それでも夜は明けるから

昨晩、喧嘩をした。
久しぶりに派手な喧嘩だった。

私は大泣きしてクッションやら本やら色々なものを圭介に投げつけたし、圭介は怒って買ったばかりのタブレットを真っ二つに割っていた。ここまで激しい喧嘩は出会って10年で初めてだった。私は怒って家を飛び出そうとしたものの、圭介は「こんな時間に出るなんて何考えてやがる。出て行くなら俺が行く。」と捲し立てるように言うと、財布と上着を引っ掴んで家を出て行った。

取り残された私は、毛布にひっくるまってソファの上で泣きべそをかく。とても眠る気にはなれなかった。眠ろうとすると瞼の奥に圭介にぶつけてしまった酷い言葉や、圭介の激昂した瞳を思い出して涙が出てきてしまうから。せめてもの救いは、お互いに明日が休みだったと言うこと。本当だったら、二人でお揃いのお茶碗を買いに行く約束をしていたのに。もう今更出掛ける気分なんかにならないだろう。いや、むしろ、このまま別れてしまうんじゃないかとさえ考えてしまう。圭介があそこまで私に感情を剥き出しにするのは昨日が初めてだった。勿論私自身にも同じことを言えるんだが。

思い返してみれば、喧嘩のきっかけは些細なことだった。圭介が飲み会の報告を忘れたために、私が余分に晩御飯を作ってしまったのだ。いつも報告してって言ってるのに。圭介は10回に1回は、こうして私に報告するのを忘れる。いつもだったらハイハイって流せたはずだった。でも、その日の私は機嫌が悪かった。

朝から仕事ではトラブルが起きて、客先に怒鳴られて嫌味を言われた。それは、上司のミスなはずなのに綺麗に責任転換をされて全ての罪を私が被ることになるし、そんななか入ってきたばかりの後輩がストレスでメンタルをやられたのかフォローが私にまわってきた。その子の教育係は私じゃないのに。とうの教育係の同僚は知らんぷりして業務をしている。任された以上、私は困っている人をそのままにできない。私はランチを食べる暇もなくひっきりなしで動いた。業務が片付いたのは時計の針が21時を示した頃だった。

圭介からは連絡がないため、いつもであれば、仕事が終わってないはずだ。私はだるい体に鞭を打ってハンバーグを拵えた。それなのに、帰ってきたメッセージは一言。「悪い。今日は千冬と飲んでくる。」だ。

鬱憤が溜まっていた私は怒りのままに「何でいつも事前に行ってくれないの。人の時間なんだと思ってるの。もう帰ってこなくていいよ。」と送信していた。分かってる。本当は。圭介だって、忙しくてついついメッセージを送るのを忘れてしまっただけなんだ。それに、たとえ私が余分に作ったとしても圭介はいつも上手いと言って全部食べてくれるんだ。分かってるんだけど、今日はもう心がささくれだって圭介に当たってしまった。そこで、素直にごめんって言えれば良かったんだけど、罰の悪そうな顔して帰ってくる圭介に、私はついつい思ってもない暴言をたくさん浴びせてしまった。
初めは、圭介は私の怒りを収めようと宥めていたが、話を聞かずに当たり散らす私に堪忍袋の尾が切れたのか起こり始めてしまった。その後は冒頭の通り部屋が滅茶苦茶になって、私は部屋で罪悪感に苛まれることになった。

膝を抱えてモヤモヤと考えていると、窓の外がうっすらと明るくなってきた。ついに夜が明けてしまったらしい。私が大きな溜息をついてネガティブループにハマっていると、足元にするりと暖かいものが触れた。足元を見ると愛犬のガンマが様子を伺うように擦り付いてきた。いつもは私の顔を思い切り踏んでご飯をくれと主張するのに、空気の読める優しい子だ。私は自然と笑顔が漏れた。

「ごめんね。気を遣わせちゃったね。ご飯ねしようか。」

私はガンマのお気に入りのご飯をお皿に入れると目の前に置いた。ガンマは嬉しそうにご飯を食べ始める。私は先程よりも幾分か気持ちが軽くなった。気持ちが軽くなったことで、私は朝ごはんを作ろうと思った。圭介が帰ってくるかは分からないけど、前に彼がおいしいと言ってくれたフレンチトーストを作ろう。食べてもらえなくてもいい。それでもいいから、今は彼の為に何かをしたかった。

卵を2つ割ると牛乳、砂糖を入れてパンを浸した。パンを漬け込んでいる間に、今度はコーヒーを淹れる。コーヒーから柔らかい湯気が立ち上った。部屋に優しい香りがいっぱいに広がる。淹れたてのコーヒーを熱そうにゆっくりと覚ましながら飲む彼の姿を思い出して目頭を熱くした。

