「おい、聞いてんのか。」
「え?───ああ、場地さん。何でしたっけ、最近ネットで話題になってるポメラニアンと筋トレ美少女の話でしたっけ。」
「んな話、一ミリもしてねえよ。……後でその動画のこと教えろや。」 

 私は場地さんの呼び止める言葉に現実に引き戻された。目の前にはペケJの腹を撫でる場地さんがいる。ペケJは気持ち良さそうな顔をして体を伸ばしていた。

「場地さんも男の子ですね。その動画の女の子は本当に美少女で女の私もキュンキュンしちゃうくらいかわいいんですよ。」
「あ?そっちじゃねえよ。ポメラニアンが気になんだよ。」
「はは、場地さんらしいですね。まあ、ポメラニアンも可愛いんですけどね。」

 私はポメラニアンを見て癒されている場地さんを想像して苦笑した。場地さんは見た目も性格も男らしいが、意外なことに動物大好きという可愛い一面があるのだ。たまに動物の画像をメールで送ると短い文で礼を言う言葉が返ってくる。

 今日は暇をしていたので、場地さんと千冬からの連絡にのって二人に会いに……というよりはペケJに会いに千冬の家に来た。千冬と場地さんから写真を見せてもらっていたが生ペケJはとても可愛い。私は場地さんの腕からすり抜けたペケJをそばに抱くと、お腹に顔を埋めてスーッと息を吸った。ペケJはみゃーんと可愛くなく。やっぱり猫って最高だ。

「飲み物買ってきました。って何やってんだよ、ナマエ。」
「え、ケモノセラピーかな。」
「よく分かんねえけど。ペケが助けてって顔してるからヤメロ。」
「はいはーい。」

 私がペケJから顔を離すと、ペケJはヒョイと起き上がって千冬の胡座に座った。心なしか安心した表情をしているように見える。なんか負けた気持ちになって悔しい。私が恨めしげな顔で千冬をみると、彼は勝ち誇った顔をしたので余計にイラッとした。

 その時、空気を変えるかのように電子音が響いた。電話の着信を告げる電子音だ。私たちはきょろきょろと自分たちの服をぺたぺたと触った。その内、場地さんが自分の携帯をポケットから取り出して電話に出る。場地さんは電話の相手と二、三言葉を交わすと電話を切って立ち上がった。

「悪ィ。オフクロに呼ばれた。ちょっと外すから待っててくれ。」
「え、どうしたんすか。」
「夕方から雨降って来るから洗濯物取り込めってよ。」
「俺も手伝いましょうか?」
「いや、十五分くらいで戻るから大丈夫だ。」

 そう言うと場地さんは千冬の家から出て行った。部屋には私と千冬とペケJだけが残される。

「場地さん家ってこっから近いの?」
「え、ああ。この団地の五階に場地さん家があんだよ。」
「へえ。本当にご近所さんなんだね。」
「まあな。」

 そのあと、私たちの間には妙な沈黙が流れる。基本的に千冬はよく喋るが、たまにこうして沈黙が訪れることがあるのだ。結構、距離が近づいた気でいたが、まだまだ私たちの間には距離があるということだろうか。

「そ、そういえばよ。お前年始に会った時、急に走り出したけど知り合いでもいたのか?」
「年始……ああ、神社であった時か。」
「相当急いでいたみたいだけど。」
「まあ。昔の知り合いがいたから。」
「もしかして、それって前言ってた”兄貴みたいな人”か?」
「……まあ、うん。そんなことよりさ、場地さんとはいつ友達になったの?」

 つい私は暗い声で反応してしまう。私は話を変えようと別の話をふった。しかし、ふと顔を上げて目があった千冬の目は何故か悲そうに揺らいでいて私は困惑してしまった。何で千冬がそんな反応をするんだろう。なんだか自分の心が見透かされているようで少し居心地が悪かった。

「あのよ、深くは聞かねえけど、エマが心配してたぜ。」
「え?」
「お前、最近あいつの話もうわの空なんだろ。別に俺には話さなくていいけどよ。エマには相談してやったら。お前ら親友なんだろ。」

 私は下唇を噛んで窓の外をみた。なんと言っていいか分からなかったから。親友であったら何でもかんでも話さなきゃいけないのか。人には話したくない過去や秘密くらいあるだろう。そっとしておいて欲しい。もちろん、千冬がこう言ってくれるのは、ここ最近の私が心ここに在らずで心配だったからだと分かっている。もしかしたら、エマあたりから連絡も来ていたのかも知れない。自分でも皆が心配するほど腑抜けている自覚はあった。ただ、何をやっていても不意にあの時のことを思い出してしまうのだ。

▼数週間前

「よお、久しぶりだな、ナマエ。」
「うん。ずっと会いたかったよ───イザナ。」

 イザナは私の知っている姿よりも、ずっとずっと大人っぽくなっていた。当然といえば当然なのかも知れない。私が最後にイザナをみたのは、彼が十歳の時だった。当時、私は六歳で、あれから八年の歳月が経っていた。
 それでも、私は正面に立っている彼がイザナだと確信があった。何故かなんて問われたら分からない。直感だ。

 彼の耳には昔はなかった耳飾りが乾いた音を立てて揺れていた。

「俺はお前に会いたくなかったよ、ナマエ。」
「!、イザナ。昔のことはごめん。本当はすぐイザナに会って謝りたかった。」
「昔のことは、どうでもいいんだ。もう一度言うが俺はお前に会いたくなかった。」

 イザナは無表情で私の胸は掴まれたみたいに苦しくなった。彼が何を思ってそんなことを言うのか見当もつかなかった。

「ナマエ、お前養子に出てからも何度か施設に顔を出したらしいな。」
 私は目を見開いて彼を見返す。彼が、その事実を知っているとは思わなかったからだ。何度も足を運んでも会えないものだから、単純に入れ違いになっているか、別のどこかに居るのだとばかり思っていた。

