2005年10月31日 貴方に贈る

第一印象は五月蝿い女。
ただそれだけだった。

彼女と出会ったのは中一の秋。校庭の木々の葉は枯れ落ちて、ポツポツとマフラーなんかをし始める学生が出てきた頃だった。千冬とくだらねえ話をしながら、帰路までついて団地の階段で駄弁っていると、前から見慣れない女が歩いてきた。足取りはしっかりとこちらに向いているので、この団地の棟の新たな住民か、もしくは、この棟に知り合いがいるかのどちらかだろう。俺は何となく千冬の方へ視線を向けると、千冬はうんざりとした顔で女を見ていた。

「ちーちゃん、久しぶり。元気してる?」
「お前!そのあだ名で呼ぶなっつってんだろ。」
「何でよ。ちーちゃんってかわいいじゃん。昔はちーちゃんって呼ばないと寄ってこないくらい気に入ってたのに。」
「う、うるせー!とにかく今は話しかけんなよ。」
「あ、ちーちゃんのお友達ですか?こんにちは。ミョウジナマエです。制服を見る限り同じ学校ですね。」
「おい、勝手に場地さんに話しかけるなよ。」
「場地さんって言うんですね。よろしくお願いします。」

そう言って彼女はへにゃりと笑って手を差し出した。俺は差し出された手を無視するのも難だと、黙って握手を交わした。握った手はぽかぽかと温かくて、俺の手にすっぽりとはまる小さなカイロのようだった。改めて五月蝿い女の顔を見ると黒い髪が白い顔を際立たせていて青白くさえ見えた。なんとなくだが、消えてしまうんじゃないかと思うくらい儚い雰囲気があった。しかし、口を開けば耳を塞ぎたくなるほど喧しいのだから、実に不思議な女だ。

彼女は千冬の幼馴染で隣の団地の三階に住んでいるらしい。初めは見覚えのない女だと思ったのに、出会ってしまったら今まで気にしていなかっただけなのか、よく顔を合わせるようになった。女は何をそんなに話すことがあるのか、出会うたびにペラペラとくだらない話を俺にした。千冬の小さい頃の話、ペケJの好物の話、それから季節の花の話。どうやら、花が好きなようで将来は花屋になるのが夢だと、聞いてもないのにへらへらと語っていた。花に囲まれて暮らすなんて、この能天気そうな女には実に向いているだろう。俺は彼女が大人になって花を打っている姿を想像してみた。愛想も良いし、話すことも好きなようだし、似合ってると思った。


「あ、場地くん。こんばんわ。」
年終わり、俺はオフクロに頼まれて買い物に走らされていた。その帰り道に、女に声を掛けられた。彼女もまた買い物を頼まれたのか両手には袋が掛かっている。
俺は彼女の細い腕が折れないかと冷や冷やして彼女の荷物を奪った。

「あ、え、悪いよ。」
「うるせえ。この方が早く帰れんだ。」
「はは、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらおうかな。」

女は照れ臭そうに笑うと俺を見上げた。俺は何となくじっと見ていられなくて顔を逸らす。

「場地くんは凄いね。」
「あ?何がだよ。」
「優しいし、人を変える力があるんだよ。」
「は?急に何だよ。」
「ちーちゃんね。ちょっと前までは荒れてたんだ。色々あってね。俺が一番偉いから、誰の事も尊敬してねえし、敬語なんて使わねえって息巻いてたの。」
「ふうん。そうなのか。」

俺は千冬と出会った時の事を思い出す。確かに出会った頃の千冬は敬語を使っていなかったかもしれない。しかし、荒れていたというのは初耳だった。

「いい出会いは人を変えるって言うけど、その通りだと思う。ちーちゃんは前よりも丸くなったし、最近イキイキした顔してるんだ。」
女が嬉しそうに言った。俺は何故か彼女の表情に少しモヤモヤとする。
「場地くんのおかげだよ。」
「別に。俺は何もしてねえよ。」
「うんん。場地くんはちーちゃんのことも、私のことも救ってくれたよ。」
「あん?そりゃどう言う意味だよ。」
「よーし、場地くん、家まで競走しよ!負けた方が勝った方の言うこと聞くの!ヨーイドン!」
「は!?俺はお前の分の荷物まで持ってんだぞ。おい、待て、テメェ!」
「あはは。遅いよ、場地くん。」



