暁のヨナ | ナノ


▼ 東の太陽、西の月 【シンア+ヨナ/未来】


 つけていた仮面を外すと、彼女の口元に優しい微笑みが浮かんだ。
 どうしてそうしようと思ったのかーー。理由は判らない。何故か今夜は包み隠さず、素顔でその人に向き合いたかった。
 池の水際に佇む亭に清らかな月光が降り注いでいる。中にいる二人もまた、その恩恵にあずかっている。
 彼の名付け親がまた一歩、近づいてきた。
 恐れることなどありはしない。彼は慈しんでやまぬその人の瞳を、心置きなく見つめ返す。
「シンアの眼って、やっぱりとても綺麗。ーーお日様の光に、蜂蜜を透かしたような色だわ」
 内緒話のように彼女が囁く。化け物の呪いと忌み嫌われた眼さえ、その人は美しいと言ってくれるのだ。
 顔に触れてきた彼女の手に、彼は自分の手をそっと重ねた。こうして触れているだけで、心が穏やかに凪いでいくかのよう。
「ヨナの心のほうが、綺麗。……青龍の眼なんかよりも、ずっと」
「ふふ。シンアがそんなことを言うなんて、珍しい」
「……俺、口下手だから」
 四龍の血を分かつ兄弟はみな口八丁だ。彼はいつも口を閉ざし、寡黙に彼らの後をついていく。里にいた頃、長らく人とは距離を置き、闇に紛れて暮らしてきた。話し相手と言えばリスくらいのものだった。幼年期に培われた内気な性格は、青年となった今も彼の対人関係に陰を落とす。面と向かって胸の内を人に伝えることは、彼にとっては至難の業だ。
「言いたいこと、本当はたくさんあるのに。……なかなか言えなくて」
 ヨナは何一つ彼に無理強いをしない。彼が思い悩むようなことがあれば、ただ静かに笑って、全てを包み込むように彼を抱き締めてくれる。背伸びしたりせず、ありのままの彼でいていいと言ってくれる。
 彼にとって、ヨナは安らぎの砦だった。
 誰よりも慈しんでやまぬ大切な人だった。
 自己犠牲をいとわないほど、守りたいと思った。
「ヨナ。俺に名前をくれてありがとう。仲間と、居場所をありがとう。光を見せてくれて、ありがとう。……ヨナのお陰で、毎日が楽しかった。……本当に嬉しかった」
 走馬灯のように、ヨナのいた日々が脳裏を駆け巡る。溢れ出す涙が千里を見渡す青龍の眼を霞ませる。彼女の顔を記憶に焼き付けたいのに。肝心な時に役立たずな能力だ。
 不安に駆られ、子どものようにその人にすがった。ヨナは戸惑いを見せながらも、怯える彼を受け容れてくれる。
「どうしたの、シンア?ーーまるで、もう会えなくなるような物言いよ」
 ああそうか、と彼はようやく納得する。
 自分は今、この人に別れを告げているのだと。
「……明日、龍の能力、天に返すんだよね。青龍の眼がなくなったら、俺はもう四龍じゃなくなる。何の力もないただの人間。……ヨナの傍には、もういられない」
 敢えて口にするのは堪えがたいことだった。言葉にした瞬間、辛い現実が重くのし掛かってくる。声を詰まらせ、彼はその輝く眼からはらはらと涙を落とした。もう、ヨナに会えない。太陽のような、日溜まりのようなその人にーー。
 ヨナはしばらく沈黙を守り続けた。別れを告げた側のはずが、彼はいざとなると無性に名残惜しくて、彼女を離すことができない。
「青龍の眼の能力を失ったら、シンアはシンアではなくなるというのーー?」
 揺れる彼女の声は、心の機微を映すかのようだった。
「私にはあなたを引き留める権利はない。シンアの人生はシンアが決めるものであって、私が介入していいものではないもの。だからシンア、あなたは自由に生きていいの。あなたの心の赴くままに選んだ道を、私は尊重したい」
 けれど、とヨナは声に力を込める。
「これだけは覚えていて。ーーあなたは、あなた。どんな眼をしていても、私にとってのシンアは一緒。たとえ『青龍』と呼ばれなくなったとしても、あなたはいつまでも、私の大切な『月の光の人』であり続けるということ。ここにあなたの名を、呼ぶ者がいることを」
 なぜ、ヨナという人はこうも簡単に、彼が欲している言葉を言い当ててしまうのだろう。
 彼女にはいつも心を見透かされてしまう。あたかも、青龍の眼で覗き見たかのようにーー。
 眼にいっぱいに溜めた涙をヨナの指が優しく拭う。曇りがかった視界が開け、雲間から太陽が覗くように、ヨナの笑顔が眩しい輝きを放って見える。
 もし、自由に生きていいというのなら。ーー心の赴くままに道を選んでいいというのなら。
 身を落とした彼は、ヨナの両膝を抱えて軽々とその身体をもち上げた。足が地を離れたことに驚いた彼女が、声をあげて彼の頭を掻き抱く。長身の彼が小柄な彼女に見下ろされる格好になる。
「なんだか、子どもに戻ったみたい」
 照れくさそうに笑うヨナに、胸を擽られた。生まれて初めて、心の底から幸福だと感じた。頬が自然と緩み、笑顔は外で繕うものではなく、内から滲み出てくるものなのだと思い知った。初めて目の当たりにする彼の笑顔に、ヨナがまた驚いて目を丸めた。それを見てさらに彼の笑みは深まった。
 笑顔を見せてほしいと、彼女に言われたことがある。
 あの時の約束を、今、ようやく果たせたようだ。
「ヨナ。……これからも、傍にいていい?」
 破風から下がる赤い灯籠が夜風に揺れる。消灯の刻限を過ぎた今はもう、月明かりだけが頼りだ。
「明日を限りに、この眼は使い物にならなくなる。……山の向こうから軍勢が押し寄せてきても、きっともう知らせられない。海の向こうから敵の船が来ても、もう判らない。もう、全然役に立てないかもしれない。それでも、こんな俺でも、……ヨナの傍にいてもいい?」
 赤い髪の少女は、答える代わりに額と額をあわせて、目を閉じた。
「月のない夜は、暗くてとても寂しいの。ーーだからね、シンア。あなたが近くにいてくれるのなら、きっと私は安心して眠れるわ」






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