トンネルの向こう


 学校が終わると、その場所へやってくるのが、あの日からの千尋の日課になっていた。学生鞄を苔むした石像のそばに置く。そして森の奥にたたずむそのトンネルを、今日も千尋は躊躇いなく進んでいく。
 規則正しい足音が闇の中に響いた。一歩踏みしめるごとに高まっていく胸の鼓動を、千尋は感じる。迷い込んだあの日のように、誘(いざな)われるように奥へと吸い込まれ、彼女の背を押す風が吹いてくれることを願った。
 ──今日こそ通り抜けられるような気がする。
 それは確信というより、願望に近かった。
 逢魔が刻になると、褪せない記憶を抱きながら、心にしかと「彼」の姿を思い描いて、幼い日に見た御伽噺の続きを探そうと日々森を訪れる千尋。
 何かに憑かれたようなそんな娘の姿を、両親は不安がった。自分たちを「神隠し」したというあの不吉な森にはもう近づくな、と彼女は何度も教え諭された。
 それでも千尋はここを訪れることをやめられない。トンネルの向こうにひろがる、神々が集まるあの街の土を、もう一度踏んでみたくて。
 ……あの日離してしまった手をもう一度繋いで欲しくて。
「お願い、通じて、お願い……」
 神に捧げる祝詞をあげるかのように、手を合わせながら千尋は何遍も同じ言葉を繰り返した。短いはずの距離が、永遠のように長く思えた。
 足音がやむ。千尋は闇の中で目を凝らすまでもなく、目の前に立ちはだかる行き止まりを見出した。
 ──今日もだめだった。
 失意の底に沈みながら、千尋は肩を落とす。溜め息がでても、涙はもう出ない。もう何年もの間同じことを繰り返してきたのだから。
 通り抜けたくなかったあの日は、やすやすと道を開いてくれたのに、通り抜けたくてたまらない今となっては、このトンネルは頑なに道を閉ざしてしまった。なんて天の邪鬼なんだろう。
 この先へは行けない。あの日ハクが彼女とともに、石段を下りて草原を渡ることができなかったように。……何となくわかっているのに、それでも今はまだ諦められない。
 千尋は行き止まりに耳をつけて目を閉じた。耳を澄ませれば、彼女のいる世界までは届かない風鳴りが、寒々しく鼓膜を震わせた。
「ハク、」
 小さな声で彼女は呼び掛けた。呼び声が届いたかのように、風の音は少しずつ静まってゆき、やがて日没と共に完全に消え去った。



end.

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