「なんで?」

目の前の男は長い足を惜しげもなく優雅に組んでおり、それはさも当然であるかのように女へ疑問の言葉をぶつけた。男の太々しい態度に、女は自分がおかしいのだろうかという錯覚に駆られたが、頭を振って男へ向き直ると目尻をぐっと引き上げた。

「なんでって、それはこっちのセリフよ。私たち付き合ってもないのになんでいきなり結婚を申し込まれなきゃいけないのよ。」
「ああ、そんなことか。じゃあ、まずは付き合う?僕ら。」
「は?」

まるで男はコンビニでも誘っているかのような軽い口調で女へ交際を申し込んだ。女は益々男の考えがわからなくなって、やっと出た言葉は疑問を投げかける感嘆詞のみだった。男は尚も太々しい態度を崩すことなく、退屈そうに長い足を組み替えた。

「何が問題なの?」
「いや、逆に今の流れで何が問題じゃないと思ったの?」
「まったくもう、ナマエはワガママだな。」

五条悟はやれやれといいたそうな身振りをすると、幼児を慰めるかのようにミョウジナマエへ微笑んだ。しかし、彼女は五条の様子に宥められるどころか、ゾッとして此処がまるで北極であるかのように両腕を抱え込んだ。五条の胡散臭い笑顔に寒気がしたのだ。

「頼むから、日本語で話してくれない?さっきからアンタの言いたいことが一ミリだって分からないんだけど。」
「だから、僕と結婚して欲しいんだよ。君も僕もそろそろ良い歳だ。お互いに素知らぬ相手よりも良く見知った人物と一緒になる方が安心だろう。」
「それはよく知った人物同士が相思相愛で相性が良ければでしょう。私たちはただの同期で今までそんな雰囲気ちょっともなかったじゃない。急にそんなこと言うアンタが何を企んでいるのか私は怖くて仕方ないのよ。」
「へえ、ナマエが求める男女関係ってのは雰囲気がある方がいいんだね。君が望むなら僕はロマンチックな雰囲気作りもできると思うよ。」
「はあ。頭が痛くなって来たから、ちょっと黙ってくれるかな。」

埒があかない会話にナマエはズキズキする頭を抑えた。ナマエはこんな事を急に言ってくる五条の真意を考え、もしかしたら五条は両親にお見合いでも急かされているのかもしれないという結論に辿り着いた。彼女が思い出す限り、五条は学生時代からフィアンセを探せとせっつかれているとぼやいていた。しかし、女癖が悪い五条に一人の女を選ぶなんて無茶でしかない話だ。ナマエは今までそれなりに色んな人間と出会ってきたが、五条ほど手癖のクソ悪い男を見たことがない。彼女からしてみれば、冗談でも建前でも、こんな男と結婚するなんて絶対無理なのだ。どんなに整っている見た目よりも、ナマエは誠実で真面目な男が理想だった。
そう、例えば一つ年下の後輩の───

「ナマエさん、遅いと思ったら、こんなとこで油売ってたんですね。早く行きましょう。私は一分一秒でも残業をしたくない。」
「あ、七海。迎えに来てくれたのね。早く行こう。」
「何だよ、七海、僕らの邪魔すんなよな。」
「ああ、遅い理由は五条さんでしたか。それなら探さなかったのに。」
「ちょっと何薄情なこと言ってんのよ。」
「私はいつだって自分の心に素直なだけです。」

余りにも薄情な態度を取られているが、ナマエは結婚するなら彼のような真面目で誠実な人が一番だと考えた。五条のような性格がねじ曲がった男と結婚すれば苦労するのが目に見えているからだ。ナマエは七海の背中を押すと後ろからの刺すような視線を無視するかのように足を進めた。七海はブツブツとまだ恨言をナマエに言っている。

「ねえ、ナマエ、さっき言ったこと考えといてよね。」

諦めずに五条がナマエに声をかけてくる。ナマエはうんざりする顔で五条を見たが、彼は一ミリも彼女のあからさまな態度を意に返してないようだった。その彼の態度にナマエは益々五条が自分を揶揄っていると確信した。



