頭の中でやつの声がぐるぐる響いている。逃げろ、逃げろ、逃げろ
手足は汗でぐっしょりと湿っていた。なのに妙に頭の奥はひんやりしていた。
黒い眼光は私を真っ直ぐに見ている。その瞳にはどんよりとした霧がかかっていて心意が少しもわからなかった。それでも負けじと私も両眼を見つめ返す。
途端、右腕に鋭い激痛が襲った。悲鳴さえでずに顔を歪ませた。人間とは思えない鋭利な爪が私の右腕に食い込んでいたのだ。私がどれだけ顔を歪めようと手が離れることはなかった。むしろ痛みは増していくばかりだ。吐き気を催すほどの赤い血が腕をつたって地に落ちた。
「なあ、」
びくりと肩が揺れてしまう。恐ろしさのあまり震えがとまらない。だめ、だめ、こんなの。相手を喜ばせるだけに決まってる。唇を噛んで無理矢理に震えを我慢する。
「俺、お前が欲しいだけだぜ」
彼がくすくすと笑って目を細める。私には何が可笑しいのか全く理解ができなかった。
頭痛がする。ガンガン五月蝿い。踏切音が聞こえる気がする。危険だということを私の本能が伝えているのだろう。
「唇、切れてる」
「ぃ、や」
「そんな怖がんなよ」
彼の舌がベロリと私の唇を舐める。背筋がゾクリとして後ろに後ずさる。そのたびにキルアが前ににじり寄ってきて私はさらに彼と距離をとろうと後退した。
とうとう壁に追いやられ、キルアがさも面白そうに私を見る。彼がゆっくり手をのばす。そのスローモーションな動作に、私は恐怖のあまりまばたきさえ出来なかった。壊れ物でも扱うようにキルアが私の後頭部をつかんだ。
「かわいいよ、お前ってホント」
噛みつくように唇を重ねられる。それなのに私は馬鹿みたいに翻弄されてしまっていた。息ができなくて苦しいのにキルアの唇が何度も触れる度気持ち良いと思ってしまった。くちゅりくちゅりと卑猥な音にどんどん恥ずかしくなってくる。視界が潤んで、息ができない。なのに、どうしてまだしてほしいと思ってるの。自分の愚かさに羞恥心がわく。それにまた興奮している自分がいて、子宮がきゅっとする。
「ふっ、う」
「その顔たまんない」
またキルアの舌が私の唇をペロリと舐めてゆっくりと離れた。目があって彼がにやりと形の良い唇をつり上げる。この唇が私の唇と重なっていたと思うとゾクゾクした。
「俺のものになってくれるでしょ?」
首を縦に動かしていたと気づいたとき彼の唇が私の鎖骨に触れていた。
天使にはなれない
20121009