暁のヨナ | ナノ


▼ 東雲 【ハクヨナ】


 抜き足差し足で天幕に入ろうとするヨナの二の腕を、誰かが掴んで草陰に引きずりこんだ。唐突にこういう無作法をはたらく輩は、仲間内でただひとりしかいない。
「こんな時間まで、どこで油売ってたんです?──姫さん」
 宵闇にまぎれて表情はうかがえないが、押し殺した声が焦燥を露わにしている。よりによって一番厄介な相手に見つかってしまった。ヨナはとらえられた腕を引くが、剛力相手ではびくともしない。
「お姫様ともあろう方が、見ず知らずの森で深夜徘徊とはいただけませんね」
「……心配した?」
「あんたも人が悪い。あえて聞かずとも、わかってるくせに」
「詮索は無用よ、ハク。私にも、秘密にしたいことの一つや二つくらいあるわ」
 雷獣の異名を馳せる護衛役は、なやましい溜息をつく。距離が近いせいで、それがヨナの耳や首筋にかかりなんともくすぐったい。
「俺には打ち明けたくない秘密でも、シンアとなら共有するんですかい?」
「そうよ。シンアは口が堅いもの」
「──ほう。じゃあ、俺の口は軽いとでも?」
「そうは言ってないけど」
 掴まれた腕を引かれ、ヨナの身体がぐらりと傾いだ。転ぶことはなく、ハクの広い胸に抱きとめられる。
「離しなさい」
「お断りします」
「ハク、」
「覚悟してくださいよ、お姫様?」
 にや、と不敵に微笑みながらハクがヨナの耳元に唇を寄せる。かすかな息遣いまで伝わってくる、その掠れた笑い声に、ヨナはわけもわからず背中をふるわせた。
「今夜はもう寝かせませんよ。──あんたの言う、秘密、とやらを暴いてやるまではね」
「何を言っているのよ」
「とぼけても無駄ですぜ。なんなら、姫さんが誰にも言えないような『秘密』を、今ここで俺が作ってやりましょうか──?」
 なんてきわどい冗談だ、と自嘲気味に笑いながらハクは思う。歯止めが利かなくなるようなことをあえて自分から口にするとは。やはり近頃、当たり前のように想い人が傍にいるせいで、気が緩んでいるのだろうか。
「……ハクとの秘密は、これ以上増やさなくてもいいわ」
 さすらいの姫君は時に意味深なことを言う。彼の心を落ち着かなくさせるような、憂いを帯びた顔をして。
 暗がりにあっても、ヨナの表情は手に取るようにわかる。それだけの年月を傍で過ごしてきた。目移りもせず、まっすぐにこのお姫様だけを見てきた。目まぐるしく変わる表情を、すべてあますことなく好ましく思い、恋焦がれ、脳裏に焼きつけずにはいられなかった。誰にでも等しく向けられた表情も。誰よりも近くにひかえていながら、決して彼には向けられたことのない表情さえも──。
「姫さん、泣きましたね?」
 ヨナの肩が揺れた。彼女の目の下の、いまはもう見えない涙をぬぐうように指でそっと触れると、姫君はお手上げだというように力なく笑った。
「こんなに暗いのに──ハクにはなんでもお見通しなのね。青龍の眼よりも、ハクの目のほうが私にはずっと空恐ろしい」
「空恐ろしい、とは失礼な物言いですね」
「だって、お前には隠し事がまるでできないんだもの」
 隠し事なんてしなくていい。俺には、姫さんの全部を見せて下さいよ──。
 ともすればその本心はハクの一番の隠し事かもしれなかった。自分は大きな秘密を隠しておきながら、大事な姫君にはすべてをさらけ出してほしいと願っている。
「──ハク、向こうの空を見て」
 姫君を抱いたまま、東の空をあおぐと地平線の下でまどろんでいた太陽が目覚めの時をむかえ、ゆっくりと頭を擡げはじめるところだった。黒みがかった夜の雲がしだいに赤らんでいくのを、ヨナは奇跡を目の当たりにするかのように、輝く瞳で見守っている。
「これが、暁の空なのね」
「おや。初めてでしたか?」
「ええ。こんなに綺麗だったなんて、私、知らなかったわ。こんなに、暁が見事な色だったなんて……」
 姫君の瞳に涙がうかぶ兆しを敏感に感じ取ったハクは、焦燥に駆られて華奢な身体を強くかき抱いた。まるで独り占めするかのように。
「ハク?」
 おどろいたヨナは、泣くことを忘れてほうけた顔になる。
「いや、まさか姫さんと二人きりで一夜を明かすことになるとは。そのうえ、姫さんの貴重な『初めて』を、この俺が摘み取ってしまったとはね。姫さん、この責任、一体どうとらせていただいたらいいでしょう?」
「ちょ、ちょっと。誤解をまねくような言い方はやめてちょうだい」
 顔を赤らめたヨナが腕の中でもがく。彼にとっては生まれたての子猫が反抗しているようなものだ。ハクはその愛らしさに笑いながらも、腕からすり抜けていこうとする姫君をますます抱き締めて離さない。
 暁など早く過ぎ去ればいい。
 彼女の脳裏にあの男を呼び覚まさせるものなど、すべて蹴散らしてしまえたならいいのに──。






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