初恋はムスクの香りだった

「おい、これ教えろよ」

私は重いため息を吐いて目の前の不良を見返した。
場地圭介は私のことを家庭教師とでも思っているのか、毎日のように勉強を教えろとせびってくる。いい加減にしてほしいところだが、断ったら何故か急に松野くんが出てきて「何でだよ?!場地さんに勉強教えてくれよ。」と怒鳴られた。別の日には花垣くんが出てきて「頼むよ、ミョウジさん。場地さんに勉強教えてあげてよ。」とせがまれた。お前らなんなんだよ。お前らが教えてやれよ。てか、そもそもお前ら同じ学年の高校生に、なんでさん付けで呼んでんの?マジ意味わかんねえんだけど。と言いたい気持ちだったが、断っても断ってもしつこく付き纏ってくる彼らに何を言っても無駄だと三ヶ月経ってやっと理解した。

「また?私もそんなに暇じゃないんだけど。」
「ミョウジ、どうせ帰宅部じゃん。」
「帰宅部でもやることあるっての。」

私はいつものやりとりをして、さっさと場地くんの席の前へ腰を下ろす。結局、彼から聞かれる疑問に答えて帰った方が時短だと気づいたのだ。もしここで無視して帰れば千冬くんがエンドレスで追いかけてくる。ホラー映画かよ。

「で、今日は数学?英語?」
「数学」
「はいはい。さっさと教科書開いて。」

場地くんは大人しく数学の教科書を開く。私よりもゴツゴツとした指で刺された箇所は、この間授業でやったばかりの問題だ。こいつ授業中なに聞いてんだっつうの。

「じゃあ、まず解いてみて。」

私の言葉に場地くんがおもむろにペンを走らせる。私は大人しく場地くんの動かすペンの動きを目で追っていった。スラリと長い指は見ていてなかなか飽きないものだ。時間を拘束されるのは嫌いだったが、彼の綺麗な手を目で追うことは嫌いじゃなかった。彼の手がピタリと止まったとこで、つまずいたのは今解いている数式なのだと分かり私はノートの文字を辿る。

「ここ、代入する数式がめちゃくちゃになっている。教科書の58ページ見て。」

私は彼の殴り書きの文字を指で辿って間違っている点を指し示した。ノートの上で並ぶ彼と私の手は随分と大きさが違うように見えた。彼は私の言うことを理解したようで、もう片方の手でペラペラと数学の教科書を捲っていた。私の教科書よりも幾分か使われている形跡があるので必死に勉強しているのは本当のようだ。

「これか?」

場地くんの手がしばらくした後、ノートへ恐る恐る文字をかたどっていく。それは私が思っていたものとは違う式だった。

「違うよ。これじゃなくて、もう一つあったでしょ。」
「あー?分かんねえよ。」
「いや、なんでよ。もっかい58ページ見て。」

場地くんがガシガシと頭をかき分けながら悩ましそうに教科書をめくる。彼の髪からはツンと大人っぽい香りがした。ああ、この香りなんて言うんだっけ。私はその香りに少し胸をときめかせる。いやいや、落ち着け。彼は九九も危ういような少年だ。年相応らしくない色気に当てられてうっかりとキュンとするところだったが、彼に惚れてしまった先には今のような勉強のマンツーマンの時間とめんどくせえ松野くんに絡まれることになるかもしれない。花垣くんは百っぽ譲っていいが、松野くんは何かと場地くんに対する態度がなってねえとか意味わかんないことで絡んでくるから嫌いだ。宗教かよ。まあ、私が松野くんにうざそうな顔するたびに、場地くんが出てきて松野くんをいなすんだけど。その時の松野くんは飼い主に叱られた犬のようにシュンとするので本当にいい気味である。シュンとするならやるな。

「これか?」

場地くんが正しい数式をそろそろと紡いでいく。今度こそは正しい数式がかかれていた。

「そうそう。それを当てはめたら、あとはわかる?」

場地くんが真面目な顔で問題を解いていく。伏せ目がちな顔から見えるまつ毛がツンと長くてついつい見惚れてしまう。悔しいことに私よりも幾分か長そうなまつ毛だ。つい彼が馬鹿なことに気を取られてしまうが、顔はとてつもなく美形なのだ。

