暁のヨナ | ナノ


▼ 大将軍【ハクヨナ/未来】

(*「高楼夢」等とは異なる未来捏造。
スウォンと姫様の深い関係の示唆あり。
ハクヨナ至上主義の方はご注意下さい。)


 赤い鎧を身につけた戦士が、切り立った峡谷の頂上から、遥かな山々の連なりをながめている。
 炎をかたどった兜をかぶり、金の仮面をつけているため、その素顔を窺い知ることはできない。
「大将軍」
 斥候からもどった騎馬隊のひとりが、馬からおりてその御前にひざまずいた。
「敵将はおよそ一万の兵を率い、国境に近づいている模様です。おそらく、暁の頃合いにここで迎え討つことになるでしょう」
 大将軍とよばれた赤鎧の戦士は、騎馬兵を見下ろす。
「四将は先程、それぞれの持ち場につかれたとのことです」
「──伝言はあったか?」
「はい」
 騎馬兵は深々と頭を下げた。
「キジャ将軍からのお言付けでございます。『此度の戦、大将軍のお手を煩わせるまでもありませぬ。全て我らにお任せください』とのことです」
 頼もしい限りである。大将軍は、仮面の下で小さく笑みをこぼした。
「ご苦労だった。もう行きなさい」
 騎馬隊が陣営のほうに馬首を返すと、入れ違いに背後から大刀をたずさえた副将が近づいてきた。
「一万の敵兵にたった二千足らずで挑むとは。我らが大将軍は、なかなか果敢な御方でいらっしゃる」
 大将軍は今度こそ、声を立てて笑った。
「二千で事足りると豪語したのは、副将、お前ではなかったか?」
「まさか、鵜呑みになさるとは思いませんでしたよ」
「師匠の言葉を信じぬ弟子がどこにいる?」
 大将軍が、くすりと笑いながら仮面を押し上げる。──将軍と呼ぶにはあまりにもそぐわぬ、美しい女人の顔が宵闇の中にほの白く浮かび上がった。
 大将軍と副将は、しばし見つめ合い、眼差しで心と心を交わした。
「──ああ、そうだ。キジャがさっき、私に伝言を」
「ほお。白蛇は何て?」
「全て我らにお任せください、って」
 副将がにやりと口角をもちあげる。
「ま、せいぜいお手並み拝見といきますか」
「高みの見物?」
「そんなところですかね」
 大将軍はふたたび、峡谷の彼方へと目を馳せた。
 東の空から黎明がゆっくりと近づきつつある。
 かつて赤い龍の暮らした城は、その方角にそびえていた。
「ヨナ」
 彼がその名を呼ぼうと、もう、不敬と咎められることもない。
「城が恋しいか?」
 口元をかすかに緩めながら、彼女は首を横に振る。
「いいえ。少し、昔のことを思い出していただけよ」
 ──五年前、ヨナは自分の意志で王籍から離れた。先代父王のただひとりの御子でありながら、みずから王位継承権を放棄したのである。現在、緋龍城では、スウォン国王の幼い世継ぎが立太子を控えている。
 その世継ぎの生母が、ほかでもない先王の皇女であったことを知る者は──
 この高華国において、ほんの一握りしか存在しない。
「どれくらい、昔のことです?」
 ハクに静かな声でそう問いかけられると、ヨナはうっすらと微笑みながら、はるかな明けの明星のように輝く双眸を閉じた。
「そうね。もうはっきりとは思い出せないくらい、ずっと昔のことよ」
 峡谷の至るところに掲げられた高華軍旗が、時折吹き抜ける夜風にはたはたと靡いている。
 暁の頃合いには、安らかな静謐に抱かれたこの峡谷が、砂塵舞う戦場と化すだろう。
 ハクは周囲に人気のないのを確かめて、愛馬からそっとおりた。
「ヨナ姫」
 馬上の人に手を差し伸べる。
「今でも時々私をそう呼ぶのは、お前だけね、ハク」
 なんだかくすぐったいわ、と花びらのように頬を染める彼女。ハクの心は愛おしさに締めつけられる。
「そうです。あなたはもう、俺だけのお姫様だ」
 ヨナは冗談めかして笑いながら、ハクの手に自分の手を重ねた。
 だが、その手を支えにして、馬からおりようとはしない。
 彼女は、彼が戯れでこうしていると思い込んでいる。
「あいにく、私はもうお姫様じゃないわ。女だてらにこんな鎧を着て、兜までかぶっているんだもの。仮面をはずしたって、きっと女だとわからないわ」
「仮面はなるべくはずさないでくださいよ」
 熱のこもった眼差しが、彼女にそそがれる。
「女だとばれて、どこぞの兵士に横恋慕でもされたら困る」
「……ハク、お前、熱でもあるの?」
 ハクは黙って、彼女の手を強く引っ張った。
 馬上から引きずり降ろされた彼女の体は、落下寸前、彼の腕に抱きとめられる。
「ハ──」
 名を呼ぼうと開きかけた唇を、彼がふさいだ。まるで閨で与えるような、濃厚な口づけ。
「ふ──副将ハク!」
 彼の調子に巻き込まれまいと抵抗を試みるヨナだが、色々な出来事を経て鋼鉄の心を得た彼には、到底通用しない。
「『副将』じゃないですよ。今は」
「じゃあ、誰だっていうの?」
 しばし考えるそぶりを見せ、油断させたのち、不意打ちにもう一度、その無防備な唇をうばう。
「『あなたの男』ってことに、しておきましょう」
 至近距離での不敵な微笑み。ヨナの顔がのぼせ上がる。
「お前、大事な戦の前に、大将軍を腑抜けにするつもりなの?」
「ええ。副将失格ですね」
 悪びれもなく笑ってみせる彼。
 ヨナ、と呼ぶその深い声が、彼女の心を疼かせる。
「お姫様だった頃のあなたも、女盗賊まがいのあなたも、女王だか王妃だかになりそこなったあなたも、女将軍になったあなたも。俺にとっては皆同じ、ただひとりの人ですよ」
 ──お慕いしています。
 恭しくかかげた手の甲に、彼はそっと唇を落とすのだった。






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