まだ右も左も分からない頃、私は知らない町で迷子になってしまった。珍しいものにばかり気を取られて右手を見れば、母の手の温かみはなく、空虚を掴む拳が虚しく見えた。そこでじっとしていればいいものの、当時私はたった、五(いつ)つの愚か者だった。きょろきょろと辺りを見渡しては人にぶつかって、顔をしかめられた。焦りに突き動かされるように前進してみるものの、ひと気のないところにでると、途端にひとりなのだと思い知らされ寂しくなった。私は、とうとうそこへしゃがんで頭(こうべ)を垂れた。

「きみ、どうしたの」

 不意に声をかけられて私の心臓はどきりと裏返りそうになった。もしも、余所者だと虐められたらどうしよう。私は不安に駆られて顔をあげることができずにいた。できれば、そのまま立ち去ってください、と心の中で祈っていた。暫く、じっとしていたものの、誰かが遠のく気配はない。

「泣いてるの?」

 もう一度声が傍でした。私はついびくりと肩を跳ねさせた。
 少し怖かったものの、名前も知らない誰かの声はとても優しく、心から私を心配しているようだった。恐る恐る顔をあげると、不安気に此方を覗き込む幼い顔と目があった。私の顔を見ると、男の子は一瞬目をぱちくりとさせたあと、眩しいくらいに笑った。その笑顔に何故だかほっとして私も笑顔が零れた。

「お名前は?」

 男の子がにこにこ顏で聞く。あまりの緊張感のなさに私の警戒心はゆるゆると溶けていった。

「ナマエ」

「へえ、かわいい名前だねぇ」

 気の抜ける声に私はぽかんとして、それから少し恥ずかしくなった。名前を褒められるなんて初めてだ。これは、この前、母様が言ってた“オセジ”ってやつ?私は顔を隠すように下を向いた。

「あなたは?」

「俺は八左ヱ門。みんなはハチって呼ぶんだ」

「は、ち」

 私がぎこちなく言えば、彼はまたにこにこと笑う。不思議な子、はち。

「どうしてここにいるの?おなかがすいたの?」

「違うよ、お腹が空いたからって動けなくならないよ」

 彼はそれもそうか、と笑った。それから、私をじいっと見て、腕を組み、首をこてんと傾けた。女の子みたいなかわいい行動に、私は少しきゅんとした。はちはかわいい。

「じゃあ、どうして?」

「道に迷って疲れちゃったの」

「ああ、なるほど!そういうことなら俺に任せて」

 そう言うと、ハチは私の腕をつかんでぐんぐん歩いた。私が驚いているとハチが安心させるように、またにこにこ笑った。私はまんまとその魔法にかかって、されるがままにハチについていった。道行く途中、たくさんの人からハチは声をかけられていた。ハチは人気者なんだ。すごいなあ。たしかに、ハチはとってもいいひと。あっという間に私の人見知りも吹き飛ばしてくれた。関心して見ていると、ハチが不思議そうに私を見た。私もハチみたいになりたいな。そう思って微笑んだ。ハチ、ありがとう。そうするとハチは照れたように、すっと目を逸らした。
 暫く、ハチと私はいろんな話をしながら町を歩いた。ペットのこと、家族のこと、お友達のこと。ハチはたくさんペットを飼っているみたい。きらきらした目で話してくれた。ハチは動物が好きなんだあ。素敵だなあ。

「ナマエちゃん!」

 母様が私を見つけて走り寄ってくる。私も、かあさま、と声をあげる。私が母様にしがみつき振り返る。ハチ、私の母様はね、この人なの、とっても素敵な母様なの。そう言おうと思ったのに、そこにはもう誰もいなかった。
 私は母との帰路に、そうっとハチに握られていた右手を見つめた。

