暁のヨナ | ナノ


▼ 桃花亭 【腹へり/未来】


「うん、今日も元気みたいだね。順調に育ってるよ」
 膨らんだ腹を撫でて、見習い医務官がにっこりと笑う。診察の間にも、赤子がさかんに腹を蹴るのを感じ、女王はたまらずに吹き出してしまった。
「もう。本当に腕白なんだから」
「そりゃそうさ。なんたってヨナと雷獣の子だもん。それに双子ときたからね、一筋縄じゃいかないよ」
「あら、ユン医務官。夫はともかく、私はおしとやかな女王ではないというの?」
「お戯れを。ヨナ陛下!」
 ひとしきり二人で笑ったのち、ユンは懐かしむように遠い目をした。
「覚えてる?ヨナの懐妊が判った日のこと。俺はさ、つい昨日のことみたいに思い出せちゃうんだよね」
 もう七月ほども前のことになる。あの日、かねてからヨナの微妙な体調の変化に目を留めていたユンは、もしやと思い彼女の脈をとってみた。医務官としてはまだ見習いの身だが、指には確かに玉の転がるような脈、すなわち妊婦特有の「滑脈」が感じられた。そのことを医局に伝え、ただちに正式な診察をおこなったところ、女王の玉体には懐妊の兆しが確かに見受けられたのである。
「雷獣の奴、隠れてこっそり嬉し泣きしてたっけ。キジャなんかは脇目もふらずに号泣してたけどさ。あれには、俺もついもらい泣きしちゃったな」
「そうね。ーー皆、自分のことのように喜んでくれたわ」
 ふふ、と嬉しそうに頬を染めてヨナが笑う。ユンは団扇であおいでほどよく冷ました小豆茶を、ヨナに手渡してやる。血行を良くする効果があり、妊婦のむくみを和らげてくれるという。懐妊が判明して以降、薬膳料理や飲み物など、ヨナの口にするものはすべてユンが事細かに指示を出している。彼は女王と共に旅した仲間であり、彼女の体質や嗜好を心得ている。また、これまで数多くの現場で病人や怪我人の治療にあたり、優れた医術師として活躍してきた。まだ見習いとはいえ、彼が医局長から寄せられる信頼はすでに揺るぎないものだ。
「ユン、診察は終わったのか?」
 待ちきれないように部屋の外から声が掛かった。ユンはヨナの背に手を添え、彼女が茶を飲み干すのを待ってから、声を張り上げた。
「今終わった。もう入ってきていいよ、珍獣ども」
 それが呼び水となった。キジャを筆頭に、かつて四龍と呼ばれた戦士達が部屋になだれこんできた。扉の向こうで診察が終わるのを今か今かと待ちわびていたに違いない。こめかみを押さえ、ユンが溜息をつく。
「あのさ、もう少し静かに入ってこられないわけ?今は安定してるけど、もういつ生まれてもおかしくないんだからね」
 寝台に腰かけるヨナの周りに四人がわらわらと集まる。ヨナの妊娠が判明してからというもの、ただでさえ彼女の傍を離れなかった彼らが、より一層彼女に心を砕いているようだった。
 ヨナがにっこりと笑いかけると、ゼノに背後から押されて、赤い顔をしたキジャがもじもじと進み出た。
「どうしたの、キジャ?」
「姫様。ーーど、どうか、お納めください」
 片膝をついて、キジャが恭しく差し出したものは、可憐な薄紅の花をつけた桃の枝だった。先日外を歩いた時にはまだ蕾だったはずだが、身重のヨナが部屋に籠っているうちに、時が満ちて花開いたらしい。キジャから枝を受け取ったヨナは喜びに目を輝かせた。鼻を近づけてその香りを楽しむと、はずみで花びらが膝の上にはらりと舞い落ちた。
 ゼノがキジャの頭に顎をのせて、日溜まりのような笑顔を覗かせる。
「もう臨月に差し掛かったからさ。娘さん、そろそろ庭園を散歩するのもつらいだろうって、緑龍が」
「ジェハが?」
 ヨナの視線が自分に注がれると、それまでおとなしくしていたジェハは、道化のように振る舞った。
「はは、ばれてしまったね。そうだよ、僕がその初々しい枝を手折ってしまったのさ。あんまり愛らしいんで、どうしてもヨナちゃんに見せたくてね。罪作りな男だろう?」
 ありがとう、と花のように綻ぶ彼女の表情。青年は、ぐっと押し黙った。
「娘さん、身体つらくない?」
「大丈夫よ。赤ちゃんだって、元気すぎるくらいだわ」
「ならよかった。どれ、ゼノ、ちょっと話し掛けてみようかな」
 猫のようにヨナの膝に甘えるゼノ。膨らんだ腹を、愛おしそうに撫でている。
「ゼノ、そなた姫様に何という無礼を!」
 またも顔を赤らめたキジャがそれを咎め、大声を張り上げたことに、ユンからお叱りを受ける。これももうお決まりの光景。ヨナの周りはいつも賑やかだ。つねに笑いの絶えることがない。
 ヨナがゼノの頭を撫でていると、彼女の隣にシンアがちょこんと腰掛けてきた。
「庭。……花がたくさん咲いてて、綺麗だった」
「本当?」
 シンアの肩からアオがどんぐりを差し出してくる。ヨナは笑いながら、それを掌に受けとめた。心優しいリスからのささやかな贈り物は化粧箱の中に仕舞ってある。会うたびにもらっているので、もうじき箱いっぱいになるはず。気配り上手で甲斐甲斐しいところは、飼い主と本当によく似ている。
「……赤ちゃんが生まれたら、ヨナも一緒に見に行こう」
 仮面から覗くシンアの口元が和らいでいる。きっと今、とてもいい笑顔を浮かべているに違いない。








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