竜は来ませり


 時々、千尋は雇い主である湯婆婆から彼女の愛息子の遊び役を仰せつかるのだが、先日、その大きな子供にある絵本を読み聞かせたことがあった。
 きらきらと輝く装丁の見事な、サンタクロースにまつわる絵本である。
 だが、読み聞かせると言っても、その絵本は何やら彼女が見たことのない不思議な文字で綴られており、千尋は絵と記憶を頼りに想像力を駆使してクリスマスの物語を語り聞かせなければならなかった。どうやら坊はそんな即席の語りを思いのほか気に入ってくれたようだったので、上機嫌にクリスマスのあれこれを聞いてきた時には、千尋はほっと胸をなでおろしたものだが。
 のちにハクに聞いたところによれば、それは魔法使いの言葉で書かれた絵本だろうとのことだった。思えば物語の内容は千尋のよく知るクリスマスストーリーとは若干違っていたようだった。赤帽子に白ひげの馴染み深い「サンタクロース」は確かに登場するのだが、見たことのない謎の生き物や用途の分からない道具などが登場して千尋をまごつかせたし、ドラゴンや魔物を退治してひどい目に遭わせるような物々しい場面もあった。
 魔法使いの世界のクリスマスは、やや複雑なのかもしれない。
 結局のところ、事なかれ主義の千尋は絵本の物語を大分歪曲した。複雑な部分を削ぎ落とし、心優しいサンタクロースがドラゴンと友達になり、聖夜に彼を待つ子供達のもとへプレゼントを届けに行くという、夢と希望にあふれた無難なファンタジーに仕立て上げたのである。
「坊のところにも、今夜、ドラゴンに乗ったサンタクロースがくるのか?」
 積み木遊びをしていた坊は、千尋とハクがビロードのカーテンをくぐって子供部屋に入ってくるなり、星のようにきらきらと目を輝かせながら巨体を揺すった。
「坊、ちゃんといい子にお留守番してたぞ。いい子には、サンタクロースがごほうびをくれるんだぞ!」
「うん、そうだね。えらい、えらい」
 千尋はにっこりと笑いながら、坊の頭を撫でてやる。坊は押しつぶさない程度に加減しながら千尋に抱き着いている。
 彼女の背後ではハクが微笑ましそうに二人のやり取りを見守っている。
「坊がいい子にしていたのなら、きっと今夜はいいことがありますよ」
 坊ははしゃいでバンザイをした。千尋がちらりと振り返り、ハクは意味ありげに目を細めて頷いて見せた。

 示し合わせた通り、休憩時間になると千尋はそっと油屋を抜け出した。
 橋の袂の脇にある小さな庭園に入ると、鬣をなびかせた白い竜がゆったりと地に伏せって彼女を待っている。赤い帽子と白ひげをつけた姿が物珍しそうに、緑の目を輝かせながらじっと千尋を見つめてくる。
「いい子だから、ちょっとの間だけ、トナカイの代わりになってね」
 千尋が銀の鱗に覆われた肌を撫でてやると、白竜は甘えて彼女に顔を近付け、長い尾を巻きつけてくる。竜の冷たい鼻先が首筋に触れて、千尋はくすぐったさにくすくすと笑った。愛すべき生き物の首に腕を回し、しばしそのなめらかな鬣に顔を埋める。
 彼女にとってのドラゴンとは、決して英雄に退治されるべき魔物などではないのである。

 一天の豪奢な住まいに暮らす子供の枕元にささやかなプレゼントを届けると、サンタクロースとドラゴンの任務は終わった。明日、天蓋付きのベッドで目を覚ました子供は、きっと宝石のように目を輝かせて贈り物の包みを開けるのだろう。
 千尋が白竜の背から降り、振り返るとそこにはいつもの少年が立っている。竜の時と変わらぬ怜悧な瞳が、期待を込めて彼女を見ている。
「千尋」
 この世界で唯一彼だけが口にする名が、真綿で包むように柔らかい声で呼ばれた。
「私も『いい子』でいたから、褒美をもらえる?」
 千尋は思わぬおねだりに目を見開く。
「でもわたし、ハクにあげられるもの、何も持ってない」
「そんなことはないよ」
 竜の少年は雪のような白面を和らげて穏やかに微笑む。
「何よりの褒美が目の前にある」
 彼の手が自分の方へ伸びてくる。
 千尋は思わずぎゅっと目を閉じてしまう。
「口を開けて、千尋」
 あごに手を掛けられ上向かせられる。
 何をするんだろうとそわそわしながら待つ千尋の口の中に、ころんと何かが放り込まれた。
 ──あれ?
 千尋は舌の上でそれをゆっくりと転がしてみる。
 甘くておいしい。粉砂糖がまぶしてあって、香ばしい味わいだ。軽く噛んでみると、雪玉のようにほろほろと溶けてアーモンドの風味が口の中にひろがる。
「とっておきのご褒美を、ありがとう」
 ハクが見当違いなことを言う。
 お菓子に舌つづみを打ちながら千尋は目を開けた。
「ご褒美って?」
「もうもらったよ」
「え?わたしは何も」
「ううん、もらってる」
 少年は小首を傾げ、お菓子の包みをそっと少女の手に押しつけた。
「千尋の嬉しそうな顔」



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