「あなたのことが好きです」

 俺は廊下の曲がり角から聞こえた女の声に心の中で舌打ちをした。夕飯時で人通りが少ないとはいえ、よりにもよって官僚の部屋が集まる、この廊下で告白するとは。兵士長である自分も例外でなく、その迷惑をこうむっている。自室に戻るには彼女らの傍を通らなくてはならない。いくら人から不器用と言われている自分でも、他人の取り込み中にそばを通り過ぎるような図太い神経を持ち合わせていない。
 仕方ない、時間をずらして戻るか。俺は踵を返して、元来た道を戻るため歩みを進めようとした。

「君みたいなかわいい子にそんな事言われるなんて嬉しいです。ありがとう」

 俺は聞き覚えのある声にピタリと足を止めた。否、間違えるはずがない。この低くて落ち着きのある声はナマエだ。ここ最近よくしゃべるようになったハンジのとこの新兵。常に笑顔を張り付けて冷静で、年のわりに物腰の柔らかいしゃべり方をする。でも、時に瞳にギラリと野望を光らせて雄々しい表情をすることも俺は知っていた。
 ああ、そうだった。彼は類い稀にみる美少年だ。だから、誰かに好意を寄せられるのも、告白されるのも、なんら不思議ではないであろう。しかし、普段ハンジやモブリット達といて女っ気がないせいだろうか。あいつも女や恋愛に興味があるのか、と純粋な疑問が湧いた。人の恋慕を盗み見聞きするなんて無粋な真似だと頭では理解しているが、つい耳を立てていた。そもそも、ここで話すコイツ達が悪いということにしておこう。

「それじゃあ、その、私と……付き合ってくれますか」

 オイ、こりゃ聞くべきじゃないな。だが、どうしてか、俺はナマエの答えが気になっちまった。

「ええと、ごめんね。俺は、今は恋愛とか考える余裕はなくて……でも君の気持ちはとても嬉しいです」

 オイオイ、定番な断り文句だな。俺は意地悪くもそんなことを考えていた。

「そうですか……」

「これからも、良い同僚でいてくれる?」

「もちろん」

「ありがとう」

 流石というべきか、俺では到底考えつかないであろう綺麗な断り文句だった。そして何も起こらないようで少し安堵した。俺は息子離れできねえ母親かよ。馬鹿らしいな。さっさと立ち去ろう。

「あの、一つだけお願いがあるの」

「ん?」

 ナマエの声と俺の心の声が一致する。

「2日後、また壁外調査が始まるでしょ?」

「うん」

 俺は何となく嫌な予感がする。

「私、不安で不安で、お願い。抱きしめてキスをしてほしい」

 女は震える声でそう言った。俺は「オイオイ、それはねぇだろ」と心の中で呟いた。壁外調査を盾に、しかも泣きそうになりながら言うとは。沸々と心の奧で怒りがわいた。

「お願い」

 もう一度、ダメ押しというように女が言った。

「……分かった。目をつぶって」

 クソが。最高に胸糞悪い気分になった。他人の自分がどうのこうの言えることではないが、人の弱さに漬け込む女にも、それに易々(やすやす)と屈するナマエにもイライラした。俺はこれ以上聞いていられなくて、その場を離れようとする。

「リーヴァーイ!!!」

 その時、遠くからハンジの呼ぶ声が聞こえた。クソメガネ!!!!俺は慌ててその場を後にした。見つかりゃ面倒だ。
 後でクソメガネを見つけ後ろから蹴り倒した。ハンジは驚いた顔で「え!?何で怒ってんの!?私何か気に障ることをしたかな!?」と喚いていた。腹いせにハンジを足蹴にしてみるも苛々した気持ちは収まらなかった。俺の様子にハンジもため息をついて、また後にするよと言って去った。



 その後、自室に戻って立体起動装置の手入れをした。何かをしていないと気持ちが紛れなかった。俺は時間を忘れるように、無心で手を動かした。

 何時間立ったろうか、軽いノック音が聞こえる。

「誰だ」

「夜更けに失礼いたします。俺です」

 ナマエの声だった。今日は最低の日だ。今は一番会いたくないというのに。

「何だ。要件は」

「2日後の壁外調査の件でお話があります」

「こんな夜更けに来て話さなくてはいけない事なのか?なあ、ナマエよ」

 壁外調査という言葉に、また先ほどのことを思い出して俺は苛々した。俺の言葉は完璧に八つ当たりだった。痛いほどの沈黙が生まれる。俺のピリピリした様子にナマエはどう返答すべきか、考えあぐねているのだろう。

「そうですね。おっしゃる通りです。すみませんでした」

 長い沈黙の後、いつもの調子で奴は言った。その声からは戸惑いも気分を害した様子もみられない。そして、カツカツと石畳みの廊下に彼の足音が遠ざかるのが聞こえた。急に心に生まれたのは後悔と、少しの焦燥だ。俺は何をやっている。
 急いで扉を開けた。

