早朝、いつものように演習場にはリヴァイ班の面子が揃っていた。ただ、いつもと違うのはリヴァイ班のメンバーとは別にもう1人の少年がいる事だ。
「急な事だが、こいつは明日の巨人捕獲作戦で引きつけ役に加えられた新兵だ。オラ、挨拶しろ」
リヴァイがメンバーの前へ突き出すように彼の背中を叩いた。不躾だが、これがリヴァイなりの親切心であることをナマエは少ない付き合いから理解していた。ナマエは少しでもリヴァイの優しさに応えたいと思い切り敬礼した。
「ハッ 私は103期訓令兵として卒業し、現在はハンジ分隊長のもと支えているナマエと申します。まだ未熟な分際ではありますが先輩方のお役に少しでもたてれば幸いです。どうかご指導よろしくお願いいたします!」
その潔い敬礼にリヴァイ班の部下が圧倒されていた。数秒後、オルオがハッとしたようにナマエへ絡みに行く。
「おいおい、お前みたいな新米が役に立ちたいだって?先ずは自分の命の心配でもするんだな」
「オルオ、辞めな。大人気ない。ごめんね、ナマエ」
ペトラが呆れたようにオルオを諭した。
「私は気にしていないので大丈夫ですよ」
そう言って、ナマエは気を悪くした様子もなく笑顔を張り付けていた。その爽やかさにオルオの大人気なさが浮き彫りになっているなとペトラは心の中で思った。
「ふん!俺はオルオ・ボザドだ。覚えとけ新兵」
意外なことに先陣をきって彼に挨拶したのはオルオだった。
「俺はエルド・ジンだ。エルドと呼んでくれればいい」
「グンタ・シュルツ。よろしくな、ナマエ」
「よろしくお願いします」
ナマエは一人ひとりの先輩たちと握手を交わした。
「最後に、私はペトラ・ラルよ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします。正直に言いますとペトラさんの事は存じておりました」
「え?」
ナマエがそう言ってオルオ達と同様にペトラの手をとった。しかし、その動作は他よりも丁寧な仕草である。
「美しい女性だとは聞いていましたが、噂よりもずっと美しいですね」
そう言ってペトラの甲にナマエは顔を近づけた。あまりのナチュラルな動作に、そこにいたリヴァイ班全員が呆気にとられていた。
数秒後、ナマエの背中へリヴァイの盛大な蹴りと、団員からの罵声が飛んだ。
「ひどいですよ。何するんですか」
「お前こそ何してんだよ」
痛そうに身体をさすっているナマエへエルドが噛みつくように言った。
「え?挨拶ですよ」
ナマエの顔は当然じゃないですかと言っているようだった。
「何キョトンとした顔で言ってんだよ!ナンパしてたじゃねえか」
「あはは。やだな、私はただ美しい女性を褒めただけですよ」
「何てタチが悪い野郎だ…!」
ペトラはその様子を苦笑しながら、しかし少し嬉しい気持ちでみた。その喜びは、ナマエの挨拶ではなく、彼等の反応から自分がリヴァイ兵長を含めた4人から大事にされている存在だと感じられたからだ。
「まあまあ、時間もなくなるし早く訓練を始める準備しましょうよ」
軽い準備運動の後、今度は立体起動操作の訓練に入った。何年も調査兵団に身を置く強者が揃っているだけあって、リヴァイ班の者は全員身軽で無駄のない動きが多かった。特に、リヴァイはずば抜けてスピードが速かった。いつも遠くから見てるのと、近くでその動きを見るのでは迫力が全然違うものだった。ナマエはついリヴァイの動きに見惚れていた。それを目ざとく見つけたオルオが彼を茶化す。
「おいおい、ナマエ、いくら兵長の動きが素晴らしいからって見すぎだぜ。惚れたか?」
オルオの意地の悪い茶化し方に、ペトラは制止しようとナマエを見た。しかし、彼は意に介した様子もなく、むしろ嬉しそうに笑った。
「はい。惚れぼれしております。近くで見ると、とても勉強になりますね」
素直な反応にオルオは居心地が悪そうに顔を歪めた。そして、もごもごと「俺だってなあ、心から尊敬している」と呟いているのをペトラは見てしまった。ついつい頬が緩んでしまう。
「……おい!ペトラ!」
不意にリヴァイがペトラに向かって叫んだ。ハッとして後ろを見ると、巨人を模したハリボテが音を立てて倒れてきていた。
ナマエは立体起動のガスを慌てて噴かして地面を蹴り出した。あの大きなハリボテの下敷きになるよりは、人に体当たりされた痛みの方が軽いだろうと考えたからだ。