季節は変わり、初春。
桃の木に蕾がつき始めた頃、俺はあることに気づいた。あの女に出会う前のように、女を見ることがなくなった。それに気づいたのは、家の近くの花屋で朗らかに笑う店主のおばさんを見た時だった。もしかしたら、彼女もあんな風に歳を取るのかもしれない。そんな事が頭をよぎった時に、はたと気づいた。長らく彼女の喧しい世間話を聞いてない。思えば、彼女と最後に会話をしたのは年の瀬のことだったか。
俺はその日のうちに、千冬へ彼女について尋ねた。単純に近況が知りたかったのだ。

「───アイツに口止めされていたんですけど、実はナマエは病気になって、年末から入院しているんです。」

彼女は末期の病に犯されていた。病室のドアを開けると、ただでさえ白いかった彼女の顔が益々青白くなっているように見えた。俺は彼女のベッドの隣に立つ。彼女は俺を見上げてへにゃりと笑うと、ゆっくりとかさついた唇を動かした。

「こんにちは、場地くん。来てくれてありがとう。でも、何だか、こんな姿を見られるのは恥ずかしいな。」
「何でだよ。」
「だって、私の顔、ひどくやつれちゃったし髪だって無くなっちゃったでしょう。」
彼女は目を逸らしてニット帽を深く被った。久しぶりに見た彼女の手は骨が角張って見えるほど痩せ細っていた。
「見た目なんて関係ねえよ。俺はお前の性格が好きだ。」
咄嗟に出た言葉だった。自分で言ったあとにしまったと思い、目を逸らして口を塞いだ。視線だけ動かして彼女を見ると鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くして此方を見ていた。

「んだよ。じっと見てんじゃねえよ。」
「あはは」

彼女がおかしそうにお腹を抱えて笑った。どれだけツボにハマったのか目の端に涙まで溜めて大爆笑をしている。

「だって自分でカッコいいこと言ったくせに首まで真っ赤にして、しかも見てんじゃねえよって。あはは。」
「おいコラ、いつまで笑ってんだ。」

彼女はひとしきり笑うと目の端に溜まった涙を拭いて、ゆっくりと顔を上げた。真っ黒な瞳の中にキラキラと光が瞬いていた。彼女の好きなものを語るときと同じ目をしていた。

「私も場地くんの性格が好きだよ。誰よりも友達想いで優しくて、困っている人を放っておけないところ。それから動物が大好きなところもね。」
「ふん。そーかよ。」
俺は彼女からぽんぽん出てくる褒め言葉に居心地悪くなり、目を合わせられなかった。無愛想な態度をここまで見せているのに、めげずに話しかけてくる彼女には心底凄いと思う。

「ずっと一緒にいたかったな。」
彼女の声が静かに病室に響いた。俺は驚いて彼女を見た。真っ黒な目が光を無くして俺を見た。
「私、あと数ヶ月しか生きられないんだって。」

頭の中で彼女の言った言葉を繰り返す。私、あと数ヶ月しか生きられないんだって。どういうわけなのか理解したくなかった。彼女はいつも通りへにゃりと笑ってみせて、何も変わらない笑顔を見せてくれているというのに、本当に死ぬというのか。
俺は彼女の目線にしゃがんで、彼女を正面から見た。

「諦めてんじゃねえよ。俺がついてるだろうが。」
振り絞って出たのは、どうしようも無い、安っぽい宥めの言葉だった。彼女は俺の言葉に肩を震わすとゆっくりと俺の肩に彼女の顔を埋めた。俺は彼女の泣き声に気づかないフリをして頭を撫でた。
それから、俺は何度も足蹴に病院へ足を運んだ。彼女はあの日から泣くことはなく、会いに行けばいつも朗らかに笑っていた。俺は彼女の笑顔を見るたびに、いつもホッとしていた。


しかし、彼女は数ヶ月後に呆気なく亡くなってしまった。これがテレビドラマであれば奇跡的な回復でもして、彼女は夢であった花屋にでもなっていたのかもしれない。でも現実は無常だ。俺は彼女の棺に菊の花を一輪添えた。棺には沢山の花が敷き詰められていて、むせ返るほどの花の香りが鼻腔をついた。俺は香りに当てられて涙を流した。いつまでも彼女を見ていたかったが、ゆっくりと彼女の棺から離れた。

式が終わり、会場を出ようとすると見知らぬ女性に話しかけられた。目は泣き腫らしたのか赤く腫れていて、表情はとても疲れているようだった。しかし、俺に向けた優しい笑顔は、どこかナマエに似ていた。

