学校まで辿り着くまでの、気が遠くなるほどの長い階段に、白い絹のようなたっぷりとした白髪をまとった老婆が立っていた。

 伏黒は階段の前に立つ老婆について、どんな人物であるか良く知っていた。先ずは隣にいる虎杖に老婆のことを紹介しておかねば面倒なことになる気がすると、伏黒は視線を隣に向けた。しかし、あっと思った瞬間には虎杖は彼の隣からいなくなっていて、既に老婆の隣に立っていた。虎杖は呪術師には珍しい陽気なキャラだった。だから、伏黒は彼がそういった行動をとるのではと予感していたが、一方で彼の鈍さが老婆を傷つけるのではないかとハラハラしていた。

「おばあちゃん、こんなとこで何してんだ。荷物持とうか?」
「オイ!虎杖!ミョウジさんに失礼だぞ。」

 伏黒は案の定、予想が当たってしまったと慌てて虎杖の頭を叩く。叩かれた虎杖はというと、伏黒の行動を読めないようで頭にハテナを浮かべて彼を見返した。

「ミョウジさん、俺が荷物持ちます。」
 そう言って伏黒は老婆の荷物を代わりに持った。
「なんだよー、伏黒。いいとこ取りかよ。じゃあ、俺は階段登る手伝いするぜ。ほら、お婆ちゃん、俺の手に掴まって。」
「おい、お前な。ミョウジさんは」
「いいのよ、伏黒くん。」

 虎杖を注意しようと怒鳴りかけた言葉を、老婆はにこやかな表情で制した。その温かさはまるで本当の肉親に向けられるような優しさで、伏黒はそれ以上なにも言えなくなってしまった。

 虎杖は伏黒の様子を気にもとめず、自然な動きで老婆に手を差し出していた。老婆はにっこりと微笑んでから、自身に差し出された手へ自分の干し柿のようなしわくちゃな手を合わせた。虎杖は老婆が痛くないようにと、優しく彼女の手を握り込み、ゆっくりと長い階段を登り始めた。その後ろを伏黒が見守るように歩く。

 しばらくして、長い階段を上がり切ると先に見知った顔を見つけた。伏黒はそこにいる人物が誰かを認識すると、徐々に顔が引き攣っていくのが分かった。

「あれ?ナマエじゃん、珍しいね。」

 そこに居たのは五条だった。五条はいつもの軽い口調で老婆に話しかけた。虎杖はなんとも言えない違和感を感じたが、その違和感が何なのか分からずにいた。五条が目上の人にも敬語を使わないのは当たり前のことだったからだ。

「なんだい、悟じゃないか。あんたこそ、こんなとこで油売ってないでサッサと呪いを祓ってきな。」
「それにしても、何で悠二と手を繋いでんの?」

 五条の言葉に老婆はゆっくりと虎杖の手を離した。その場にはなんとも言えない気まずい雰囲気が流れていた。

「アンタがここに居るとややこしくなりそうだから早くどっかに行きな。」
「なんだよー、連れないな。久しぶりに会ったんだからもっと話そうぜー。ビール片手に人生ゲームでもしようぜー。」
「アンタと人生ゲームして何が楽しいんだい。そもそも下戸だろう。」

 老婆と五条のやり取りを見て虎杖は呆気にとられた。仲が良いというのは分かるが、それにしても二人の仲は単純に仲がいいという言葉だけでは言い表せないような絆を感じた。老婆が五条の肉親か親戚だから、こんなにも彼が心を許している雰囲気があるのだろうか。虎杖は思っている疑問をぶつけることにした。

「おばあちゃんって、もしかして五条先生のおばあちゃんか何か?」
「お前!!」
「はははは!悠二、それは傑作だね!」

 伏黒は頭から火が吹かんばかりに怒り始めるし、五条は腹を抱えて大笑いを始めた。老婆はと言うと、面倒なことになったといいたげな表情で頭をふった。

「俺とナマエは高専時代の同級生だよ。」
「え!?ど、同級生。」

 虎杖は先生と老婆を何度も見返した。いよいよ虎杖は混乱をしてくる。虎杖の頭の中には老婆が釘崎の制服を着た姿を想像していた。違和感しかないし、老婆が学生になれるものなのだろうか。いや、これは偏見かれしれない。それにしても、どうして老婆が高専に入学したのだろう。虎杖は顎に手を当てて考えた。

