暁のヨナ | ナノ


▼ 凱旋【ハクヨナ/大将軍2】

(*「大将軍」に連なります。
一部R15相当ご注意。)


 天高らかに聳え立つ烽火台に、高華軍の旗印が揚々とはためいていた。
 赤一色の軍装で身を固めた大将軍が、副将と四将、数多の兵士達を率いて王都に凱旋する。炎をかたどった大将軍の兜と金の仮面が、昼下がりの澄み渡った青空のもと、陽光を受けて燦然と煌めいていた。
「大将軍、万歳ー!」
 出迎えのために押し寄せた民衆があちこちで歓声を上げている。大将軍は高華国きっての英雄であり、度重なる戦に憂える民草の何よりの希望であった。
 大将軍は副将から受け取った軍旗を、高々と天へ掲げてみせる。高華軍による堂々たる勝利の宣言である。これによって感極まった民衆の喝采は更なる高まりを見せ、耳鳴りがするほどの歓声は天地を揺るがした。
「高華国、万歳ー!」
 英雄達の凱旋を熱烈に歓迎する民衆の掛声は、いつしか盤石な軍事力を誇る自らの国を讃えるものとなり──
「国王陛下、万歳ー!」
 遥かな王城にてその凱旋を見守っているであろう、王国の君主を称揚するものとなった。

 緋龍城に招じられた大将軍、副将、そして四将達は、玉座の間にて国王と対面し、畏まって礼を尽くす。
 玉座から立ち上がった若きスウォン国王は、何時ものように将軍達の功績を称え、それぞれに心からの労いの言葉をかけた。
「大将軍」
 最後に声を向けられた大将軍が、深々と頭を下げる。国王の女人のように端整な白面が、殊更気遣わしげに優しい微笑みを湛えている。
「此度も敵軍への犠牲を最小限に止めてくれましたね。礼を言います」
「ありがたきお言葉、恐悦至極に存じます。陛下」
 大将軍は凛とした声で返す。慈愛に満ちた眼差しで見下ろしていた国王の双眸が、ふと、名残惜しそうに細められた。
「──あなたはやはり、私の前では、その兜と仮面を外そうとしないのですね」
 玉座の間は水を打ったような静けさに包まれた。かつて四龍の戦士と称された四人の将軍達は、意味ありげに顔を見合わせている。大将軍の背後に控えている副将ハクは、国王に深く礼を尽くしたまま、微動だにしない。
 大将軍が淀みなく言い放った。
「はい。陛下より賜りましたこの鎧を身につけている限り、戦場にあろうとなかろうと、私はこの高華国の『大将軍』ですから」
 金の仮面の奥で、国王を見上げる瞳が玲瓏と輝いている。国王は焦がれるような眼差しで、その美しく得がたい双眸をじっと見下ろしていた。

「ヨナちゃん」
 大将軍──の鎧を脱いだその姿は、齢二十三の女盛りである。波打つ赤い髪を惜しげもなく風に靡かせ、太陽のように眩しい笑顔で声の主を振り返る。
「ねえジェハ、久しぶりの城は緊張するわね。私、喉が渇いちゃった」
 些細な言葉を交わしただけで緑龍の胸は甘く疼く。三十を越え、いまだに独り身を通しているのは、ごく身近にある至高の女【ひと】があまりにも忘れがたいからであった。
 年嵩の男が長らく自らへの片恋に身を焦がしていることなど、知る由もない赤い髪の美しい女傑は、竹筒の水を口に含んで思案顔を作っている。
「ユンはきっと仕事で忙しいわよね。折角城に来たから、一目会いたかったけど」
「あー、多分今は城にはいないから」
 ジェハとヨナの間に、ひょっこりと顔を覗かせたのはどうやら先程から聞き耳を立てていたらしいゼノである。
「医務官殿は城の中でも外でも引っ張りだこみたいだから。会おうとしても、なかなかつかまらないから」
 へえ、とヨナは感心して目を見張る。
「大人気なのね。さすがは、次期主治医候補だわ」
 主治医とは国王の担当医を指し、医局の中で最も優れた医務官がその役職を担うことになっている。かつてヨナ達一行の一員であったユン医務官は、その天才的な医術の腕前から、二十二という若年ながら既に次期主治医の筆頭候補とされていた。
「しばらく会ってないから、顔が見たいわ。今度こちらから会いに行ってみようかしら?」
「ゼノもゼノも!なあ、白龍、青龍、それに兄ちゃんも、一緒に行くだろ?」
 屈託のない笑顔でゼノは三人の視線を集める。今回の戦について額を突き合わせてあれこれ詮議していた三人の将軍は、一様に呆けた顔をした。
「相変わらずど真面目だなあ、そこのお三方は!」
 ジェハの呆れたような感心したような声に、ゼノとヨナは堪らず顔を見合わせてクスッと笑った。