あと30センチでペトラのもとに届くというとこで、ハリボテから落ちた木の片が右肩に接触する。バランスがぐらりと崩れた。ナマエはまずいと頭の隅で思う。このままじゃ二人共ども下敷きだ。しかし、予想していた痛みは来なかった。直ぐに体制を立て直してペトラを抱え脇へ転がり込んだ。ナマエは自分の体が下になるように受け身を取る。
「ごめん、ナマエ!」
ペトラがナマエの身体から退いて、慌てて言った。
「私は大丈夫ですよ。ペトラさんこそ怪我はありませんか?」
ナマエの紳士な対応にペトラはつい頬が熱くなった。もし自分が兵長へ全てを捧げると誓っていなかったら、彼へ惚れてしまっていただろうと思った。
ペトラがそんな思いに耽っているのも他所に、リヴァイがナマエの首根っこを掴んで立たせた。
「手前、禄に助けもできねえ癖に出しゃばるな」
リヴァイの凄みにペトラは直ぐに我に戻った。
「兵長、待ってください。私の不注意でしたのでナマエのことは」
「うるせえ。今はコイツと話してんだ」
リヴァイの低い声にペトラはぶるりと寒気がした。他の団員を見ればご愁傷様というように気の毒そうな顔で二人を見ている。
「おい、俺が咄嗟に演習器具にブレードを投げてなかったら手前も下敷きになってたんだぞ」
先ほど、ハリボテが倒れるのが遅く感じたのは、リヴァイが機転を利かせてブレードを投げていたからだったようだ。
ナマエは納得したのと同時に項垂れた。リヴァイの言うとおりだとナマエは思ったのだ。自分がペトラ諸共下敷きになっていたら、とんだ2次災害である。もしくは、自分が出しゃばる前に他の誰かがもっと上手くやっていたのかもしれない。
「これが壁外なら戦力を2倍下げることになる。それが最終的に全滅につながるかもしれねえ」
リヴァイの言うことはぐうの音が出ないほど正論だった。
「すみませんでした。考えが甘かったです」
「お前を明日の戦線から外してやりたいところだ」
ナマエは慌ててリヴァイの顔を見た。それだけは、どうにか避けたいと下唇を噛む。
「だが、立体機動の動きは悪くない。だから使うつもりだ」
ナマエとペトラはほっとして肩を下ろした。
「ありがとうございます。それから、本当にすみませんでした」
「もういい。お前ら今日は休んで明日に備えろ。俺は今から昨日備品点検した奴をシメてくる」
リヴァイが去ったあとナマエの肩をエルドが励ますように叩いた。
「まあ、運が悪かったな。あそこで動けたのはお前だけだったし、俺は悪くない判断だと思うぞ」
「そうですかね」
ナマエは叱られた犬のようにションボリした顔をしていた。
「ナマエが助けてくれなかったら、私大怪我してたかもしれないわ。本当にありがとう。」
ペトラがナマエの手をとって微笑んだ。その温かい言葉にナマエの気持ちは幾らか軽くなった。
*
前方から椅子を引きずる音が聞こえ、ナマエはブレードを整備している手を止め顔を上げた。そこにはリヴァイが不機嫌そうに座っていた。彼は何を言うでもなく、ただそっぽを向いて足を組んで座っている。ナマエは目を瞬かせて目の前の彼を見つめた。
「お疲れ様です」
「嗚呼」
夕食後の人が出払った食堂へリヴァイが来る理由をナマエは分からなかった。おそらくは、リヴァイが何かを自分に伝えにきたのだろうと考えて言葉を待っていた。だが、沈黙だけが部屋の中を支配している。ナマエは小首を傾げた。
「あの……俺に何か?」
ナマエは悩んだ末に言った。しかし、リヴァイは何も答えない。ただ目も合わせずにどっかりと足を組んで座っている。ナマエは少し考えた後に、口を開いた。
「お茶でも入れましょうか?」
「頼む」
リヴァイの返答にナマエは何も言わずに微笑んだ。その笑顔はいつもよりも感情のこもった表情だった。しかし、そっぽを向いていたリヴァイはそれに気づいてはいない。
今日はアールグレイを淹れた。ナマエはその上品な香りに頭がすっきりとした気持ちになった。彼の目の前の上司も優雅に紅茶を飲んでいる。
「こうして夕食後に紅茶を飲むのは久しぶりですね」
「そうだな」
「俺も紅茶を淹れるの上手くなったと思いませんか?」
「何生意気なこと言ってやがる。まだ俺の方が上手い」
「はは、それは正論ですね」