「ナマエはね、御伽噺のヒロインみたいに、呪いの力によって歳をとった姿に変えられてしまったんだよ。これ、俺とナマエの学生時代の写真。」

 そう言うと五条はどこからか写真を一枚出した。虎杖はまじまじと五条に差し出された写真を覗き込む。

「え!?これが、おばあちゃんの本当の姿なの!?美人だな。」
「本当だな。てか、隣の五条先生、全然変わんねえな。」

 写真にはサングラスをかけた五条が、隣の女性の肩に腕を回して、楽しそうにピースをしている姿が写っている。隣の女性はと言うと、五条の肩へ腕を回すことはなく、自分の両腕を組んで不満そうに五条を睨んでいた。女性は五条に肩を組まれていても身長差に違和感を感じないため、彼女の背がそこそこ高いことが伺えた。写真の中の女性は見た目こそ若い姿だが、面影はどこか目の前の老婆と重なってみえた。虎杖は今までの話は冗談ではなく、本当の話なのだと理解した。

 虎杖の隣では、伏黒がなんだかんだ言いつつも、五条の差し出した写真を興味深そうに覗き込んでいた。

「そんなの見せなくていいから。というか何でアンタはいつもソレ持ち歩いてんのよ。」
「そりゃ、こうやって僕とナマエの仲の良さを証明するためでしょ。」
「世界一無駄な事だね。」

 老婆はバッサリ切り捨てるように言うと、伏黒から荷物を預かりサッサと歩いて行ってしまった。

「先生、ナマエさんの呪いは解けないの?」
「うーん、解ければ良いんだけどね。十年以上はあのままさ。」
「そっか。十年以上もか。大変だな。」
「俺は別にあのままでも気にしないんだけどね。ナマエはすごく気にしてるみたいだ。」
「ん?先生それって」「さーて、楽しい授業を始めるよ、諸君。」

 そう言うと五条は虎杖の言うことも聞かずに歩いて行ってしまった。虎杖と伏黒は呆気に取られて二人で顔を見合わせるしかなかった。



 ナマエは目の前の鏡を憎々しげに見つめた。そこには老婆の姿ではなく、若い女性が鏡を睨みつけているさまが映っていた。この呪いがどんな仕様か理解しきれないでいるが、鏡の中では元の姿が見えるらしい。この忌々しい仕組みのせいで、ナマエはろくに外に出かけることもできなくなってしまった。

「久しぶり、ナマエ。会えて嬉しいよ。」
「硝子。」
「勿論、私とお茶していくでしょ。」
「うん。そうだね。」

 硝子はナマエの数少ない彼女の過去の姿を知る友人だ。彼女の優しさにナマエはいつも救われるものの、年々美しくなっていく硝子の姿を見ていると劣等感を感じずにはいられなかった。自分も彼女のように化粧をして、好きな服を着て、惜しげなく女性としての人生を楽しみたい。しかし、今の自分の姿では流行りのスカートを履いて、めかしこんで、同い年の男をデートに誘うなんて違和感しかないだろう。そのように卑屈に考えてしまう自分にもナマエは辟易としていた。そうなると高専から足が遠くなるのも彼女にとってはどうしようもないことだった。

「仕事はどう?無理はしてない?昔からみんな硝子の力に頼り切りだったからね。硝子のことが心配だよ。」
「私にそんな優しい言葉をかけてくれるのはナマエぐらいなものだよ。ありがとう。」
「そんなことないよ。本当はいつもそばに居て手伝えれば良いんだけどね。最近はずっと立ってるのも疲れちゃってさ、高専から足が遠のくんだ。本当にこの身体にはうんざりするよ。」
「そうだな。私はどんなナマエも好きだけど、いつもそばに居てくれるようになったら嬉しいよ。私の数少ない心を許せる友人だからな。」

