愛の妙薬 Act.1



 いつも通りの遣り取りのはずだった。何の変哲もない小競り合いのはずだった。もう馴れているはずだった──あんな目で見られることは。
 それなのに、心がひどく軋んで悲鳴を上げている。

「グレンジャー、少しは黙っていられないのかい?授業中に君がしつこく先生に質問するものだから、いちいち鬱陶しくて堪らないよ」
「何よ、マルフォイ。あなたに関係ないでしょう」
「大いに関係あるね。僕が迷惑しているんだから。君みたいな『穢れた血』のせいで」
「……」
 何度も何度も口にして擦り切れてしまったかのような言葉。ひどく傷付けると分かっているのに、勝手に口から飛び出してしまう。
 本当はそんなことを言いたいわけじゃないのに。例え叶わないとしても、いつも彼女の傍に居る彼等のように、ただ普通に、他愛も無い会話が出来ればそれでいいと思うのに。
 何よりも先走るのはくだらない自尊心。そして、一度言ってしまったことは取り消せないのだという、ある種の諦念。

 ──この、穢れた血め。
 初めて彼女を罵倒しその心を踏み躙ったあの時の自分が、褪せない記憶の中で残酷に嘲笑う。
 あの頃はまだ何も知らなかった。気付いていなかった。なぜ彼女を放っておくことが出来ず、一々突っかかることしか出来なかったのかなど。
 あのまま、気付かなければよかったのかもしれない。傲慢で残酷なままの自分でいられたなら。踏み躙った心に目すらくれることのない無知な自分のままだったなら。
「……いい加減にしろ、マルフォイ!」
「お前は最低の奴だな。どうせ、ハーマイオニーがお前より優秀だから妬いてるんだろう!」
 彼女の親友たちが俯いてしまった彼女を庇うように吠え立てる。
 ──妬いている。僕が彼女に。とんだお門違いだ。むしろ僕はお前達が羨ましいよ。
 揃って彼女の騎士(ナイト)気取りかい。本当に、嫉ましくて笑えてくる。
「おい、何が可笑しい。何とか言えよマルフォイ!」
「……ロン、やめて。もういいの」
 妙に静かなグレンジャーの声が、一触即発の空気に割って入った。
 杖をこちらに向けて構えるウィーズリーの影から進み出た彼女に視線を向ける。
「これ以上、私のためにこんな奴と言い争わなくていいから。後からスネイプに減点されて損をするのは私達の方よ」
 彼女の声はこれまでにないほど冷ややかだった。向けられる視線も、まるで冬に湖面を覆い尽くす氷のように、芯まで突き刺すように冷たく。
「私なら大丈夫。これからは、もうこんな奴の言葉にいちいち傷付かないわ。──あなたなんて、空気だとでも思ってしまえばいいのよ」
 ──空気。
 そう言ってのけた彼女のまなざしは既に冷ややかではなかった。むしろ零下の温度すら通り越し、すべてを欠いてしまっていた。
 そこには何の感情も無い。
 そして僕は悟った。
 自分が彼女の心を踏み躙ることに馴れてしまったと同じで、彼女もまた、心を踏み躙られることに馴れてしまったのだと。
 見詰めてくる瞳には何も無かった。憤りも哀しみも無く、唯々「無」でしかない。空虚なまなざしが心を真っ直ぐに貫いた。
「あなたも、私のことなんて、そこら辺に漂ってる空気だとでも思ってちょうだい。これからは、なるべくあなたに迷惑かけないように努力するわ。──それで満足かしら?」
 淡々とした一定調子の声色でグレンジャーは言う。僕は肯定も否定も何も出来ずにただ、その虚しいまなざしを受けて茫然と立ち竦んだ。
「……もう私に構わないで」
 踵を返し、ローブを翻しながら早足で去っていく彼女を、ポッター達が慌てて追いかけていった。
 ──多分僕が一番恐れていたのは、この瞬間だったのだろうと思う。
 僕の方が半ば無理矢理につないできた歪んだ繋がりを、いつか断ち切られるその瞬間。罵倒することで存在を主張してきた僕に、いつかグレンジャーが何の反応も見せなくなる瞬間。
 そして彼女が僕に対する一切の感情を欠くその瞬間。
 長い廊下を渡り遠ざかっていく彼女の背が、ぼんやりと歪んで見えた。




To be continued


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