凍れる月の下で ミロノフの退院を祝い、その夜はささやかなパーティーが開かれていた。 ソビエトの金の星と謳われるバレリーノの帰還に集められた人々は沸き立ち、皆いつもよりも遥かにアルコールを喫する頻度が高まっていた。 饒舌になった人々の執拗な絡みに些か疲弊気味のミロノフは、グラスを片手にアーシャと談笑していたノンナの手を取ると、突然手を引かれて驚くノンナには目もくれず、彼女をバルコニーへと連れ出した。 「ミロノフ先生?」 冴えた月を眺めているミロノフを見上げながら、ノンナは困惑気味な調子で呼び掛けた。ミロノフは横目で彼女を一瞥する。 「ノンナ。きみ、今夜は飲みすぎだと思うよ」 「ええ?そんなことありませんよ、ミロノフ先生」 ころころと鈴を転がすような声でノンナは笑う。頬をうっすら上気させ、丸い月を見上げながら、上機嫌に鼻歌を歌い始めた。それは「アラベスク」の曲調だった。 ソビエトの夜は寒く、夜空に浮かぶ月すらも凍てついているかのように見える。薄着のノンナは案の定、ぶるっと身震いした。ミロノフはタキシードの上衣を脱いで、肩にかけてやる。 「風邪をひくといけない」 「ありがとうございます、ミロノフ先生」 にこにこと嬉しそうに顔をほころばせながら、ノンナは礼を言った。その笑顔にほだされて、ミロノフはかけてやったタキシードごと、ノンナを後ろから抱き締めた。 「ミロノフ先生!?」 仰天して酔いが一瞬にして消し飛んだノンナの耳元で、ミロノフは囁いた。 「……ノンナ。きみはもう私のフィアンセなんだから、せめて二人の時だけは『先生』と呼ぶのをよさないか」 「で、でもっ」 「ユーリと呼んで欲しい。いずれそう呼ぶことになるんだから、今から慣れてもらわないと困る」 ノンナは首元まで真っ赤になりながら、目を回した。 「でもミロノフ先生っ…」 ミロノフはノンナの手を取って、月光に輝くエンゲージリングにキスを落とした。 「呼んでくれるまで離さないよ」 「もしかして、ミ、ミロノフ先生も酔ってます!?」 頭をくらくらさせながらノンナは訊いた。ミロノフはフフッと忍ぶように笑う。 「そうかもしれないな。──またきみとアラベスクを踊れると思うと、嬉しくてね」 ノンナはちらりと後ろを向いた。そしてしばらく逡巡の素振りを見せた後、意を決したように、聞こえるか聞こえないかの声で、囁いた。 「わ、私も、嬉しいです……ユーリ」 end. back |