 これ以上、この話を続けるのも照れ臭いと、ナマエは頭を捻って別の話題を出した。

「ところで、最近恋愛の方はどう?前に歌姫先輩に連れられて街コン行くって言ってたじゃない。」
「ああ、そういえばあったな。そんなこと。」

 硝子が余りにもうんざりした顔で言うものだから、全てを聞かずとも結果はよく分かった。ナマエは彼女を宥めるように優しい声で言った。

「その反応ってことはイマイチだったみたいだね。でも硝子は美人だから良い人すぐに見つかるって。」
「いや、もはや、そんな希望はもってないよ。歌姫先輩も良くやるよね。」
「はは、歌姫先輩は意外とロマンチストだからね。やっぱり結婚とか憧れるんじゃないかな。」
「どうせ結婚しても私達にプライベートな時間なんてあってないようなものなのにな。」

 その時、硝子の電話に着信が入った。ナマエは硝子の不満そうな顔から仕事の電話だと察する。ナマエは茶器を片付けると、忙しそうに話している硝子へ片手を振った。硝子も申し訳なさそうに手を振る。

 医務室を出ると嫌に背の高い男が壁に身体をもたげて此方を見ていた。ナマエは溜息をつきながら顔を見上げる。老体には身長の高い男は随分と優しくない。首が無駄に疲れるのだ。

「特級呪術師って意外と暇なの?」
「超忙しいよ。でも僕の大事な人が学園に来てるんだから、伊知地を少し待たせるくらい仕方ないだろ?」
「少しも仕方なくない。伊知地がかわいそう。早く行きなよ。」
「じゃあ、ナマエも一緒に来る?横浜だし中華街でも行く?」
「いや、なんでよ。いかないよ。」
「えー、じゃあ行く気しないなー。」
「あんた子供じゃないんだから、さっさと任務行きなよ。本当、このやり取り毎回させないでよね。」
「じゃあ僕からも言わせてよ。ナマエもさっさと諦めて僕と付き合ってよ。」
「ババアと付き合って何が楽しいのよ。」
「誰といるよりも楽しいだろうね。」

 無視して通り過ぎようとすると、長い足が私の進路を阻んだ。昔であれば跨ぐか、思いっきり蹴るかしてやったんだけど、今の私にはそんな力はなかった。恨めしい表情で二度目の顔を見上げた。

「何で私なの。他の人を見つけなよ。アンタ昔から女なんていくらでも寄ってきてたじゃん。」
「やだね。僕がナマエが良いって決めたんだ。」
「五条、わかってるんでしょ。私の言いたいこと。私の呪いはいつ解けるかなんて分からない。いや、私はこのまま死ぬ可能性だってある。だから、私よりも未来のある人はいっぱいいるんだよ。」
「ナマエこそ何言ってんの。お前のいない未来に興味はないよ。」
「五条、私ね。もう子供が産めない体なんだ。
だから、私とは、もう───」
「だから何だよ。」

五条の手が私の肩を掴んだ。遠慮のない力で私の肩を掴むので、私は痛みに顔を歪める。

「俺がナマエの何に惚れてんのかナマエは分かってるの?」
「五条。」
「ナマエの見た目じゃないし、ナマエの術式でもない、俺は」
「辞めて、聞きたくない。」

私は両耳を抑えて顔を伏せる。

「私はもう、とうに未来なんて諦めた。私に未来を見せないで。」
「ナマエ。」

 五条がゆっくりと私の顔に両手を添えて上を向かせる。青いダイヤモンドのような輝きをもった瞳と真っ直ぐに視線が合う。私は綺麗な瞳に吸い込まれるように見つめ返した。まるで世界に私と五条だけが取り残されて、時間が止まったように感じた。

「君が好きだよ。どれだけ歳を取ろうとも僕は君の姿を一瞬で見つけることができるんだ。だって、僕、天才だからね。」

 五条はそう言うと私の唇にキスをした。胸が燃えるように熱くなり、心が震えた。
 数十年前からずっとそう。五条だけが昔から変わらずに私を私だと見てくれた。なぜか分からない。頬には涙が一粒伝っていた。

「なんだ、魔法のキスで呪いが祓えるかと思ったけどダメだったか。」
「馬鹿じゃないの。夢見すぎでしょ。」

 私と五条は顔を見合わせて笑った。視界に映る私の手は相変わらず干し葡萄のように皺くちゃな手だった。

20220403
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