「会えなかったのは、俺がずっと少年院にいたからだ。人を殴って、騙して、追い詰めて、自殺に追いやった奴もいたな。それで少年院に入ることになった。」
「イザナが?」
「ああ。そうだ。」

 私の知っているイザナは乱暴なところはあったものの、私のことを守ってくれる優しい人だった。そんな彼が誰かを死に追い詰めるなんて考えられなかった。

「なあ、人が死んだ時、俺はどう思ったと思う?」

 私は何も答えずに正面を見た。イザナは何がおかしいのか口元をゆっくりと弧に歪めた。先に彼の言うことが読めてしまったようで、私は両耳を塞ぎたい気持ちに駆られた。

「なんとも思わなかったよ。むしろいい気味だと思ったくらいかもしれない。これからもきっとそうだ。俺は自分のためなら、人を踏みつけて生きて行く。」
「イザナ、」
「昔、お前は俺を兄のように慕って後をついてまわっていたな。」
「今だってそうだよ。イザナにずっと会いたかったし大切に思っている。私が一人の時もそばに居てくれたのはイザナだったから。」
「じゃあ、お前は俺の為なら人を殺せるのか?」

 私は言葉に詰まった。イザナの目は冗談じゃなくて本気だった。本気で私がイザナの為に人を殺せる人間なのか図っている表情だった。

「俺は使えない人間は要らない。」

 感情のない冷たい声だった。それだけで、彼の言った通り昔とは酷く変わってしまったのだと分かった。

「おい、イザナ───ってあれ。お取り込み中だったか?」

 イザナの後ろから背が高く柄の悪い男たちが二人出てきた。一人は長い髪をお下げにしている男で、もう一人は丸眼鏡をかけた男だった。雰囲気からおとなしいお友達でないことは分かる。

「今会話は終わった。」
「そ。じゃあ行こうぜ。こっちも五月蝿え虫は黙らせたからよ。」

 よく見たらおさげの男の手には警棒のようなものが握られていて、そこから血が滴っていた。ゾッとするほど不気味な雰囲気を纏っていた。おさげの後ろにひかえている男も返り血なのか血がべっとりと服に飛沫をつけていた。微塵も動揺を見せていない姿から、この二人にはこれは日常茶飯事のことで、人を傷つけることに一ミリだって罪悪感が無いことが窺える。

 私と目が合うとおさげの男は愉快そうに口元を綻ばせた。私の背筋はゾクゾクと寒気が走る。なんだコイツ、気持ち悪い。こんな奴とイザナは一緒にいるのか。
 イザナは私の方を振り返らずに歩いて行ってしまう。私は慌てて彼を引き留めようと走る。

「イザナ、待って!」

 彼はゆっくり振り返ると私の手をはたき落とした。躊躇のない動きで私の手はビリビリと痺れていた。

「言ったろ。俺は使える人間しか側に置かない。もし万が一覚悟ができたら俺の元に来いよ。」

 イザナは今度こそ暗闇の奥へ歩いていった。まるで揶揄うかのように、側にいた二人の男は私に手を振り去っていく。



 珍しいと蘭は思った。
 女っ気がないと思っていたイザナが気の強そうな女と話をしていたからだ。しかも、雰囲気がどこかいつもと違う気がした。他の人間からすれば気づかないような微妙な違いだろうが、良くイザナと行動を共にする蘭は微妙な違いに目敏く勘づいていた。これは、何か面白いことが聞けるかもしれないと蘭は心の中でほくそ笑んだ。

「なあ、あの女の子。大将の女(ヨメ)か?」
「違えよ。何の関係もねえ、他人だ。」
「そ。でも、あの子は随分とイザナを気にしてるみたいだったな。」
「どうでもいい。」

 イザナはそっけなく蘭の質問に答える。それは彼のいつも通りの反応だった。蘭は少しばかりイザナの違う反応が見れるかと思ったので、思い違いだったかと肩を落とした。

「フーン。なんだァ、てっきり面白い話が聞けると思ったのに。」
「あ?なんの話ししてんだよ。」

 イザナがさも興味なさそうな返事で答えるので、蘭はついに女について話をふる意味がなくなってしまった。まあ、でも思い返してみれば、そこそこ良い女だったかもしれないと蘭は思い返す。年は随分と若そうだったが趣味のいい服の着こなしをしていたし、イザナに振られて悲しそうな顔をする姿はなかなか唆られるものがあった。

「なあ、大将が興味ねえなら、あの子俺が手出してもいいか?」
「兄ちゃん、ああいう強気そうな女好きだもんな。」
「うるせーよ。竜胆。」

 竜胆が揶揄うように兄をみて笑った。蘭は舌打ちすると竜胆の肩に腕を回して、反対の手で弟の髪型をぐしゃぐしゃと見出した。竜胆は悪態をついて兄の腕から逃れようともがいていた。
 しかし、ゾクリと一瞬で背筋が寒くなるほど空気が変わった。イザナが冷たい表情で此方を睨んでいたからだった。

「おい、ナマエに手出したら殺すぞ。覚えとけ。」
「あ、ああ。分かった。」

 蘭の返事を聞くと、イザナはさっさと歩いて行ってしまった。蘭と竜胆は暫く動けずにその場に残されていた。
 蘭は先程のイザナの表情を思い出す。あの目はマジだった。自分が手を出したら、イザナは本気で俺を殺そうとするだろう。

 一体、あの女はイザナにとって、どんな存在なのだろうか。気にはなるものの、これ以上、蘭は女について聞く気にはならなかった。


あの子がいる、地球


20211216
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