メビウスの輪
「よく鍛えられているな!少年!中々筋が良い」父を訪ねてきた彼女は大きな声で笑い俺の頭を撫でた。太陽を背負っているかのように明るい笑顔と元気な声が、とても印象的だった。後から父上に誰だったのかと訪ねると、鬼殺隊で最近柱になった人だという。
この時はまだ、父上に稽古をつけてもらっていたからそれで終わってしまったが、たった一回の出会いでも忘れられない人だったのは確かだ。だから一人指南書を読み鍛練を続けながら鬼殺隊に入り、彼女と再会した時は少し驚いた。忘れられない程の印象にも関わらず、彼女が柱として存在していることを忘れていた。柱とは滅多に会えない。そう言われてしまえば致し方ないことだが、自分自身に余裕が無かったことに気が付かされた。
「杏寿郎、私のところにおいで。継子にしてあげよう」
「継子、ですか?」
「君は少年の頃からとても筋が良い。足りないのは経験くらいだ。柱の私と稽古をするだけでも良い鍛練になるぞ!」
継子について、聞いたことはあった。けれど俺は炎柱である父上に教わっていたから、無縁だと思っていた。まさかここで、彼女との縁が結ばれるとは思いもしなかったが、二つ返事で「宜しく頼む!」と頭を下げた。
「杏寿郎〜」
「…………」
「おーい、杏寿郎?」
「…………」
「杏寿郎!!……全く君ってやつは」
ガッと頬に何かが当たり体がぶっ飛んだ。何事だ?と後からやったきた痛みに、頬を押さえ首を傾げると、師範が大きなため息をついていた。
「???」
「君は集中力がありすぎだ。鬼との戦いの際は視野が広くなるようだが、鍛練中は全く駄目だな。殺気の無い人間に対して油断しすぎだ」
「すみませんでした!!」
「元気でよろしい!!」
ふはは、と笑った師範はよしよしと赤くなった俺の頬を撫でた。
「さて、怪我をさせて申し訳ない所だが、任務だ」
「はい!」
行くよ、と言われる前に素早く稽古着から隊服へと身支度を整え竹刀から日輪刀を差し込む。
うむ!と満足そうに頷かれ、羽織を大きく揺らし方向転換をしたその背中についていく。
「今回は鬼の数が多いようだから二手に分かれよう。ただし無茶はするな。十二鬼月が居たらすぐに私を呼びなさい」
「分かりました!」
「むぅ、杏寿郎は返事だけは良いからなぁ」
「師範こそ夜空の観察に勤しんで油断なさらぬように!」
「あははっ!杏寿郎も言うようになったなぁ!」
よしよしと頭を撫でられる。出会った頃とは違い師範の背などとうに過ぎているというのに。身長差は埋まっても年齢の差は埋められない。これは仕方ないことだろうか。どうやったら子供扱いをされなくなるのか。俺も柱になれば認めてくれるのだろうか。
師範と分かれ考えてみたが、考えても仕方ないことだと薙ぎ払い強く刀を握りしめた。
「俺の責務を全うするため、ここにいる鬼は全て斬首する!」
群れない鬼が珍しく集団でいると聞いていただけのことはあり、強くはないが鬼の数が多かった。最後の一人は、既に首を切った話せない鬼共と違いよく話す鬼だった。何を言っているのか理解しがたい内容に頭には入って来ない。師範ではなく俺の所に来てくれた事に感謝しつつ迷うこと無く首を切った。
「杏寿郎!大丈夫だったか!」
よく通る大きな声に、カチャンと刃を鞘におさめる。返り血を浴びている俺に一瞬驚いた顔をした師範だったが「斬首した!」と伝えると俺ではなく鬼の血だと気が付き、安堵したように大きな声で笑った。
「よくやった杏寿郎!お前はすごいよ」
「お褒めにあずかり光栄だ。師範に褒められると気分が良いな!」
「少し手間取り慌てて来たが、いらぬ心配だったようだ」
伸びてきた手が後頭部に周り、前のめりになるように引き寄せられた。
「愛おしいな、杏寿郎。こうやって人は、師範から継子へ意思を受け渡し紡がれていくんだろう」
今でも強い師範の腕は思っていたよりも細く、体も俺が抱き締めればすっぽりとおさまってしまうような体格差に今さらながら気が付いた。
いや、待て。隊服で気が付かなかったが、師範はこんなに細かっただろうか?大きく見えたのはまだ子供だった頃の話だ。あれから何年経っている?
