白い虹


「千尋、見てみな。虹が出てる」
 隣を歩いている彼の言葉に、うつむいて歩いていた千尋は面を上げた。いつの間にか雨は小降りになっている。ビニール傘越しの曇天に、細く白い虹が淡くかかっていた。
「ほんとだ」
 千尋は瞳を輝かせた。夏も間近のこのところ、何故か落ち込んでばかりいた彼女が、ようやく本来の彼女らしさを取り戻せたようで、彼は嬉しくなる。
「千尋は昔から空とか好きだもんなあ」
「そうなの。どうしてかわからないけど」
 目を細めて虹を遠望しながら、千尋は微笑んだ。
「千尋が気象予報士の資格取りたいのってさ、空が好きだから?」
「そうかもしれないわ。四六時中空のことを考えていられるって、素敵だなあって思って」
 軽やかな調子でそう告げる千尋に、彼は、微笑みながら何気無しに言った。
「そういえば、知ってるか?虹ってさ、龍が空に登る姿なんだって」
「……えっ?」
「龍だよ、龍。龍が空に登る姿」
 途端に千尋の表情が、石のように固くなった。が、得意気に薀蓄を披露し続ける彼は気付かない。
「虹って蛇と漢字が似てるだろ。龍は蛇の仲間っていうし、それに中国では……」
 千尋の手からバッグが落ちて、水溜まりに音を立てて浸かった。驚いた彼は千尋を見遣り、ハッと息を呑む。
「ち、ひろ?」
 千尋は声を出さずに泣いていた。虚ろな目で空を仰ぎ見ながら、唇を小さく震わせ、自分を抱きしめる。
「龍……」
 聞こえるか聞こえないかの声で千尋は呟いた。彼女は今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。傘を放り出して、彼はその肩を揺さぶる。
「おい、千尋、大丈夫か?」
「……」
「千尋っ」
 千尋はこめかみを押さえた。目を瞑り、深呼吸をしたあと、こくりと頷いてみせる。
「……大丈夫よ」
 彼を安心させるためというより、自分に言い聞かせるかのような調子だった。

 白い虹。白い龍。
 どうしてこんなに胸が苦しくなるんだろう。


end.
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