任務を終えて帰路に着く道すがら、今朝あった五条との話をナマエがすると、七海は心底嫌そうな顔で彼女をみた。

「まさか、五条さんに結婚するなら私のような人間がいいと戯言のような話をしていないでしょうね。」
「は?戯言って私は七海の性格を買って言っているのに失礼極まりないんだから。」
「いいですか、ナマエさん。私は貴方達が乳繰りあっていようが、雑巾を振り回しあっていようが、本当に心からどうでも良いんです。本当に、心からです。大事なことなので二度言いました。しかし、私のような関係のない人間を貴方達の問題に巻き込むのだけは辞めてください。」

七海がピシャリと務めて冷たく言う。五条と自分を一括りにされるなんて心外すぎると、ナマエは益々顔を不機嫌に歪めた。

「どうせ五条のアレは私を揶揄って言ってるんだから気にしなくていいのよ。」
「驚きました。貴方まだそんな風に思っていたんですか。本当に周りが見えていないんですね。」
「はあ?何よ、七海。今日は随分と毒舌じゃん。」
「いいですか。貴女のおかげで私は何度五条さんに八つ当たりをされたことか。思い出したら腹が立って来ました。」
「何よ。周りくどい話は嫌いだからハッキリ言ってよ。」
「いいでしょう。面倒臭いから静観していましたが、このままだと私が巻き込まれかねない。この際だから全て話します。途中で嫌だと言っても絶対に最後まで聞いてもらいますよ。」
「マジで何なの。意味わからん。」

七海の勿体ぶるような言い方にナマエは小首を傾げた。七海はまるで怖い話でも聞かせるような雰囲気だ。ナマエはオカルトなぞに全く興味ないし、信じてもいないので、さっさと話せというように七海を促した。

「あなた、昔、夏油さんと付き合っていましたね。」
「───急になに、まあ、そうだけど。」

ナマエは苦虫を噛み潰したような気持ちになって怪訝な顔で七海を見る。彼女には、この話がどこに繋がっていくのか全く読めなかった。

ナマエと夏油は高専の一年の秋から付き合いを始めた。惚れたのはナマエの方からだった。健気なアピールの上、夏油は彼女の告白を了承した。付き合いは上手くいっていた。彼が離反を起こす数週間前までは。

ナマエと夏油は、彼が離反を企てる一週間前に別れたのだ。否、別れたというよりは一方的に別れを切り出された、という方が正しいとナマエは思っていた。
ナマエは彼の吸っていた煙草の銘柄を思い出して、ツンと鼻の奥が痛くなるのを感じた。

「貴方が彼と別れてから、ずっと同じ煙草の銘柄を吸われていましたけど、最近禁煙をされているんでしょう。」
「は、何でそんなこと知ってんの。ってか、さっきから傑の話と悟の話がなんの関係があるっていうの。」
「この界隈の世界が狭いのは知っているでしょう。因果関係に関しては、ここまでいってもまだ分からないでしょうが、騙されたと思って黙って聞いてください。今の話で何が言いたいかといえば、貴方は禁煙することで、やっと夏油さんの思い出から立ち直ろうとしてるのでしょう。」

七海の言うことは図星だった。彼に別れを告げられてから、彼が離反をしてから、彼が亡くなってからナマエは片時も夏油のことを忘れる事はなく、気づけば彼のよく吸っていた煙草の銘柄を口にしていた。彼の死から数ヶ月。やっとナマエは禁煙をする事で夏油への想いを断ち切ろうとしていた。その想いを後輩である七海に知られていたとは、とても居心地が悪かった。

「だから、なんだって言うの。人の傷を抉って楽しい?」
「私の言いたいことは、そういうことではありません。貴女が立ち直ろうとしていることを五条さんが察して、貴女に結婚を申し込もうとしているのではと言いたいのです。良く言うでしょう失恋した隙に付け込めと。」
「つまらない冗談は辞めて。悟がそんなこと考えてるはずない。アイツは私が困る顔が面白くて揶揄ってるだけだ。」
「はあ、貴方がそう思いたいならどうぞ。ただ先ほども言ったように貴方達の関係に他人を巻き込むのはやめてください。」

