I can treat you better


※トラウマ克服を試みる施術の描写がありますがフィクションとして読んでください。
※暴力表現あるため注意。

その日の朝は、今にも雨が降りだしそうな鬱蒼とした空だった。行き先が悪いなと感じながらも、悪い考えを押し込めて鞄からパンフレットを出す。どうやら、病院は駅からも少し歩くみたいだ。最寄駅からタクシーでも先に予約しておくべきか。
駅で三ツ谷を待ちながら、到着ルートについて考えていると三ツ谷からの着信が入る。駅に到着したのだろうか。私はスマートフォンの通話のボタンを押した。

「もしもし、着いた?」
「うん。目の前の道路脇に車停めてる。」
「え、」

驚いて顔を上げると、目の前に停まっている車から手を振る三ツ谷が見えた。私は恐る恐る近づいて助手席のドアを開けた。

「もしかして、わざわざ車借りてくれたの?」
「たまには運転しないと鈍るからな。ついでだよ。それより早く座ってシートベルト締めろって。」

私は言われるがままに腰を下ろしてシートベルトを肩に通す。助手席から見る三ツ谷はいつもとは別人に見えて少しドギマギした。ふとカーオーディオから流れている音楽に耳を澄ますと、私のお気に入りのアーティストの曲が流れていた。前に話していたこと、覚えていたんだ。三ツ谷のこういうところが、本当にずるいんだよな。これで一体何人の女の子を落として来たんだろう。三ツ谷が行き先をナビで調べている姿を、私はまじまじと見た。よくみたら眼鏡かけてるし。眼鏡の三ツ谷なんて仕事中に何度も見たはずなのに、今日見る三ツ谷はまた違って見える。

「何だよ。」

私の視線に気づいたのか、三ツ谷が怪訝な顔で私を見る。

「運転席マジックなのか、三ツ谷がいつもよりカッコよく見える気がする。」
「はは、何だよ、それ。」

三ツ谷は私の発言を聞いて、可笑しそうに笑った。しかし、髪の隙間から覗く耳が赤くなっていて、彼が照れていることが分かる。可愛いとこあるじゃん、と私は危うくキュンとしてしまうとこだった。

「折角だし、病院での用事が終わったらドライブでもするか?」
「え、わあ。なんか、デートみたい……。」

自分で言っておきながら、恥ずかしくなって口を塞ぐ。何おかしなこと言ってんだろ。これも助手席マジックか。

「ごめん。忘れて。変なこと言った。」
「なんで?デートじゃねえの?俺はそう思ってるけど。」

三ツ谷の言葉に私は目が飛び出そうになった。私を驚かせた当の本人は余裕そうな顔でハンドルに顔を預けている。こんな発言と姿が様になるのは三ツ谷がイケメンだからだろう。

「罪な奴め。」

私は照れ隠しに三ツ谷を睨んだ。私の気持ちがバレてるのか三ツ谷は見透かしたような顔で微笑んでから、車をゆっくり発進させた。
運転がてら、三ツ谷が妹の話を持ち出す。曲のおかげか、三ツ谷の話題のおかげか、私は思ったよりもリラックスして病院に向かうことができた。



「ここで大丈夫だよ。ありがとう。」

数時間すると車が大学病院近くに着く。三ツ谷に礼を言って、私は病院の扉を緊張する気持ちを抑えて潜った。

「こんにちは。病院に御用ですか。」

エントランスに入ると、若い看護師が私に気づいて声をかけてきた。流石、大きな病院もあってか周りの看護師は慌ただしそうに歩いている。

「あ、ええと。こちらの大学病院の教授とお約束がございまして。」
「もしかしてミョウジさんですか?」
「え、はい。そうです。」
「お待ちしておりました。ご案内します。」
「で、でも、連れがもう一人いるので待ってから行きます。」
「大丈夫です。もう一人の方は他のものが案内しますので。」