ナマエはリヴァイと過ごすティータイムが一等好きだった。ゆったりとして、時間を忘れられて、目の前の上司は沢山の紅茶の知識を話してくれる。彼は意外とおしゃべりなのだ。それは彼と親しい者しか知り得ないことで、自分もその一人であるのがとても嬉しかった。
「おい、そういえば怪我はないか」
「ああ、大丈夫ですよ。俺は頑丈ですので。ですがペトラさんが心配ですね」
そう言ってナマエは顔を曇らせた。リヴァイは何かを量(はか)るように彼をじっと見つめた。
「さっきペトラと話をしたが、問題ないそうだ」
「それは安心しました」
リヴァイの言葉にナマエはいつもの笑顔を戻した。
「お前ペトラが好きなのか?」
「え?」
リヴァイのストレートな質問にナマエは驚いた。
「何、そう考えれば、あの夜の嬉しそうな顔にも納得がいくと思ったんだ」
その言葉にナマエの表情が固まるのをリヴァイは見た。その真意が未だに測れない。
一方でナマエは驚いていた。リヴァイの言う”あの夜”とは先日の夜リヴァイの部屋で紅茶を飲んだ時のことであろう。ナマエは彼から”好意を寄せている女性と任務を通じて仲良くしようとしている”と思われていることに我慢ならなかった。ましてや、あの夜、彼にははっきりと自分の心中を伝えたつもりだった。それなのに、まだ信用されていないのかという気持ちと、そんな浅ましい人間だと思われていることに落胆した。
「俺は貴方を裏切るような嘘はつきませんよ」
その唸るような低い声にリヴァイは驚いた。感情をあまり見せない彼だが、その声は明らかに不機嫌そうであった。リヴァイは彼の反応から、どうやら自分の読みは外れていたらしいと悟った。不思議なことにほっとしている自分がいる。目の前の少年が変わらず自分を慕っていると分かったからだろうか。
「そうか」
「心外ですね。俺は心から貴方と仕事ができて嬉しいと思っているのに、当人にはそう思われていなかったなんて」
いつもの物腰の柔らかいしゃべり方から一転して、珍しく饒舌にナマエが言った。リヴァイは彼が拗ねていると気づいた。
「俺はただ確認したかっただけだ」
「分かっています。ただ……いいえ、何でもありません。俺はもう寝ます。明日、行動で貴方への忠誠を示しますよ」
律儀にも、彼はティーカップを盆に乗せて席を立った。躍起になっている彼にリヴァイは心の中でほくそ笑んだ。
「おい、ナマエ、ちょっと来い」
「な、何ですか」
ナマエは警戒したように言った。
「いいから、来い」
彼の静かな圧力に負けて、ナマエは彼の前に立った。
「しゃがめ」
「何ですか?」
リヴァイが無言でナマエの脛を蹴る。ナマエは低いうめき声をあげて屈んだ。丁寧に食器は割らない様にテーブルへ盆を乗せている。
その時、リヴァイの手がふわりと彼の頭に乗った。
「余計なことは考えなくてもいい。お前には期待している。お前の淹れる紅茶も悪くないしな」
ナマエの顔がじわりと赤くなった。リヴァイは彼の反応に少女のようなだなと思った。ペトラには手の甲に唇を近づける仕草を平然としたのに、意味の分からないやつである。一体、俺が同じ仕草をしたらこいつはどんな表情を見せるのか。
リヴァイは彼の頭に置いていた手を離して、彼の手を持ち上げた。
「お前が俺に忠誠を誓うというなら、俺もお前に敬愛を示そう」
リヴァイはナマエの甲にそっと口付けた。ナマエはこれでもかと目を開いてリヴァイを見た。その顔は気の毒なほど赤く染まっている。リヴァイは鋭い視線でそれを見る。
「機嫌は戻ったか、クソガキ。分かりやすく拗ねやがって」
「お、俺、拗ねてなんかないですから!」
ナマエは慌ててそういうと盆を持って走り去った。リヴァイはその様子を見て、満足そうに鼻で笑った。しかし、そんな彼の表情を走り去っていったナマエは知らない。まるで、先ほどのリヴァイのように。
翌日、巨人捕獲作戦は一人の犠牲者も出すこともなく成功した。一方で、同じ日に超大型巨人により、ウォール・マリアは破られた。その後、兵団は巨人になる能力を持ったエレン・イェーガーを拘束することとなった。
The most important thing in communication is hearing what isn't said.
20170613