七海があまりにも自信たっぷりに言うものなので、ナマエは混乱をした。何を根拠にここまで自信を持って話しているのだろうか。ナマエはその理由を知りたいような、知りたくないような気がしていた。

「意味わかんない。何で七海はそこまで自信を持って、その話をできるの?」
「私は貴方に全てを話すと言ったので、勿論、この先のことについても、お話ししましょう。」

七海はまたもや勿体ぶるような言い方をした。

「貴方が夏油さんと別れてから自暴自棄になって付き合った男がいましたね。」

彼はまたナマエの葬りたい黒歴史を涼しい顔で蒸し返す。ナマエは今度こそ苛々しながら七海を見た。

「さっきから七海は私の思い出したくないことばかり話すね。なんの嫌がらせ?」
「貴女が思い出したくないかどうかは、どうでもいいんです。ただ、貴方は周りが見えてなさすぎる。」
「は?だから何って。結論から言ってくれる?」
「あの男、貴方と別れた後、ボコボコに殴られて河川で気絶してるのが見つかったみたいですよ。」
「───は?」

ナマエは体が凍ったように動けなくなった。七海が今度こそ奇怪な怖い話でもし始めたのかと思ったが、そうじゃない。なんとなく、少しずつ、その先に紡ぐことが想像できてしまってナマエは動けなくなったのだ。

「そういえば、その男のイチモツが切り取られていたそうなのですが、何か貴女に思い当たりはありますか。」
「やめて、そんな趣味の悪い話。」

ナマエはそう言って七海の話を切り上げると視界の端に映ったタクシーを止めて乱暴に乗り込んだ。七海は恐らく不機嫌な顔で睨んでいるだろうが、ナマエは振り返って彼の話を聞く気は毛頭なかった。

「お客さん、どこまで?」

タクシーの運転手がやる気がなさそうに尋ねてくる。

「とにかく走らせて。遠くまで。」
「といいますと?どこまでです。」
「いいから早く出しなさいよ。とにかく海のほうまで走らせてくれればいいから。」
「はあ……わかりました。」

運転手はうんざりしたように返答を返すとゆっくりと車を発進させた。ナマエは移り行く景色を窓の外からじっと見つめる。
彼女の頭の中には数年前の出来事が思い出されていた。


「マジで許せないあのクソ男。殺してやる。」
「だから言っただろ、あんな男やめとけって。」

硝子が呆れたように煙草に火を付けながら言う。彼女の吸っている銘柄は私の持っているものとは違うものだった。悟は興味なさそうに携帯をいじっている。いつものことだった。いつも悟は興味なさそうにしながらも私の話を聞いてくれた。

「あの男の大事なとこ切り取って川に埋めてやりたい。」
「一体何があったの。」
「三股かけられてたのよ。しかも、あいつの部屋の中に隠しカメラがあったの。バッキバキに全部壊してやったけどね。危うく動画でも撮られるとこだったわ。」
「ハハッマジで最低な男だな。ナマエは男見る目ないな。っておい、悟、どこいくのよ。」

硝子が席を立って出て行く悟を嗜めた。

「別に。用があんだよ。」
「何よ。私の話に最後まで付き合ってくれたって良いじゃない。」
「また今度な。今回はコレで勘弁しろよ。」

悪態をつく私に悟は何かを投げて寄越した。それは何本か吸ったのか、封が空いてる煙草の箱だった。

「は?なによ、コレ。」
「やる。」
「いや、私、この銘柄吸わないし。って、もう居ないし。何なのよ。」
「ナマエは変な奴に好かれるな。」
「はあ?嬉しくないこと言わないでよ。それよりも、硝子、今日は朝までカラオケに付き合ってもらうからね。」
「はいはい。」


そうだ。あの時、五条は確かに何処かへ行った。でも、彼があの男をボコしに行ったなんて証拠はどこにも無い。なのに、背中はじんわりと嫌な汗をかいていて、指先がひどく冷えていた。

窓の外には綺麗なアクアブルーの海がキラキラと光を集めて輝いていた。

20211229

to be continued … ?
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