女型の巨人捕獲作戦後、俺たちは壁内に帰還した。壁内に戻ると休む暇もなく報告と作戦会議が繰り返される。慌ただしく時間が過ぎる中で、ハンジにナマエを見てないかと呼び止められた。どうやら姿が見えないらしい。俺は考えを巡らせて空き部屋から人の気配がしたなと思い起こしていた。

「おい、そこで何ボンヤリしてやがる」

 俺は空き部屋に入ると、ナマエを見つけ呼びかけた。しかし、彼は反応することなく椅子に座って俯いている。よく耳を澄ますと何かをブツブツと呟いているように見える。俺はその光景にゾクリと背筋が薄ら寒くなった。
 俺は咄嗟にナマエの肩を掴んで様子を見た。顔は感情が抜け落ちた見てえに無表情になっていて、瞳は焦点が合わずブツブツと何かを小声で呟いている。何を言っているのかはよく聞き取れないが別の国の外国語のようにも聞こえる。俺は舌打ちをして、ナマエの肩を強く揺さぶった。

「オイ、手前何てツラしてやがるんだ。起きろ、ナマエ」

 再度ナマエの名を呼びかけると、彼はハッとした顔をして俺を見た。その表情はキョトンとしていて驚いているようにもみえた。

「お前、自分が何をしていたか分かっているか」
「あ、すみません。俺、寝てたでしょうか。今意識がなくなっていました」
「──良い。何でもねえ。」

 まただ。
 前に見たみたいにナマエは意識が抜け落ちたみてえにぼうっとしていた。いや、この前は静かに座っているだけだったが、今回は何か意味の分からねえ言葉を呟いていた。むしろ状況が悪くなったようにも思える。

「それより手前のことハンジが探していたぞ」
「承知しました。教えていただき、ありがとうございます」

 そう言うとナマエは椅子から立ち上がって歩き始めた。俺は黙って彼の後に続く。その事にナマエは目を見開いて俺を見た。

「あの、どうしましたか?」
「俺もハンジに少し用事が出来ただけだ」

 俺はナマエの手の甲に目を落とす。前よりも彼の手は骨張っているように見えた。

「ナマエ、ちゃんと飯は食ってんだろうな」
「え」
「痩せただろ」
「あ、はい。はは、よく気づかれましたね」
「ちゃんと飯は食え。いざという時動けなくなる。」
「はい。以後気をつけます」

 ナマエは俺の方を見ると力なく笑った。壁外調査後だから当たり前だと思うが、酷く疲れているように見えた。



「ハンジ、ちょっとツラ貸せ」

 俺はナマエとハンジの話が終わった後にハンジを呼び出した。ハンジは何か察したような顔をするとナマエを部屋から出す。

「で、どうしたんだい、リヴァイ」
「手前、ナマエのこと何か知ってんだろ」
「──何のことだい、リヴァイ」「茶番はいい。ここ数日のナマエの様子は明らかに可笑しい。何か知ってんなら教えろ」

 ハンジはジッと俺の顔を見ると、深くため息をついた。どうやら、俺の予想は的中したらしい。

「ナマエは病気なんだ」
「病気?どこか悪いのか」
「嗚呼、身体じゃなくて──心のね」
「心?どういうことだ」

 俺は睨むようにハンジを見る。心とはつまり、何か精神的な疾患を抱えているということだろうか。

「ナマエのこと、彼から何処まで聞いているか知らないけど、彼は昔劇団にいたんだ。随分ひどい劇団でね。孤児の子供を引き取っては奴隷みたいに扱っていたそうだよ。上手く言いつけが守れなかったらムチで打ったり、太客が望めば見目のいい子を貸し出したりね。特に団長が最悪な奴でさえ小さな子供をいたぶって凌弱するのが趣味だったらしい。らしいって言うのは確かな証拠が何も残ってないからだ。」
「おい、まさか、その胸糞悪い奴がナマエの名付け親だって言うんじゃねえだろうな」

 俺は手に持っていたティーカップを勢い余って握りつぶした。破片が散らばってテーブルが汚れた。俺は舌打ちをして破片を片付ける。

「そのまさかだよ。ナマエは出会った時から解離性同一性障害を患っていてね、昔の記憶が殆ど無いんだよ。それは彼が自身の身を守るための本能みたいなものさ。別の人格を作って、そこに辛い過去を閉じ込めてるんだよ」
「つまり、アイツがボケっとしてる時は別の人格に入り込んでる時ってことか」
「そう。ここ数年で症状が良くなって来てたんだけどね。今回の件はかなりこたえたみたいだ」

 俺は脳裏にエルドやペトラ達の事が浮かんだ。ナマエは一度、隊の奴らと共闘したこともあって、かなり心を許していたらしい。特にペトラとは良く話し込んでいるのをよく見かけた。

「それで、そんな奴がどうして調査兵団にいるんだよ」
「そうだね。本来だったら精神的に不安定なナマエを調査兵団に残すべきじゃない。平和な壁内で暮らす方が精神的に安定するだろう。だけどナマエはまだ17歳。たとえ調査兵団から民間人に戻ったとしても名付け親の元に帰ることになってしまうんだよ」
「だからアイツを調査兵団に入れたままってことか」
「そうだ。それに大前提として彼は自分の意思で調査兵団に残っている」
「そうだったな。それは奴に聞いた。全て合点がいった」

 俺は破片で切った手をハンカチで拭う。次から次へと面倒なことばかり起きやがる。白いハンカチへジワリと血が滲むのをうんざりした気持ちで眺めた。

「それで、奴の病で他に現れる症状はなんだ。あとソレはどうなればマシになるんだ。ここ数年、病を隠せていたって事は少しは良くなる方法を知ってんだろ」
「私が知る限りでは、症状としては突然意識を失ったように呼びかけに応答しなくなって、何かをブツブツと話したりすることがあるね。そして、まだ明確な治療方法は分かってないんだ。ただ今現状で言われていることは、彼の事を受け入れて情を持って接してあげること。そして彼の話に耳を傾けること、かな」
「分かった。頭に入れておく」

 ハンジはふと柔らかく笑うとティーカップに目を落とした。

「頼むよ。ナマエってばすごーく生意気なんだけどさ、なんかほっとけないんだよね。かわいい弟が出来たみたいだよ」
「フン。似てねえ兄弟だな」

 俺は席を立って部屋を後にした。後ろから「おいおい、ティーカップは片付けていきなよ」という悪態が聞こえたが、聞こえてないふりをした。

 情を持って接する、か。俺は一体アイツに何を与えられる。俺は血の滲んでいるハンカチを握りしめた。

There is strong shadow where there is much light.

20211106
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