暁のヨナ | ナノ


▼ 千夜 【ゼノ+ヨナ】


 過ぎていく年月を数えることは、時を着実に積み重ねていくこと。いつからか彼が数えることをやめたのは、その途方もない積み重ねを目の当たりにすることを、恐れたからだった。
「娘さん、眠いの?」
 隣で焚き火にあたるヨナがしきりに目を擦っている。まだあどけなさの残る顔をのぞき込み、ゼノは少女の表情を観察した。
 仲間達は狩りに行ったり食材の下ごしらえをしたりと夕餉の支度に追われている。いつもならユンの手伝いをするヨナだが、今日は注意力散漫でどうも手元が危うく、このままでは怪我をしかねないからと早々に暇【いとま】を出された。ゼノは野宿場の見張りをする名目でうまいこと役割分担から逃れ、こうしてヨナと焚き火の傍でぬくまっている。
「ゆうべは夜更かししたでしょ。ゼノ、娘さんの顔見ただけでわかるから」
「うん……」
「飯ができるまで、寝ててもいいよ。ボウズ達が来たらゼノが起こしてあげる」
 ぱちぱちと薪のはぜる音がする。ヨナは眠たそうな目で燃え盛る炎をみつめている。ゼノは炎を映すその目と、はるか昔日、主君として仕えたかの王の瞳とを重ねている。眠ってもいいよ、と言っておきながら、いつまでも目を閉じないでいてほしい、ずっとその瞳を見ていたいとも思う。
「長かったなあ、また会えるまで」
「……え?」
「ううん、何でもないから。娘さんは、しばらく休むといいよ」
 ヨナの肩に手を添え、ゆっくりと倒して自分の膝に頭を乗せてやる。ゼノの膝枕に頭をあずけたヨナは、仰向けに横たわって彼の目をまっすぐに見上げた。子鹿のような純粋な眼差し。
 いにしえの日、彼は地上に降りた黄龍から、鋼の身体を与えられた。だが、鋼の心までは得られなかった。器は頑丈でも、中身はもろくこわれやすい人間でしかない。どれほど長きの時を生きてきたとしても、どれほどのことを悟ってきたとしても、やはり孤独というものはこの世のいかなる責め苦よりもつらく、心苦しい。移ろいを目にすることをおそれて人の輪から離れ、さすらってはまた人恋しくなる。延々と、その繰り返しだった。
「ゼノは、結婚していたのよね?」
 子猫の毛並みを整えてやるように、ヨナの前髪を撫でていると、彼女がひたむきな眼差しで訊ねてきた。
 ゼノは微笑み、遠い景色をながめるように目を細める。
「もうずっと昔の話だけど。日だまりみたいな人と、一緒に暮らした日々があったんだ」
 夫婦で過ごせたのはほんの瞬きのような時間。けれどあの懐かしい日々がずっと、彼にとっての拠り所であり続けている。いまでも振り返るだけで、自然と表情が明るくなるのが自分でもわかる。
「それから、家族がほしいと思ったことはなかった?」
 なかった、と言えば嘘になる。だが不老不死の異形の身では、所詮かなうはずもないと、とうの昔に諦めはついていた。
「ひょんなことでお守りした洟垂れが、ちょっと経ってから会いに行ってみると、おんなじような顔した洟垂れのじいさんになってる。──なんてことは、何遍あったか分からないなあ」
「ゼノって、面倒見がいいものね。きっと子ども達に好かれるんだわ」
「子どもは好きだよ。まともな人間に戻れるなら、ゼノもたくさんの子どもに囲まれてみたかったな」
「ゼノの子ども?きっと、みんな可愛いわね。私も一緒に遊んであげたい」
 ヨナが優しくほほ笑む。ゼノはいつ見てもその顔が好きだった。数千年の孤独を癒してくれる笑顔。振り向いてももう始まりが見えないほど長い旅路をたどってきたのは、いつの日かこの笑顔に出会うためだった。
 額と額をあわせてみる。唇が触れそうになり、さすがにヨナがまごついた。うぶな娘だ。ゼノの口角がほんの少し持ち上がる。
「じゃあ、娘さんが産んでくれる?──この俺の、黄龍ゼノの血を継ぐ子を」
 え、とヨナが目を見開く。間近に迫ったゼノの顔は思いのほか真剣な表情をしている。茶化して笑うに笑えない。
 一体何を言っているんだ、とゼノも我が耳を疑う。
 けれど実は、これも一度も考えたことがなかったと言えば嘘になる。他の初代四龍のように、彼も子をもうければ、新たな黄龍が誕生するのではないか──。だが相手は普通の人間の娘ではいけない。なにしろ二千年の時を生きた、不老不死の身体をもつ龍の子種だ。腹に宿して危険がまったく及ばないとは言い切れない。
「俺は黄龍。そして娘さんは、緋龍の転生。この身体にはおそらく龍の血が流れている。ただのお嬢さんには無理かもしれないことが、娘さんにはできるかもしれない」
「ゼ、ゼノ?」
「──試してみようか?」
 まごつく少女の耳元に、声を落として囁いたそのとき──彼の横顔めがけて何かが飛んできた。間一髪、つかみ取ったそれは鈍く光る暗器だった。
「おや、これは緑龍。随分とお早いお戻りで」
 にっこりと笑顔を向けた先には四龍の血を分かつ兄弟がいた。狩りの獲物らしい雉を片手に携えている、長身の青年。緑がかった髪を風になびかせて、なにやら不穏な空気をまといながらこちらに近づいてくる。
「今夜は雉鍋か。やったね、娘さん、ごちそうにありつけるよ」
「う、うん。そうね」
 上半身を起こしたヨナが、ぎこちなく頷く。まだ、先程何が起きたかよく理解できていないようだ。
 ゼノは緑龍にまた笑いかけた。相手もぎこちなく口角を上げて笑い返してくるが、その目はまったく笑っていない。むしろ褪めきっている。若造が一丁前に殺気を飛ばしているようだが、彼にとってはそよ風のようなもの。
「どれどれ。食材が増えたようだから、ゼノはボウズの手伝いでもしてこようかな」
 通り過ぎざま、事切れた雉を受け取った。緑龍、とゼノは相手にだけ聞こえる声で囁く。
「殺したいくらいむかつく相手を狙うなら、確実に急所を狙わないとね。──まだまだ詰めが甘いよ、坊や」
 投げつけられた苦内を返してやり、にやりと不敵に笑う。見た目は年上でも、彼にしてみればその中身は生まれたばかりの赤子に等しい。
 緑龍は上手を行かれた悔しさを露わにする。そういうところが、幾千万の暗夜を独りきりで過ごしてきた黄龍には、ただただ青臭く見えて愉快でしかたがない。
 先程のヨナの表情。あれもなかなか見応えがあった。ついうっかり、戯れだということを忘れて本気になってしまいそうなほど。
「なあに、これも年の功さ──」
 悔しかったら、もっと大きくなりなさい。一回りも二回りも成長して、出直しておいで。俺はいつまででもお前達を見ていてあげられるから。
 年下をからかうのは年長者の興。
 年下を試すのは年長者の特権。
 そして年下を愛おしむのは、これまた年長者の性なのだ。






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