリと笑みをこぼす。それから急に真顔になり、悪魔は囁いた。
「真宮桜。僕はお前に用があって来た。僕と一緒に、地獄に来ないか?」
「地獄に?」
 悪魔の笑みがさらに深まった。
「そこに、りんねくんもいるよ」






To be continued


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