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束する未来




 出掛けよう、と急にハクが言った。

 えっ、と面食らう千尋。無理もない。外は真っ暗で、外出するような時間帯ではなかった。
「今から?もう真夜中だよ?」
「うん。真夜中の空気を吸いたい」
 ハクは窓を開けた。夜風を頬に感じながら、目を閉じる。
 その横顔が心地よさげで、つられて千尋も隣に立ってみた。
「話したいことがあるんだ。今夜、千尋に。聞いてくれるかい?」
 彼女の肩を自分の方へ抱き寄せて、ハクはたずねる。
「話って、どんな?」
「ここでは言わない。千尋にこの話をするのは、星の綺麗な夜、私の川があった場所で、と決めているから」
 そう言って、ハクは微笑を浮かべた。


 かつて小白川の存在した場所には、真新しいマンションが建っていた。
 年月を経て、その辺り一帯がビル群となっていた。二人が住んでいるマンションも、そこからは歩いてわずか数分の距離にある。
 人間界に戻ってきたハクが、亡き川のあった場所を見守るために、その近くに暮らすことを望んだのだった。
 たとえ川を失っても、そこは彼が守り続けるべき場所なのだという。


「何度来てみても、ここからの眺めは美しいね」
 龍から人の姿へ戻ったハクは、その眺望に目を細めた。
 そこはマンションの屋上だった。彼の化身を埋め立ててつくられた建物の頂上から、ハクは静かに人間の世界を見おろしていた。
 このマンションのために小白川が犠牲になったように、今もどこかで化身を奪われた神々が涙を流しているのだろう。
 けれど、それでもーー
「この世界は、本当に美しい」
 千尋は隣に立つ青年を見上げた。彼の美しい横顔に、ひとすじの涙が光った。
「あのまま人間を恨み続けていれば、私は恐らく二度とこの世界には戻れなかった。たとえ戻れたとしても、いずれは憎悪に身を滅ぼす化け物となって果てただろう。ーー私は、『許す』ことを学ばなければいけなかった。
 そして、千尋、そなたと出逢った」
 ハクは千尋と向き合った。真剣な表情で彼の話に耳を傾ける千尋の頬に、手のひらを添える。
「なんという運命の悪戯だろう。一度は我を忘れるほど人間を憎んだこの私が、今度は命を捧げたいと思うほど、人間を愛してしまったーー」
 彼は静かに泣いていた。瞬きの度にほろほろと落ちる涙は、まるで優しく花に落ちる小雨のようだった。
「全て千尋のおかげだよ。私がここにこうして存在するのも、この世界を美しいと思えるのも。……何もかも、私が千尋を愛しているからだ」
 指で涙をぬぐい、ハクは微笑んだ。目に涙を浮かべながら、つられて千尋も笑う。
「千尋。これからもずっと、私のそばにいてくれるかい?」 
「それって、もしかしてプロポーズなの?」
 茶化すように聞く千尋。ハクは瞳を細めて頷いた。
「うん。私はね、千尋を妻にしたいんだ。もし、千尋がいいと言ってくれるなら」
 千尋の締まりない笑顔が一瞬で驚愕の表情に変貌する。
「えっ……妻?妻って、あの妻?」
「そう。その『妻』だよ」
 ハクの目が少年のように輝いた。
「ずっと言おうと思ってた。千尋が私の思いを受け入れてくれた時から」
 千尋は自分の頬をつねった。嬉しくて、口元がかってににやけてしまう。
「ーー嬉しい。わたしも、ハクとずっと一緒にいられたらいいなって思ってたの」




2014 1.27 求婚の日
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