「場地くんよね。私はナマエの母です。ナマエと仲良くしてくれてありがとう。よくお見舞いに来てくれていたよね。これ、ナマエから貴方にって受け取ってくれる。」
「……ありがとうございます。」

俺はナマエの母から封筒を預かった。白い封筒の片隅に猫と花が描かれた綺麗なデザインが施されていた。
家に着いて彼女からの手紙を開けた。便箋には綺麗な文字で紙いっぱいにびっちりと文字が書き綴られていた。俺は上からゆっくりと目を通す。

『拝啓 場地 圭介様
病院から見える木々は葉っぱがひとつとついてなくて、冬が深まったことを告げています。でも、数ヶ月後には温かい風が吹いて可愛いピンクの蕾をつけるのだから、もう少しの辛抱だね。
さて、貴方は気付いてないでしょうが、私は貴方が私を認識する前から貴方を知っていました。三年前、中一の春。貴方は不良に絡まれている私を救ってくれました。ずっと貴方に御礼を言いたかったけど、貴方は名前も告げずに立ち去ってしまいましたね。それから一年後の秋、貴方と千冬が話しているのを見て、どれだけ驚いたことか。私は勇気を振り絞って貴方に話しかけました。貴方は無愛想だけど、昔と変わらない人の良さが出ていて安心しました。
またまた同じことを言ってしまうのですが、貴方は気づいてないかもしれないけれど、貴方の人柄の良さを周りは良く知っていて、貴方のことを大好きで仕方ないのです。貴方は時々辛い表情をして、何かに囚われて苦しんでいるようですが、貴方が人に幸せを与えているということを知ってください。そして、幸せになることを恐れないでください。私が生きれなかった分、貴方にいっぱいいっぱい幸せになってほしいのです。どうか、友人だけでなく貴方を幸せにしてあげてください。
最後に、私の性格を好きだと言ってくれてありがとう。俺がついていると励ましてくれてありがとう。私はあの言葉にどれだけ支えられたか。貴方は二度も私を救ってくれました。どうか貴方に感謝の気持ちを伝えたくて手紙に想いを綴りました。
それでは、まだ厳しい寒さが続くと思いますが、お身体に気をつけてご自愛ください。
敬具 3月11日 ミョウジ ナマエ』

俺は便箋を何度も読み返した。何度も何度も読み返して、それから彼女との出会いを思い出していた。この手紙を閉じてしまったら、彼女がこの世からいなくなってしまった事を認識するようで、なかなか手紙から手を離す事が出来なかった。
それでも人は生き続ける限り前に進まなくてはならない。



そして10月31日。
俺は自分で腹にナイフを刺して自決した。後悔はない。
最後まで、俺の好きなものを友人にも好きでいて欲しかったから。マイキー、どうか分かってくれ。一虎に悪気はなかった。悪気がなかったら何をやっていいかなんて、そんなわけ無いと分かっている。ただ、アイツは不器用で、人の祝い方って言うもんが分かってなかったんだ。俺はそれを知っていながらも止められなかった。
俺の罪だ。真一郎くんは俺も一緒になって殺したも同然だ。

ぼんやりと映る視界に千冬が涙を流しているのが見える。その奥には武道もいた。

「千冬、ありがとな。」

どこまでも俺を慕ってくれてついてきてくれた。
それから、武道、お前は不思議なやつだった。まるで俺の未来を知っているかのような。そして、真っ直ぐで諦めの悪いところは、どこか真一郎くんに似てる。何故かはわからない。お前にマイキーを託したくなった。

腹の痛みを徐々に感じなくなってきた。なんだ、体も重い。ついに幻覚まで見えてんのか、武道の後ろに真一郎くんまで見えた気がした。本当にごめん。真一郎くん。

俺は体の苦痛に抗うのをやめて、ゆっくりと目を閉じた。

「本当に貴方は、どこまでも友達想いなんだから。」

遠くで、お節介な女の声が聞こえた気がした。既に瞼は重くなっていて、目を開けて確認するさえ億劫だった。もし、あの世があるなら、一目でいいからお前に会いたい。それで、お前の屈託のない笑顔を見たい。

第一印象は五月蝿い女。ただそれだけだったのに、今は死ぬ間際まで考えているなんて。俺は馬鹿みたいにお前の事が好きらしい。死ぬ直前に気づくなんて皮肉なもんだな。

抱えきれぬほどの
弔花を投げ入れよ

20211031

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