看護師の方は淡々と言うと、私を案内するかのように先導を始めた。病院の忙しそうな雰囲気に此処で悶着するのも迷惑かと思い、促されるままに私も足を進める。看護師はちらりと私がついてきているのを確認したのち案内を続けた。
暫く歩くと看護師は奥まった部屋の前で立ち止まりノックをした。部屋からはどうぞ、と男性の声が聞こえる。先生専用のオフィスか何かなのだろうか。看護師が扉を開けると書斎のような部屋に白衣を着た中年の男性が腰を下ろしていた。

「ああ、こんにちは。貴女がミョウジさんですね。」
「はい、こんにちは。」
「どうぞ、此方に掛けてください。」
「ありがとうございます。」

先生は愛想良く挨拶をすると、私を側の椅子に座るよう促した。壁一面にはいくつもの本が本棚に所狭しと敷き詰められており、入り切らない本が床に山積みになっているほどだった。机に置かれているいくつかの本は、何度も捲られているのか古ぼけてみえる。それだけで、正面に座る先生が熱心な方なのだろうと憶測ができた。

「遠くまでご足労いただきまして、ありがとうございます。天気は大丈夫でしたか?」
「はい。こちらこそ忙しいところお時間いただき、ありがとうございます。」

私は慌てて頭を下げた。私の反応に先生は考えるような表情をした。

「ふむ。差し支えなければ教えていただきたいのですが、羽宮さんは貴方の恋人か何かで?」

私は息を呑んだ。まさか一虎が余計なことでも言っているのだろうかと勘ぐったからだ。説明するのも嫌気がさして、私は視線を少し右に逸らした。

「違います。ただの古くからの───知人です。」
「そうですか。踏み入ったことを聞いて申し訳ない。随分、彼が足繁く私のオフィスに通うものだから、すっかりと勘違いをしておりました。大変失礼を言いました。」
「足繁く通う?あの、どういうことですか?」
「ああ、何でもないんです。忘れてください。」

その時、丁度タイミングよくノックの音が部屋に響いた。先生は先ほどと同じように訪問者を部屋に入るように促す。部屋に入ってきたのは一虎だった。

「先に少し話をしていたんだ。君もそこに座ると良い。」

先生は一虎に席へ促すように伝える。私とは少し離れた位置の座椅子だ。一虎が座ったのを確認すると、先生は机に向き直ってペンを手に取った。

「それで、貴女の症状はどういったものですか?」
「あ、その、男性の手を直接触れることができなくて。触れてしまうと吐き気を催したり、気分が悪くなってしまいんです。」
「ああ、僕が男性だからと気にしないでくださいね。ただありのままに事実を教えてください。」

先生のゆっくりとした話し方に、私は肩の力を抜いた。

「それはいつ頃からですか?」
「確か中学の時からです。おそらく、その、当時の彼と浮気相手の情事を見てしまったことが原因かと。」
「それは災難ですね。他にも思い当たりはありますか?些細なことでも大丈夫です。」
「うーん、他ですか。」

私は頭をひねらせた。正直、思い当たりと言えばそれくらいしかない。

「あ、そういえば、関係無いかもしれませんが、ある一定期間の記憶がないんです。」
ピクリと先生がその言葉に反応する。
「それは、どのように無いのですか?思い出せないという感じなのか、それとのすっぽりと抜けてしまったかのようにないのか。」
「えーと、後者ですね。一定の期間の記憶が抜けているようで。」
「そうですか。───では、今日はその記憶について話しましょう。」
「え?でも、私は思い出せないんですよ。」
「人は時にトラウマの恐怖から逃れるために記憶を失う事があるんです。」
「待ってください。つまり、私が記憶を失っているのはトラウマのせいって事ですか。」
「あくまで可能性の話です。そして、トラウマを治すには精神療法といって過去に感じた記憶を徐々に思い出す方法もあるんです。今日はまず失った記憶に鍵があるか確認してみましょう。」

先生は部屋のカーテンを閉じると照明の明かりをすこし下げた。

「彼には外で待ってもらいますか。あなたの触れられたくない過去に私は踏み込むかもしれません。」

一虎に目配せをすると、彼は心配そうな顔で私を見ていた。なんでアンタがそんな顔してんのよ。私は震える手を両手で組んで深呼吸をした。

「あ、いえ、中にいてもらって大丈夫です。」
「そうですか。わかりました。ミョウジさん、ゆっくり深呼吸を繰り返してください。初めに話しますと、この場所は安全な場所です。これから貴方が思い出すことは過去の出来事でしかありません。」
「はい。わかりました。」

