『その時』が来た。デイダラが出て行って大分経つ。サソリはゆっくりと立ち上がり、扉に近寄った。いつもかんぬきをかけられているので、開かないだろうと思いつつ、そっと押してみる。

 キィ。

「!?」

 それはいとも簡単に開いた。その日、そのときに限ってかんぬきがかかっていない。サソリは恐る恐る小屋から出た。周りは森だ。ふと、何かに見られているような気がして、サソリはあたりに目を走らせた。しかし、何も見当たらない。

「……」

 サソリは時間帯と太陽の位置を頼りに走り出した。息が切れるのも構わず、あの夜のように走り続けた。やっとの事で村に着いたときには、もう日が沈もうとしている時であった。

「サソリ!?一体今まで何処へ言っていたんだ!?」

 駆け寄ってきた村人に、サソリはごく小さな声で答えた。

「……鬼のところから、逃げてきた」





 サソリが村へ帰り着いてから、幾日か経った。サソリはいつものように仕事をして、日々を過ごした。ただ、山にだけは全く近寄らなかった。
 幾つか、サソリには気になることが有った。ひとつは、デイダラのこと。自ら望んで逃げ出してきたのに、何故か胸が締め付けられるような気がしていた。最後にデイダラが言った言葉のためでもあるだろう。そして、もうひとつ。ずっと、誰かに見られているような感覚が有るのだ。それは決して居心地のいいものではない。しかし、如何する事も出来なかった。





 更に幾日か経ったある夜、サソリは何故か酷く喉が乾いて、起き上がった。水を飲もうとして湯飲みを手に取り、何気なく窓の外へ目をやった。そこに、山裾の木の間にデイダラがいた。サソリは思わず息を呑む。胸がずきんずきんと痛んだ。デイダラは、ただサソリを見ていた。とてもとても、寂しそうな表情で。

「(見ていたのは、デイダラか?じゃあ、あの時、俺が逃げられたのは、)」

 デイダラはあの時、わざとかんぬきをかけていなかったのだ。
 サソリは、如何いうわけか家を飛び出し、デイダラの方へ走り出していた。其れを見てデイダラは驚いたような表情をしたあと、ふわり、と笑った。

 これが、サソリが見たデイダラの、最初で最後の笑顔だった。

 ふいに、斜め後ろで何かが光った気がして目を向けたサソリは、村人がデイダラに矢の切っ先を向けて弓を引き絞っているのを見た。

「……っ、デイダラ!!」
「!?」

 ドスッ。

 デイダラの処へ後一歩で辿り着く、という時に、鈍い音を立ててサソリの背に矢が刺さった。ほぼ同時に放たれた矢が、続けざまに刺さる。ただ少し外れた矢が、デイダラの着物を引き裂いた。二人にとっては、何もかもがゆっくりとしたものに思えた。村の方からざわざわと雑音が聞こえたが、デイダラは其れよりも、がくりと力の抜けたサソリを抱き止める事で頭がいっぱいだった。

「サソリ!!」

 デイダラの叫びに、辺りが静まり返った。デイダラはサソリの体を何度も揺さぶり、何度も何度も名前を呼んだ。呼吸は不規則で、微弱で、閉じた瞼は開かない。

「……ころ、す………ころ、して……、や、…る……っ、殺してやる!!!」

 デイダラはぎろりと村人を睨み、叫んだ。そのとき、サソリがうっすらと瞼を開き、言葉を発した。

「……デイダ、ラ……やめろ……」
「サソリ!!」
「……お前は、……人間、だ。人間を、殺すな……」

 サソリはそっと自分を抱きしめているデイダラの腕に触れた。

「悪ぃ、俺は、お前を、捨てた……、一人置いて、此処へ帰ってきた。許して、くれるか?」

 デイダラは、頷いた。

「また、一緒に居て、いい、か?」

 デイダラが再び頷くと、サソリは少し笑った。

「今更、だけど、な………俺も、きっと、お前が、……好き、だ」
「っ、」
「すき、だ。……、気付くの、遅れて、悪、ぃ……」
「そん、な、」
「また、一旦離れる、けどな、…必ず、戻って来る、…それまで、待っててくれる、か?」
「ああ、いつまでも、ずっと、待ってる……!」

 サソリは、また、笑った。

「……もう、むり、みたい、…だ、……ま、た……な……………」

 小さな呼吸が、消えるようになくなり、サソリの体から、完全に力が抜けた。デイダラを認めたただ一人の人間が、この世から消えた。デイダラの目から、涙が溢れた。どんどん体温が失われていくサソリを抱きしめて、ただただ泣き叫んだ。村人は悲しみに暮れるデイダラの姿を見て、だれひとり動けなかった。
 やがて、空が白み始める頃になると、デイダラはサソリの骸を優しく抱き上げ、山の方へ消えていった。それから、デイダラの姿を見た者は、誰も、居ない。





「くだらねぇ……」
「くだらないじゃと?我が一族に伝わる伝説なんじゃぞ?」

 赤い髪の少年は段ボール箱に入った荷を取り出しながら溜息を吐いた。

「今時んなもん信じるかよ……」
「お前だから話したのじゃ。せっかく我が先祖の住んでいた地に引っ越したのだから。何故かは分からんが我が一族は数百年に一人赤い髪の者が生まれる。お前は不幸にもその一人なのじゃ。鬼に攫われるやもしれん」
「は?その鬼が本当に居たとして、まだ生きてると思ってるのか?」
「生きているかもしれん」
「はぁ…其れこそくだらねぇな。あ〜あ、ちょっと息抜きしてくる」
「くれぐれも気を付けるんじゃぞ」

 少年は其れに返事をせずに木造作りの家を出た。春の風が優しく吹いている。都会から遠く離れたこの村には、その伝説の舞台になったという深い森に覆われた山がそのまま残っていた。少年はその山を見上げ、何となく細い山道に足を向けた。暫く上るうちに、だんだんと森が深くなってくる。木の葉の間から降り注ぐ木漏れ日が美しかった。
 ふと、少年の目の前に何か白いものが降ってきた。一瞬雪のように思われた其れは、風に乗って何処からか運ばれてきた桜の花びらだった。少年は引かれるように、花びらが流れて来る方向へと山道を逸れる。また暫く時間が経って、少年は桜の巨木へと辿り着いた。

「綺麗だな……」

 ぽつり、そう呟いた少年は、風が少し強く吹いた瞬間に、金に光るものを見た。思わず息を呑む。少年の立っている処からは見えない太い幹の反対側から、風が吹くたび金の糸がちらちらと見える。少年は自分の心臓がいつの間にかどきんどきんと激しく鼓動していることに気付いた。恐る恐る、幹の反対側に回り込む。そこには、着物を着た、金の長い髪を持つ青年が座っていた。青年の閉じられた瞼がそっと開き、青い、青い目で赤い髪の少年を見た。青年は、ふわりと笑った。

「おかえり」

 ほんの少しの間が開いた後、少年も笑った。

「ただいま」

 長い長い時を経て、二人は再び出会った。これからは、ずっと共に生きていくのであろう。
 白い花びらが優しい風にまかれ、二人を祝福するかのように、ふわりと舞い落ちていった。







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