何かがおかしい。一度そう思うと数珠繋ぎのように次から次へと出てくる疑問。
「お師範」
両手首を掴みじっと見下ろすと、師範は元気な笑顔ではなく悟ったかのように柔らかい笑みを俺に向けた。急に病死した母上を思い出し、重なった。
「すまない。杏寿郎とはもっともっと一緒に居たかったんだがなぁ。残された時間は少ないようだ」
「……嫌だ!!」
「へ?」
「困らせて申し訳ない!たが止められなかった!」
母上の時とは違う。消えゆく命を掌で受け止めたくても、俺の手では見守ることしか出来ない。強くなってもこればっかりは救ってやれない。悔しさともどかしさだけが胸を締め付ける。
「杏寿郎?」
「自分でも何が言いたいのかよく分かっていない。だが言わせてくれ。俺はもっと師範と共に学びたい。師範が居てくれて良かった。師範と出会えて幸せだった。師範がくれたものは、俺が紡ぎたい」
「……そうか。杏寿郎に、そう言って貰えただけで、私は私が生まれた価値を自分で見出だせ認めてやれるよ」
体は救えなくとも、せめて心は救えただろうか。分からない。分かったのは、消えゆく儚い命の愛しい炎は、最期の瞬間までも温かく美しかった。
「……くさん、煉獄さん?大丈夫ですか?」
「む!すまない!少し昔を思い出していた!」
甘露寺に覗き込まれ、素直に答える。
師範を見習い何人か継子へ誘ってみたものの、長続きはしなかった。甘露寺は筋が良かったが、炎の呼吸とは合わず自分なりに炎から派生した呼吸法を生み出した。すごいことだ。継子では無くなった今も時々こうして稽古をつけているが、今日はどうも俺に集中力が無い。
「昔……?ああ、そっか!お師範のことですね!」
「うむ!師範が俺にやってくれたように継子を鍛えてみたものの、中々続かなくてな」
師範との稽古を思い出し、素振りや日が暮れるまで食事や時間を忘れ夢中になっていた事を昨日のように思い出す。
「ふふ」
「なんだ?」
「煉獄さんとお師範さんって素敵な関係ですね!羨ましいわぁ〜」
「確かに師範は素敵な人だったな!だが不思議なことに、俺は彼女の事を何も知らないんだ」
「え?」
「長いこと一緒に居たが、彼女は俺の事を熟知していたのに対し、俺は何も知らん」
今だからこそお師範の事を事細かに思い出す。聞けないからこそ己で探り答えを導き出せと長い稽古をさせられている気分になる。それが不思議と心地良く、過去を見ているようで未来を見ている気分にさせられる。
「実に不思議な人だったな!」
「うーん、私は少しだけ、分かった気がします」
出会った事が無い甘露寺に分かり、弟子である俺に分からないこととはなんだ?と腕を組んだまま首をかしげる。
「お師範さんは、煉獄さんが大好きだったんだわ」
「……そ、うだろうか」
ニッコリと甘露寺は笑った。それ以上は言わなかった。俺も聞かなかった。用事があるからと去る背中を見送り、思い出の扉を再び開く。
好き。そう言われて思い出したのは「愛おしいな」と抱き締められながら笑った彼女の笑顔だった。その瞬間に胸の奥に火が激しく燃え上がり火傷を残したように痛みが走る。
憧れや羨望は確かにあった。この人のようになりたいと思った。だがそれ以上にしっくりと来た"好き"の言葉の意味を理解した。
自覚し思い返してみれば、出会ったあの瞬間、一目で見惚れたあの笑顔が全てのはじまりだ。過去にある現在の始発点。今も共に俺の中で燃え尽きることのないこの想いは、この先もきっと変わるのことは無いだろう。
「名前」
本人にも告げたことの無い名前を口にして、頬を撫でるように通りすぎた風が、微笑んだ気がした。
執筆:ソラ様 / テーマ:一目惚れ
素敵なお話をありがとうございました
(20/06/04 掲出)