In this wrong situation


壊したくない。
なぜこんな風にまわりくどく彼女の側にいるかと言えば、その言葉に尽きる。彼女を壊したくない。この恋を壊したくない。俺たちの関係を壊したくない。
壊さないでいれば、いつか、もしかしたら彼女が、







「ん?ここ何か見たことあるな。」

松野さんの経営しているペットショップに着いた時、三ツ谷は小首を傾げて店を見上げた。

「はい?今からやっぱり無しってのはダメだよ、三ツ谷。」
「いや、違うけど。てか彼氏のフリするって何すればいいの俺。」
「うーん、確かに。」

三ツ谷と悪の(?)契約を交わしてから一週間。ついに彼は約束通り彼氏のフリをする為に一緒にペットショップについてきてくれた。この一週間、三ツ谷は律儀に契約通り昼ごはんを作ったり、奢ってくれたり、至れり尽くせりだった。もはや三ツ谷に就職ほうが幸せになれるのでは、とさえ思ったが、男の人の肌に触れられない私には儚い夢だった。仲の良い友人を不幸にすることはできない。

「そうだ、腕貸してよ。腕組んで入ってけば、それっぽいでしょ。」

私は少女漫画から得た知識で彼と腕を組んで店に入ればそれっぽいのでは、と指をパチンと鳴らした。

「は?大丈夫なのかよ、お前。」
「うん。身近な人は克服してきてるし、直接肌に触らなければ大丈夫。」
「あっそ。てか、呼び方も変えなくていいのかよ。」
「えー、あー、そうね。……三ツ谷の下の名前なんだっけ?」
「しばくぞ、何年目の付き合いだよ。」
「だって名前呼ぶ事ないし。仕方ないじゃん。」
「隆だよ。三ツ谷隆。」
「たかし、ね。」
「……おう」
「……はは、何か照れるね。」
「うっせ。早くいくぞ。」

三ツ谷はそう言うとそっぽを向いて腕を差し出した。悪態を吐きつつも私のおままごとに付き合ってくれるらしい。
私は三ツ谷の腕に自身の腕をひっかけた。布越しだが男の人の腕に触れたのなんて数年ぶりだ。少し緊張で手が震えたが、何も起きなくてほっと胸をおろした。

私の様子を確認して三ツ谷がゆっくりと歩き出す。
ドアを押すとカランカラン、とベルが軽い音を鳴らして店主へ訪問を告げた。松野さんが猫のブラッシングをしながら此方へ目を向ける。

「あ、ミョウジさん、こんにちは。と、もしかして三ツ谷くん?」
「あれ、千冬じゃん。見たことあると思ったら、ここ千冬の店か。」
「え?松野さんとみつ、隆は知り合いなの?」
「うん、千冬は俺の昔からのダチ。」

驚いたことに松野さんと三ツ谷は友人だったらしい。なんて狭い世界。こんなに地球上に人間が何億人もいるのに、こんなことってあるんですか。てか、まさかだけど三ツ谷と一虎が知り合いってオチはないよね。

「あ、三ツ谷と、ナマエ?何で一緒にいるんだ?」

噂をすれば一虎がきた。案の定、三ツ谷と一虎も知り合いらしい。私は面倒なことになったと頭を抱えた。

「もしかして、隆は一虎とも知り合いなの。」
「うん、まあ。」

歯切れ悪く三ツ谷が答える。三ツ谷も同じように面倒なことになったと考えているのだろう。

「まさか、ナマエの彼氏って三ツ谷か?」
「そうだよ、隆と私は付き合ってるの。」

こうなったら強硬手段だと私は三ツ谷の腕を引いた。三ツ谷は不意を突かれたようで、目玉が飛び出そうなほどびっくりした顔で私を見ている。すまん、三ツ谷。

「え、でも三ツ谷くん、この間合コン引っ張られてなかったですっけ?あっ……」

うっかりみたいな感じで松野さんが口を挟んだ。三ツ谷の表情がヒクリと歪んで私から顔を逸らした。松野さんってば余計な一言多くない?今言わなくていいじゃん?
三ツ谷が誰と合コンしてようが、どうだって良いんだけど、もし私が本当の彼女だったら間違いなく修羅場になっているよ。

「はあ?テメェ、三ツ谷、ナマエと付き合ってんのに合コン行くとか何考えてんだよ。」

何故か一虎が今にも掴みかかりそうな勢いで三ツ谷を睨む。アンタ、どういう感情でそんなに怒ってんだよと言いたいが、私は慌てて二人の前に立ち塞がった。

「いや、アンタ、どの口が言ってんのよ。数十年前にアンタが私にした事忘れたの?」
「いや、俺もそうだったけど。他の誰かがナマエを傷つけるとか考えただけで許せないんだよ。もし本当なら三ツ谷のこと殴らせろ。」
「は?マジで意味不明だし自分勝手すぎ。」

私はすごい剣幕の一虎を宥めようと頭を捻らせた。

「さっきから聞いてれば何チョーシこいてんだよ。お前は過去の男なんだから、俺らに関係ねぇだろ。」
「んだと、上等だ。表出ろや、三ツ谷。」

何かヤバい雰囲気になってきた。何が三ツ谷の逆鱗に触れたのか分からないが、三ツ谷もキレ始めた。もしかして三ツ谷も元ヤンだったの?頼むから喧嘩とかやめてくれ。私は頭をぐしゃぐしゃとかいて意を決して口を開いた。