「……あの時笑いましたよね?」
「わ、笑ってないわ」
「いや、確かに笑ってましたよ」
 夜、王都から遠く離れた閑静な村の自宅に帰り着いたヨナは、昼間の軽率な行動を心から後悔していた。恋人が根に持つ性分の男だということを、すっかり忘れていたのだ。
 二十六となったハクは、共に諸国を旅していた頃よりも一層精悍さを増した端整な顔を、ヨナと鼻先がくっつきそうなほど近付けてくる。
「あなたがタレ目やゼノとご歓談中のようだったんで、俺は野郎共と三人、仲良くむさ苦しく戦の反省会をしてたわけですよ」
「……さすがは副将ね。将軍の鑑だわ!何事も反省が大事だものね」
 うんうん、と冷や汗を流しながら必死に恋人を持ち上げるヨナ。生憎ハクは、その程度の煽【おだ】てに満足するような単純な男ではないのである。愛しい女を壁際に追い詰め、壁と自分との間に挟んで逃げられないように囲ってしまう。
「解ってます?」
「……何を?」
 副将はふと笑って、唐突に低く掠れた男の声で囁いた。
「──俺は今、すこぶる欲求不満なんだ」
 彼の親指が彼女の唇をそっと押し開く。大将軍の顔がみるみるうちに染まり、愛に蕩かされる女の表情になる。紅潮した頬に愛おしそうに口づけて、ハクは華奢な身体を抱き上げた。
「戦続きであんたが足りない」
 ヨナは彼の求めに応じ、恥じらいながらも両腕をその首に回す。遠慮がちに自ら目を閉じ、彼の唇に自分の唇を重ねてみる。息をつくことさえもどかしく感じられるほど深まる口づけに、身体の芯が溶けてしまいそうになる。
 いつの間にか奥の寝台に横たえられ、端整な顔を見上げている。城に行った日の夜、彼は決まって普段より執拗に彼女を求めてくる。ヨナはその理由を誰よりもよく知っている。ゆえに彼の全身から発せられる身を焼くような熱情を、決して拒むことなどせず、余すことなく受け容れようとする。
「ハク」
 名を呼ばれた男は声に応えるように彼女をじっと見下ろした。
 高貴の声が、甘く囁く。
「──愛しているわ」

 五年前、先代イル国王の遺児であるヨナ姫は、皇女の位を放棄した。
 彼女に王籍を離れることを決意させた存在は二人いる。一人は今、彼女の隣で少年のようにあどけない寝顔を見せている、風の部族出身の若き将軍。そしてもう一人は、現在緋龍城にて立太子を控えている、五つを迎えたばかりの国王の皇子である。
 ヨナは上体に絡まる彼の逞しい両腕からそっと抜け出し、生まれたままの裸身に薄衣の夜着を纏った。
 誕生したばかりの皇子を腕に抱いた日を、まるで昨日のことのように鮮明に憶えている。
 ──悠遠に輝く星々を散りばめたような双眸を、彼女はゆっくりと閉じる。
 いつか自らが国王に告げた言葉が、脳裏に蘇った。
 
「私は愛する高華国にこの身を捧げます。──誰のものにも、なりません」







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