るろうに剣心 | ナノ


▼ まがれいと 【剣薫】

 はて、なにやら見慣れぬ容子でござるなあと、もの珍しげに目をしばたたいている夫の腕から愛息子を抱き取りつつ、薫はフフとはにかみ笑う。
「稽古が終わってから、奥様に結っていただいたのよ」
「西洋式の結い髪でござるか」
「うん。また、お茶とお菓子をごちそうになっちゃったわ。奥様のお話があんまりおもしろくて……」
 それは良かった、と、剣心が目を細めて首肯うなずいた。
 月に一度、彼女は、築地鉄砲洲の居留地の一画にたたずむさる西洋屋敷へ、剣術指南をしにゆく。稽古を所望するのは、うら若き異人の奥方である。もっともこの細君は、日本式剣術を真に学びたいわけではなく、ただただ、日本人の女友達を求めているのであろう。薫はいつも一、二時間ほど稽古をつけ、汗を吸った道着を着替えると、いとまを告げるよりも先に、庭へ案内される。そうして名も知らぬ外国とつくにの草花に囲まれながら、香り高い紅茶と西洋菓子を供され、夫人が片言の日本語で語る故国の話に、耳を傾けるのである。
「おみやげに西洋菓子をいただいたの。シユウクリームですって。──剣路、あとで夕飯が終わったら、剣心おとうさんと一緒に食べてごらん。とっても美味しいから」
 剣路はますます目を輝かせた。母親の首すじにひしと抱きついて頬ずりしている。今日は朝から出稽古で寂しかったのだろう。乳離れしても、甘えん坊はなかなか治らない。
「拙者と留守番している時も、これくらい良い子でいてくれれば……」
 かがんでその頭を撫でながら苦笑する剣心の鳩尾に、息子の渾身の足蹴りが直撃した。
 ──夕飯を片付け終え、西洋菓子を食べ、剣路を寝かしつけてもなお、剣心は意気消沈している。こまったことに、彼は薫のひざの上に頭を置いているので、このままでは身動きがとれないのである。
「薫殿。拙者は、剣路に父と認められていないような気がする。いったいどうしたものか──。どうしたら、剣路に歩み寄れるでござろう?」
「馬鹿ねえ。大げさに考えすぎよ、剣心」
 年甲斐もなくいじける夫に、薫はなぐさめの言葉をかけた。剣心が溜息をひとつついたかと思えば、ふと首をかしげて薫の後ろ頭を見上げる。
「花が……」
「ん? なに?」
「ここに花が差してある。──ああ、ほら、これでござるよ」
 剣心は手を伸ばし、結い髪のリボンの結び目に差してある白い花をつまみとった。それはあの瀟洒な洋館の庭に咲いていた異国の花なのであった。
「マーガレットっていう花なのよ」
「まがれいと」
「奥様が、私はマーガレットに似てる、って言うの。まったく、外国の人は、お世辞がじょうずなんだから──」
「なるほど。確かに薫殿は、花のような御仁でござるな」
 軽い笑い話のつもりが、思いがけずにっこりうなずきながら肯定され、薫は首すじまで紅潮してしまう。
「……だから、お世辞だってば」
「いや、本心に違いない」
 剣心はその小さな花を、手先にいとおしげにうち眺めながらまた、微笑んでいる。
「うちの剣路も、その奥方とやらも、──誰あろう拙者自身が」
 
 




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