 それから数年。
 私はくのいちの卵、くのたまになっていた。忍術学園に入ってすぐに、私はハチの存在に気づいた。何度か話しかけようと試みたものの、こうも年月がたっていると中々勇気が出ないものだ。はちを見つけ悩んで考えた末、いざ、話しかけようと一歩踏み出せば、そこにはぽつんと私だけが立っていたということもあった。そうして、ぐずぐすしている間に5年生になっていた。
 あの時の彼と私の変わらない身長差は数年で、ぐんと開いていった。彼と私の身長差が開くと同時に、私たちの心の距離も開いて行くようでさみしく思った。そうは思うのに、まだ話しかけることができないのは自分の弱さか、情けない。

「やあ、ナマエ」

 私を呼びかける声に振り返り、後ろにいた人物を見て私は目を瞬いた。見慣れた彼は笑顔でこちらを見ている。私は自然と彼へ歩み寄っていた。

「なあに、三郎くん」

 三郎くんとは三年の時からの付き合いだ。いたずらを仕掛けようとして、逆にこてんぱんにやられたのが始まりだった。終いに彼は私の前で私の姿格好に変装し、私を罵った。私のぽかんとした顔を見て彼がさも馬鹿にしたように笑ったことは生涯拭えぬ悔しみだろう。それから、三郎くんは味を占めたのか、私をからかうために私の顔でちょっかいをかけてくるようになった。なんでも変装しやすい顔らしい。何だかそれって……複雑なとこだが、べつに嫌ではない。こうして、友人にもなれたわけだし。三郎くんがそう思っているかは疑問だが。

「頼みがあるんだ」

「えー」

「えーとは何だ」

「どうせ禄なことじゃないんでしょ」

「失礼な女だな」

 三郎くんがジト目で私を見る。私はその表情に笑った。三郎くんが変装している不破くんとは顔を合わせたことがないけれど、この表情はきっと不破くんのものじゃない、彼だけの表情だろう。そういうわけで、私は彼のこの表情がなかなか好きなのである。三郎くんはふうと息をつく。

「これは、お前の為でもあるんだぞ?」

「ん?どういうこと?」

「お前は何も言わずつったってればいい」

 そして、三郎君は急に私の手を握って引き寄せた。突然のことに私は視線を上げる。ち、近い。そばには意地の悪いにたにた顔があった。また彼の新たないたずらのつもりだろうか。

「なかなか悪くないものだな」

「三郎くん?」

 三郎くんが何かをいう前に、私の体はぐいんと後ろに引かれて何かにもたれかかった。驚いて見上げると、そこにはハチがいた。いつの間にか大人びた顔になっていて、私はまたまたきゅんとした。

「何やってんだよ、お前」

数年前よりも大人びた声が上から聞こえて、ドキドキした。

「じれったいお前のために一肌脱いでやったんだ。まあ、あとはうまくやるんだな」

 三郎くんはにたにた顔のままそう言って、何処かへ行ってしまった。逃げ足はやっ。
 私はそうっとハチを見る。綺麗な鼻筋だ。すると、ハチと視線が絡まった。私は顔に熱が集まるのが分かって顔を背けた。それなのに、ハチはさらに顔を近づける。

「ちょっと近いよ、た、竹谷くん」

 ハチの私の肩つかむ力が強くなった。

「三郎はいいのかよ?」

「三郎くんは、その」

 言葉に詰まる私。ハチは私の頬を優しく撫でた。どぎまぎしながらハチを見ると、予想以上に距離が縮まっていてもっとドキドキとした。

「あいつが好き?」

「それはない」

 私が即答すると、ハチが目をぱちぱちとさせて、それから笑った。ああ、本当に、敵わない。かわいい。和むなあ。

「お願いだから、俺のこと昔みたいにハチって呼んでくれよ」

「うん」

「さあ、よべ」

「え、ちょ、いま?」

「さあ、よべ」

「は、ち」

「ふふ、変わらないなあ」

 ハチはそう言って、私のぎこちない呼び名に笑い、太陽顔負けの眩しい笑顔で笑った。
 ああ、好きってこういうことなんだ。私はきゅうっと締まる胸をごまかすようにハチの手を握った。

20130916 20131027一部修正
タイトル・バイ・へそ
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