その時、玄関から鍵の開いた音がする。リビングのドアが開くと圭介は驚いた顔で私を見た。彼の目の下にはうっすらとクマが見える気がした。もしかしたら、圭介も私のことを考えて余り良く眠れなかったのかもしれない、なんて。

「起きてたのか。───これ、買ってきた。」

圭介は昨日みたいに罰の悪そうな顔をすると手に持っている紙袋を掲げた。それは、私のお気に入りのパン屋の店の紙袋だった。圭介ってば良く覚えていたな。私は目に浮かんだ涙をこっそりと拭ってマグカップにコーヒーを注いだ。

「ありがとう。一緒に朝ごはん、食べよ。」



私達は朝ごはんを食べるとガンマの首にリードをつけて散歩をした。お互いに忙しかったせいか、こうして二人で散歩に連れて行くのは久しぶりだった。喧嘩をしていなかったら、こうして二人で歩くこともなかったかもしれない。

「あの、圭介。ごめんね。私、昨日はどうかしてた。仕事で忙しくて気持ちに余裕がなくなっちゃって、圭介に当たっちゃったんだ。」
「いや、俺も、夕飯いらねえ時は事前に連絡するって言ってたのに悪い。」
「うんん。忙しかったら忘れちゃうこともあるよ。」

ガンマが私たちの後押しをする様に元気に吠えた。私達は目を丸くして顔を見合わせた後、気が抜けたように笑った。

「あのよ、俺考えていた事があんだけどよ。もしナマエが良かったら何だけど、一緒にペットショップで働かねえか。」
「え?」
「勿論、お前がもし良かったらって前提だけどな。」
「何で急に。」
「ん───まあ、実は、ちょっと前から千冬には相談してた。最近、店の仕事も増えて人出が足りなくなってたのもあるし、結婚するなら働きやすい職場の方がいいだろ。」
「え、け、結婚?」
「あ?何だよ。もしかして、そんな気なかったとか言うなよ。」

圭介の顔は真っ赤になっていた。私の顔も恐らく同じくらい真っ赤になっているだろう。そんな風に圭介が考えてくれているなんて驚きだった。

「嬉しいよ。私も圭介とずっと一緒にいたいし。」
「そうか。でも、ナマエが今の仕事続けたいってんなら応援するからよ。何となく、今の仕事つらそうに見えたから、どうかと思っただけだ。」

お互いに忙しかった筈なのに良く見てる。新卒で入社してから大変ながらも、やり甲斐のある仕事だと励んできた。でも、いつからだろうか。自分のやりたい事が見えなくなってきて、理不尽な上司からはいいとこ取りされて、問題が有れば責任転換されるばかり、そろそろ辞めどきかなと思ってたのは事実だ。

「出来るなら一緒に働きたいな。私も動物好きだし。だけど迷う部分もあるな、何か仕事辞めちゃうの逃げかなって思っちゃうの。」
「逃げじゃねえだろ。聞く限り、ナマエの上司はやる気を利用して仕事押し付けてるだけだ。そんな奴に人生浪費して何か意味あんのかよ。」
「───はは、見事に図星だなァ。返す言葉もないよ。」
「自分のやりたい方を選べ。」

圭介は優しい笑顔を私に向けてくれた。この人は、誰よりも私の事を見てくれる。私の答えは圭介の言葉で決まった。

「うん。決めた。私、圭介と一緒に働く。」
「あん?もっと時間置いて良く考えれば良いんだぜ。」
「うんん。私、もう決めたから。」
「そうか。なら、良かった。」
「ふふ。プロポーズ、楽しみにしてるよ。」
「は、はあ!?」
「とびっきりロマンチックな言葉でプロポーズしてよね。」
「おい、変なこと言うんじゃねえよ。」
「あー、楽しみだな。何だか嬉しくなってきちゃった。」

私はガンマのリードを引っ張って走り始めた。ガンマも嬉しそうに走り始める。

「圭介、勝負しよ!先に正面の堤防までついた人が負けた人の言うこと聞くの。よーいドン!」
「おい、待てよ。走んなよ。」
「ガンマ、行くよー!圭介に負けるなー!」
「人の話聞けって!」

慌てて追いかけてくる圭介を私は笑いながら見ていた。人生の主役は自分だって言うけれど、これからは私だけじゃなくて圭介も一緒に歩んでいくんだ。そう思うと心強くて、どんな困難も乗り越えられそうな気がした。

20211114
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