「リヴァイ兵士長?」

「入れ」

 足音がまた石畳みを叩く。先ほどと違うのは、その音が俺の部屋へ近づいてきているということだ。俺はどういう表情をすべきか、気まずいと思った。しかし、そんな考えもナマエの姿を見れば吹き飛んだ。奴は両手に盆を抱えてティーセットを持ってきているようだった。

「もし良ければお茶を入れてきたのですがいかがでしょうか」

 ナマエの落ち着いた声と笑顔はすんなりと俺の気まずさを溶かしていった。

「嗚呼、頂こう」

 ナマエはカップに静かに茶を注いで俺に寄越した。

「悪いが、椅子は一つしかねえ。そこのベッドにでも腰かけてくれ」

「はい。失礼します」

 俺は一口紅茶を飲んだ。俺にならってナマエもティーカップに口をつけた。

「ジャスミンか。悪くない」

「はい。やっぱり兵士長の入れた紅茶が一番ですが」

 そういってナマエは柔く微笑んだ。こいつは本当に人を立てるのが上手い。こういうことをどこで習ってきたんだ。

「それで、本題ですが、2日後の巨人捕獲作戦のことです。俺も巨人を引き付ける役に、急なことですが抜擢されました」

「あ?何故だ。その話なら立体起動の操作と対巨人に慣れている者が多い俺の班が中心に引き受けることになったはずだ」

「おそらく、ハンジ班からお取り役がでていないことに多くの兵から不満が募ったんでしょうね。一新米の俺から見ても、他の兵からのハンジの班への風当たりは日に日に悪くなっていると感じていましたし」

「オイ待て、それにしても、何でまだ新米のお前がやるんだ。おかしいだろう」

「いいえ。捕獲装置には複雑な操作方法が必要です。それぞれの装置には操作法をよく理解しているハンジ班の先輩方がつく予定です。そして、役がないのは俺だけでした。だから俺がハンジさんに買って出たんです」

 そう言われれば筋が通っているようにも思える。それにしても、外野の奴らに苛々した。俺は紅茶を飲んで感情を落ち着ける。気持ちを落ち着けさせる訳にジャスミンを選んだってことか。クソガキが。紅茶の知識なんて吹き込むんじゃなかった。

「それに俺は立体起動は得意ですよ」

 ナマエがおどけるように言った。俺は笑う気になれるわけもなく、ため息をついた。

「ここからはご相談なんですが、明日のリヴァイ兵士長の班の演習に俺を参加させていただけないでしょうか?」

「愚門だな。そのつもりだった」

「ありがとうございます」

 ナマエがやけに笑顔で答えた。その姿は実に楽しそうだった。こいつは能天気か?

「なぜそんなに嬉しそうなんだ。そんなに死に急ぎてえのか」

「まさか。ただ、憧れの人の傍で一緒に仕事できるのが嬉しいんです」

 予想外の言葉に俺は唖然とした。呆れも同時に沸いたが、正直に言えばこんなに率直に好意を向けられて嬉しくないわけがなかった。俺は頭を抱えて俯いた。

「お前そんなに俺に尊敬の念を持ってたのか」

「はい。一番慕っています」

 俺は椅子から腰を上げて、ナマエの隣へ腰を下ろした。ギシッとベットの軋む音が響く。ナマエはぱちぱちと長いまつげを瞬かせて俺を不思議そうに見ていた。

「いいか、ナマエ。俺を慕っているというなら、お前は簡単に他人に屈するな。俺はそういう奴をみると反吐がでると今日気づいた」

「は?といいますと」

「手前、さっき女に強請られてキスしたんだろ?」

 その言葉にナマエは心底驚いた顔をした。この顔を見りゃ、本当にしたってことが簡単に分かった。余計に胃がズンと重くなる気がした。俺はナマエの顎を乱暴に掴んだ。

「な、何でそれを」

「俺の部屋の近くでやっておきながらよく言うな?」

 片手で頬をつぶす。

「ひょっひょれは、ひゅみまひぇん」

「あ?何言ってるか分かんねえよ」

「ひひゃい!ひひゃいえふ!!」

 ナマエの口の端時から唾液が垂れた。テラテラと燭台の火にゆれて唇が妖艶に見える。俺は掴んでいた手を放して、ナマエの頬に添えた。そのまま、親指でナマエの下唇をなぞる。柔らかく、ふっくらとした唇に俺は目が離せなくなった。この唇を卑しい女に簡単に許したと思うと苛々した。

「クソが」

 俺は懐に入れていたハンカチでナマエの唇を擦った。そんな事実消えてなくなればいい。この俺の頭からも、ナマエの記憶からも、あの卑しい女の存在も。
 ナマエは声にならない悲鳴を上げている。そしてその数分後、訪ねてきたハンジによって我に返ることとなった。

Growth is often a painful process.

20170607
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