「あー、もう辞めて!三ツ谷が彼氏ってのは嘘だから。」
「は?」
「おい、結局ネタバレすんのかよ。」
「流石に私のせいで喧嘩に発展してくとこ黙って見てらんないから。」

三ツ谷は溜息を吐いて頭をかいている。罰が悪いといったところか。
一虎に関しては呆然とした顔で私と三ツ谷を交互に見ていた。まだ状況を理解しきれていないようだった。

「つまり、三ツ谷はナマエの彼氏のフリしてただけってことか?」
「まあ、そうだけど。」

一虎が何故か嬉しそうに私に問いかけてくる。頼むから嬉しそうな顔すんな。心配しなくても、アンタに可能性なんて一ミリもないから。

「今のでやっぱり俺はお前が諦められねえって分かった。頼むから俺の話聞いて欲しい。」

ずいっと一虎が私に近づいてくる。やっぱり、一虎の反応はそう言った戯言を言いたかったらしい。私はそれよりも一虎が容赦なく距離を詰めてくることに慌てた。顔立ちは昔から大きくは変わっておらず端正な顔をしているが、彼は私の幼馴染の前に男なのだ。私は恐怖で背中に嫌な汗を流した。

「ちょ、お願いだから近寄らないで!」

私の声も虚しく一虎が私の手を掴んだ。男の人の手に直接触れたのは、実に4年ぶりのことだった。
私は一気に嗚咽感が腹の奥底から押し寄せて、一虎の手を振り払って慌てて口元を押さえた。一虎は私の反応に目を丸くしている。そりゃそうだ。私がこれを発症したのは、彼と別れてからだった。私はあわてて松野さんの元に駆け寄った。

「あの、トイレ、どこですか。」
「え、あ、その角の奥を進んだとこです。」

私はダッシュで走ってトイレへ逃げ込んだ。慌ててトイレの便器へこんにちわを決め込むと、間一髪で最悪の事態は免れた。目の端から生理的な涙が出る。少しずつ克服してきているかと思ったが元凶に対しては全く意味がなかった。てか、仕事の依頼元で私は便器に向かって何してんだろ。本当に情けない。心が鈍りみたいに重くなっていくのが分かった。

先程の光景を思い出して、私はさらに胸から押し寄せる吐き気を便器へ投げ出した。



「……。」
「……。」
「……。」

店内には痛々しい沈黙が続く。部屋の中の空気はあり得ないくらいに冷えていた。数秒前の出来事は、場の空気を凍らせるほど衝撃的な光景であった。

「一虎くんさぁ、何したら女の子に触れただけで、あんな反応されんの?」
「いや、それは、あの」

沈黙を破ったのは千冬だった。千冬の言葉に一虎はまごまごと言葉を濁す。自分のやったことに思い当たりがないわけでもないらしい。逆になかったら俺がぶん殴っているところだった。
俺は苛々する気持ちを抑えて、今は彼女の心配だと千冬に声をかけた。

「千冬、悪いけどティッシュとタオル借りていいか?俺、心配だから見てくるわ。」
「はい、お水も持ってきます。店の奥にソファがあるんで、暫く休ませてあげてください。わかってると思うけど、一虎くんは行くなよ。」
「はい……。」

彼女の反応が大分答えたのか、一虎は大人しく千冬の指示に相槌をうった。
俺は千冬からタオルとティッシュと水を受け取ると、奥のお手洗いへ進んでいく。
そっと奥へ進むとトイレの中に人の気配があった。俺は少し考えてから勤めて優しい声で声をかける。

「ナマエ、大丈夫か?」
「三ツ谷、大丈夫だから、こないで。」
「お前の嫌がることはしたくないけど、今のお前を一人でほっとくのは無理だ。タオル持ってきたから顔洗って少し休もうぜ。な?」
「……うん、ありがとう。」

顔を洗って洗面所から出てきたナマエが、フラフラと倒れそうになったところを慌てて腕を掴んで支える。間一髪で肌には触らなかったが、さっきの状況もあり、彼女の顔を覗き込む。顔色こそは悪いが吐き気はもよおしてないようで安心した。

「このまま支えてて大丈夫か?直接触んねえようにするから。」
「うん、ありがとう。めんどくさい体質で本当にごめん。」
「謝んな。一番辛いのはお前だろ。」

彼女をソファーまで運ぶと、雪崩れ込むようにぐったりとソファーに座った。俺は千冬から渡されたミネラルウォータのキャップを外して彼女に渡す。

「ちょっとでもいいから飲めるか?水分補給しないと脱水症状になると危ないから。」
「何から何までアリガトウゴザイマス。」
「気にすんな。」

とは言うものの、ナマエは気まずそうに水を仰いだ。俺も彼女がここまで症状が出たのは久しぶりに見た。

「はあ、何か久しぶりに症状出たから疲れちゃった。」
「タクシー呼ぶから、落ち着いたら帰ろうぜ。」
「いやいや、そこまではしなくていいよ。少し落ち着いたら帰るから、三ツ谷は先行ってて良いよ。」
「馬鹿、雇用者守るのが俺の勤めだ。」
「はは、もう三ツ谷様様だよ。本当にありがとう。」

そう言って恥ずかしそうにはにかむナマエに俺の胸はグッと苦しくなった。惚れた弱みってのは実に面倒くさいと思う。

20220114


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