先生の言葉に、私は違和感を感じた。まるで、私の抜け落ちた過去の思い出が、先生には悪い思い出だと分かっているような言い方だった。そうとは限らないのに。
しかし、私の考えとは裏腹に動機が少し早まっていくのを感じて喉がひどく渇いていた。

「すみません。水をいただけませんか。少し、緊張しているようです。」
「構いませんよ。どうぞ。」

先生は手近にあった小さな冷蔵庫からミネラルウォータのペットボトルを出すと、私の前に置いた。私はすぐさまキャップを開いて、水を一口飲み込んだ。

「準備が出来たら目をつぶってください。」

私は深呼吸を深くすると目を閉じた。

「ここは貴方の過去です。何か見えますか。」
「いえ、分かりません。何も思い出せないです。」
「よく目を凝らしてください。きっと徐々に見えてくるはずだ。」
「……だめです。みえません。」
「では、音はどうですか。何か小さな音でもいい、聞こえる音はありませんか。」
「音。なにか、木々がざわめくような音が聞こえます。それから、何か硬いものが床を叩く音。」
「硬い音ですか。それはどんなリズムで聞こえますか。一定のリズムですか。それとも不定期な音ですか。」
「一定リズムで、いや、徐々に早くなってきてます。」
「それは何の音か分かりそうですか?」
「これは、あ、足音です。誰かが私を追っている。どうして、」
「落ち着いてください。それは過去の記憶です。貴女は今安全な場所にいます。その恐怖を感じることは、もうないんですよ。」
「だめです。追いつかれる。いや!痛い!」
「大丈夫ですよ。それは貴方の過去の記憶です。ここには貴方を傷つけるものは何もない。ゆっくりとで大丈夫です。少しずつ話をしてみてください。」
「わ、私は───。」

高校に入学してすぐ、私はアルバイトを始めた。一虎の存在は、私には結構大きかったようで彼と別れてからも時々彼を思い出して胸が苦しくなっていた。しかも、別れて間も無く、彼は二度目の犯罪を起こして少年院に再び戻ることとなった。せめて私に謝ってからいけっての。

私は心の寂しさを埋めるようにアルバイトに明け暮れるようになった。別にお金が欲しかったわけでも、何か目標があるわけでもない。ただ、忙しくしていれば一虎のことを思い出す時間が少なく済んだのだ。

「やばい。遅くなった。」

その日は営業終了時間までお客さんが引かなくて帰る頃にはすっかりと帰り道に人通りが少なくっていた。いつも通る道のはずなのに、人がいない道は何となく気味が悪くて怖くなる。早る気持ちをそのままに、私は足を進めていく。

その時、道路を叩くようなカツンカツンと響く足音が聞こえた。私は驚きに肩を揺らして後ろを振り向く。数十メートル先には不気味な人影が見えた。私はゾクリと背筋が寒くなった。明らかに、その人物は私に合わせて足を止めたからだ。私は弾かれるように走りはじめた。しかし、その人物も私を追いかけるように走り始める。私は焦りで足をもつれさせ地面に膝をつく。ぬるりと背後から人の気配を感じて私はひりつく喉を必死に声をあげようと開いた。次の瞬間、頭に鋭い衝撃が走る。私を追いかけた人物は私の肩を掴むと、容赦なく制服のシャツを引きちぎった。首筋には冷たいナイフが添えられる。声が出なかった。本当に恐怖を感じた時、人は叫ぶことさえできなくなると初めて知った。

「いいねえ、その顔。ゆっくりといたぶってやるから安心しろよ。」

男は私の胸元にゆっくりと手を這わす。他人の手の温もりに、ここまで嫌悪感を感じるのは初めてだった。

「もっと、もっといい顔をしろよ。」

男はナイフを持った手を握り込むと、私の右頬を思い切り殴った。頬からはバキリと嫌な音がする。何が起きたのか分からなかった。衝撃にぐらぐらと視界が歪んで地面に手をつくしかなかった。次は右の腹に、次は左足の腿に、何度も何度も痛みが走った。

