るろうに剣心 | ナノ


▼ 綻び 【剣薫】

 丁度、入れ違いだったようである。
 期待した人の姿は、居間にはなかった。
 だが、つい先程まで彼女がここに居た気配が、剣心にはありありと感じられた。妻が座っていたであろう座布団のそばには、開けっ放しの針箱と、中途半端な繕い物が置いてある。いかにも慌てて出て行ったという様子のそれらを見下ろしながら、剣心はかすかに息をついた。──近頃、どうも彼女に避けられがちである。
「……薫殿?」
 奥の襖に向かって声をかけるが、返事はない。
 どうやら、逃げるようにして、ひと風呂浴びに行ったようである。
 腰に差していた逆刃刀を壁に立てかけ、畳の上に腰をおろした。コチ、コチ、と西洋時計が規則正しく針を動かす音がする。不意に人恋しくなり、剣心の手がそっと座布団に触れた。まだ薫の温もりが残っている。
「──そんなところで寝たら、風邪引いちゃうわ」
 気が付くと、座布団を枕にうたた寝していた。風呂上がりの薫が、障子から透ける薄明かりを浴びながら、出しっ放しの針箱を片付けている。濡れたままゆるく編んだ髪から、ほのかに石鹸の香りがただよってくる。
「薫殿」
 目が合うと、薫ははにかむように微笑って視線を逸らした。
「きっと、稽古で疲れたのね。──寝間にお布団敷いておいたから、先に休んでいてね」
 ねぎらいの言葉はいつもと変わらぬ温かさだが、人恋しさを覚えた心はなかなか温まらない。薄闇の中で黙々と繕い物をたたむ妻の背に、つい手が伸びた。
「……剣心?」
 背後から抱きすくめると、薫は心なしか身を固くした。
「薫殿──」
 風呂上がりの彼女の体は温かい。
 そのままの体勢で、心地よい温もりを胸に抱きながら、目を閉じた。
 まだ、二人が夫婦になって日が浅かった。新たな関係の在り様をつかみかねて、彼女が戸惑っていることを、剣心は誰よりも心得ていた。ここは年の離れた夫として、妻が心を開いてくれるのを気長に待つくらいの余裕を見せたいところだが、どうも彼女に対しては欲が出てしまう。ふとした瞬間に、こうして甘えたくなる。
「一緒に、行こう、薫殿」
 腕の中で、薫が身構えたのが彼には分かった。
 ──何もしないから。
 言い含めるように、囁く。
 それくらい切実に、今夜はこの人が恋しかった。

 




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