命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも - 12 - | ナノ

命をし全くしあらば球衣のありて後にも逢はざらめやも 12


 池にかかる赤い太鼓橋の真ん中に、犬夜叉、黄金、白銀の三人は揃って佇んでいた。
 払暁を間近に控え、東の方角からは白い明かりが溢れ始めている。衣の袖で顔に降りかかる光をよけながら、犬夜叉はぽつりとつぶやいた。
「……俺は、かごめの魂がほしいのかもしれない」
 池の水面に悠然と浮かぶ白蓮の群れを見下ろしながら、犬夜叉は嘆息する。戯れにかごめの胸元に耳を寄せていた時のことを思い返して、顔に翳りを落とした。
「初めて座敷に呼んだ時から、やけにあいつの心臓の音が気になって仕方なかったんだが…それは俺自身が、かごめの魂を無意識に欲してたからじゃないのか」
 お前達なら知っているんだろう、と言いたげな口振りで犬夜叉は訊いた。刹那、金色の鯉が池の中から飛び跳ねる。三人の視線が同時に一点へと集まった。
 水飛沫の音が消えると、今度は白銀が口火を切った。
「ええ、そうかもしれませんね」
 簡潔な答えだった。ああ、やっぱりそうなのか。どこかで否定して欲しいと願っていた自分が滑稽に思えた。犬夜叉は赤い欄干に手をついて、自嘲気味の笑いをこぼす。
「ふっ…惚れた女の魂をとって食おうとしていたのか、俺は。随分と落ちぶれたもんだ」
 それから額を押さえて、柳眉を寄せた。
「ご気分が優れないので?」
 黄金が犬夜叉の顔を横から覗き込みながら訊いた。犬夜叉は青い顔をしながら「平気だ」と虚勢を張る。
「近頃狗魂を召されていらっしゃらぬゆえでしょう。丁度、また新たな救われぬ魂たちが寄り集まってきていたところです。座敷にお戻りになり次第、用意させます」
 微笑みながら言う黄金に、犬夜叉はまた瞳を曇らせた。
「……いや、俺はもう魂は要らない」
「は?」
 黄金は虚を衝かれた様子だった。金色の髪を朝方の微風に揺らして、目を瞠っている。傍らでは白銀が片眉を微かにつり上げた。
「どういう意味です?犬夜叉様」
「言った通りの意味だ。魂なんざ、もう金輪際口にしない。人間の魂だろうが犬の魂だろうが同じだ。自分を見失うのはもう真っ平だしな。あいつを……」
 欄干に置いた手で拳を握り、犬夜叉は白銀を強い眼差しで見据えた。
「かごめを、もう二度と忘れないためにも」
 ぴちゃん、と音を立てて池から錦鯉が飛び上がった。

 朝餉をとり終えたかごめは気分転換に庭へ出てみた。幾日もの間明かりの乏しい犬夜叉の座敷に篭っていたため、太陽の燦然とした光が目に眩しかった。
 広い庭には山桜桃や紅梅の木々が並んでいた。同時に紫陽花、向日葵、椿といった季節外れの花も咲き乱れている。四つの季節を同時に見ているかのような心持がした。華やかで美麗な光景ではあるのだが、時の流れが定まっていないかのようなその光景が、かごめには少し不思議に思えた。
 池にかかる太鼓橋を渡ったり、枯山水を眺めたり、暇に任せて散策しているうちに、屋敷の玄関口に行き当たった。そろそろ犬夜叉の眠る座敷に戻ろうかな、と思いながら、かごめは暖簾に手を掛けた。
 その時、背後に何かの気配を感じた。人の気配ではなかった。彼女は思わず、背筋をぴんと伸ばす。
 早鐘を打つ心臓を服の上から抑えながら、かごめは恐々と後ろを振り返った。黄金と白銀がはっている鳥居の結界が揺らいで、宙を漂う青白い鬼火のようなものが透けて見えた。門番の狛犬たち、すなわち黄金と白銀が、いない。
 一人であることも災いして、すっかり肝が冷えた。かごめは、見なかったことにしようと心に決め、冷や汗をかきながら屋敷に逃げ込もうとした。
「──待ってくれ、かごめっ!」
 今度こそ、かごめは悲鳴を上げた。鬼火が喋った。私の名を呼んだ。そもそも何で私の名を知ってるの。鬼火に友達なんていないのに。
 混乱しながらも、ぎこちない動作で、かごめは今一度鳥居を振り返った。
 そしてはたと気付く。その鬼火が、やけに懐かしく思えるような気がすることに。
「まさか…」
 青白い鬼火は盛んに燃え上がり、やがてひとりの青年の姿を形作った。
 長い栗毛色の髪を靡かせて、三つに割れた尻尾を携えた、結界の向こう側の妖かしの青年は、紛れも無くかつて共に旅をした仲間の一人だった。
 かごめは口元を手で覆い、信じられないものを見る目付きで彼を見遣った。
「う、うそっ……七宝ちゃんなの?」
 しかし、再会の喜びを分かち合う余裕すらないというように、七宝は翡翠の瞳を険しくさせながら、鋭い声を発した。
「かごめ、一刻も早くここを出るんじゃ!ここにいてはいかん──!」
 


To be continued 

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