「お、できた。こうか?」

場地くんが勢いよく顔を上げる。それに合わせて、また大人の香りが私の鼻腔をくすぐった。そうだ、この香りはムスクだ。雑貨屋で部屋に飾るフレグランスを探していた時に、似た香りを嗅いで何の香りか確かめたのだ。ムスクのフレグランスはとても気に入ったけど、なんだか場地くんを思い出してしまい、彼を意識してるみたいで恥ずかして買えなかった。

「正解。」

私が場地くんにそう告げると、彼は嬉しそうに微笑んだ。いつもは怖そうに見える吊り目が笑った時は幼く見えて可愛いと思うのだ。私は心のうちを隠すかのように彼の教科書をペラペラとめくった。

「松野くんは場地くんと同じ中学校なの?」
「あ?そうだけど、何でだよ。」
「いや、単なる好奇心?」

私の返しに場地くんは、さもつまらなそうに「フウン」と返した。何よ、いつも勉強教えてるんだから、少しくらい場地くんのこと聞いたっていいのに。私は少しムッとして教科書のページを捲り続けた。ちらりと顔を上げれば、彼の顔も同じようにムッとしていた。いや、だから、なんでよ。

「もしかして、千冬のこと好きなのか?」
「はあ?」

私は心から本気で気の抜けた声を出した。私があの面倒臭い松野くんを好きになるなんて天と地が裂けてもない。たとえそうしないと地球が滅亡するって言われたってない。絶対絶対ない。あんなめんどくさい奴。私は松野くんなんかよりも場地くんのような大人っぽくて、でもどこか少年のようなギャップがあるような人がタイプなのに。勘違いも甚だしい。

「あいつはダメだ。」
「いやいや、絶対ないけど。なんで?」
「まあ、それは色々あんだよ。」

その色々が気になるんだけど。まあ、普通に松野くんには彼女でもいんのかな。私だったら絶対嫌だけどな。あんなめんどくさい奴の彼氏なんて。付き合ったら毎日場地くんの話して来そうだし、デートよりも場地くんのこと優先しそう。

「逆に私が松野くんのこと好きそうに見えるの?」
「お前らよく喋っているだろ。」
「いや、あれは松野くんが場地くんのことで絡んでくるだけだし、話してくる内容もほとんど場地くんのことだよ。」
「そ、そうか。」

場地くんが私の返しに少し頬を染めてそっぽをむく。
え、何その反応。可愛すぎる。それって、その反応って期待していいってことなのかな。いやいや、待て待て待て。落ち着くんだ。そりゃ誰だって、仲良い友達と自分の話をずっとしているって言われたら照れるだろう。いや、ずっと場地くんの話をしているって言ったら、語弊があるけど。正確には、松野くんに場地くんの話題をふっかけられているっていう方が正しいから。

「それってよ、期待してもいいのか?」
「え?」
「俺の話、千冬とずっとしてるっての。」

場地くんがこんときに限って真っ直ぐに私をみつめてくる。場地くんの綺麗な瞳が夕焼け空の赤色に染まっていて、より一層綺麗に見えた。私の心臓はどきどきとうるさい。こんなん惚れないってほうが無理ゲーじゃん。

「俺はお前に意識して欲しくて毎日話しかけてるから、そうだと嬉しい。」

場地君は目を逸らさずに私にカッコいいことを言う物だから、私の心臓はいよいよ弾け飛ぶのではないかというくらい鼓動を打っていた。

「そうだって言ったら、場地くんはどうするの?」

私の返答に場地くんは眩しいほど嬉しそうに笑った。

「ミョウジが好きだ。俺と付き合ってくれ。」

私は熱い頬を片手でかきながら、ゆっくりと頭を縦にふった。高校に入ってからずっと、暇すぎて部活に入ればよかったと思っていたけど、これからはそんなこと思わないくらい楽しくなりそうだ。

松野に悔しそうに絡まれるまで、数時間前の出来事だった。

20211229
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