「おい、お前!何をやっている!」

どこからか明かりがさして、数十時間にも感じた長い時間が終わりを告げた。何が起こったのかは分からないけど、次に目を覚ましたのは病院の中でだった。
私はずっと、ずっと恐ろしい過去に目を閉じて何もなかったことにしていたんだ。

「私は、私はずっと。」
「ミョウジさん、目を開けてください。怖かったですね。しかし、もう貴方は助かったんです。貴方を恐怖に貶めた人物はもう居ません。」

先生は私を落ち着けるように諭した。暫く先生と話をして、今日の施術は終わりとなった。

「ナマエ、大丈夫か。俺、家まで送ろうか。その、ナマエが嫌じゃなかっただけど。」

一虎が私の様子を伺うように話した。表情は尚も心配そうな顔で私のことを想っているのが見て取れる。思い返してみれば、彼は昔からそうだった。私に何かあれば自分のことよりも、ずっと心配そうな表情をするのだ。私はその一虎の優しさが大好きだった。

「あ、三ツ谷が迎えに来てくれるから、大丈夫。」
「そっか。」
「一虎、ごめん。私、トラウマのこと、ずっと一虎のせいにしてた。本当は違うのに自分に起こったこと認めたくなくて嘘ついてた。」
「やめろ、謝るなよ。俺がナマエを裏切ったことは事実だし。俺がちゃんとしてたら、ナマエに起きたこともなかったかもしれない。」
「一虎。」
「……ナマエ、そこに座ってろ。まだ三ツ谷が迎えに来るまで時間あんだろ?」
「うん。」

私は一虎に促されるままに近くのソファに腰を下ろした。数分とかからずに何処かへ行っていた一虎が戻ってきて、私へ飲み物を差し出す。変な熊の絵が描かれている桃のジュースだった。

「あ、これ。」
「ふふ、それ懐かしいだろ。ナマエ、よく学校の帰り道にそれ飲んでたよな。」
「よく覚えてたね。」
「まあな。俺、ナマエにベタ惚れだったからな。お前の好きなものは全部覚えてたぜ。」

一虎が戯けるように笑う。その笑顔が昔の一虎と重なって、私はなんとも言えない気持ちになった。

「私も一虎の好きなものは全部覚えてたよ。帰り道によく行ってた肉屋のコロッケとか、夜の景色がよく見える手すりのない屋上とか、趣味の悪いアクセサリーブランドとかね。」
「おい、趣味の悪いは余計だろ。」
「ふふ、一虎似合わない厳ついパンチパーマとか柄ものシャツ着てたよね。本当にセンスはないんだから。」
「うるせえよ。」
「私が選ぶ服の方が間違いなかったでしょ。」
「まあ、確かにナンパが成功する時はナマエが選んだ服の時が多かったな。って、あーーー。」

一虎は慌てて頭を抱える。どうやら、無意識に地雷を踏んでしまったと気づいたらしい。一虎にしたら気づくだけでも少し成長したと思う。

「うわ、最低。しね。」
「弁解の言葉もねえ。本当に傷つけてばっかで悪い。」
「まあ、もういいけどね。私も傷つけたのはおあいこ様なんだから。」
「は、何言ってんだよ。傷つけたのは俺だけだ。俺は責められて当然のことをしたんだから、んなこと言うな。」

私は桃ジュースのプルタブを開けて喉に甘いものを流し込んだ。久しぶりに飲む味に悪い気はしなかった。

「ナマエ、今日は来てくれてありがとうな。このままナマエのトラウマが治るといいな。」
「うん。」
「そろそろ三ツ谷がくると思うから、俺は行くぜ。」
「うん。」

先に歩いて行く一虎の背中に、私は何も言えず見つめていた。これできっと、彼の背中を見送るのも今日で最後。
私は開きかけた口を閉じて、手元の缶を強く握りしめた。

20211220


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