ゆめのあとさき | ナノ


 10




「……佐助」
「はいよ」
 重く横たわった沈黙を破ったのは、幸村だった。彼はすっと立ち上がると“小枝”に目を落として、言った。
「丁重に、埋葬してやってくれ」
「……御意」
 頭を垂れた佐助は、現れた時と同じように音もなく姿を消した。
「死者が、蘇るなど……っ!あってはならぬことでござる!」
「……小枝さんは、亡くなられていたんですね」
「先月のことでござりまする、小枝は、忍に気づかなかった某を庇って……」
「はい。小枝さんから、聞きました」
 握り締めた赤い槍が、みしりと鈍い音を立てていた。五葉はゆっくりと幸村に歩み寄ると、力を入れすぎて真っ白になってしまっている、彼の手に自分の手をそっと重ねた。
「五葉殿」
「真田さんのことも、小枝さんから少し聞きました。真田さんがまだ小さい頃から、ずっと女中として付いていたって」
「左様にござる。某も……、小枝を姉のように思っておりました」
 崩れ落ちた灰に、彼女の面影を見るように。幸村の眼差しが、さっと哀しみを帯びた。
「あの日……某は小枝の亡骸を抱いて、思わず叫んでしまったのです。逝くな、と」
「それは……」
「某の軽率な言葉のせいで、小枝は眠れずに蘇って参ったのでござろうか……。あのような身体で、某が言った我儘を果たす為に」
「そんなこと、ありません!」
 思わず五葉が声を荒げると、幸村はうつろな目を向けた。
「小枝さんが話してくれました。真田さんは、自分のような者の為に涙を流してくれる、とてもとても優しい方だと」
「某は、優しく、など」
「そんな真田さんだから、小枝さんはきっと会いたくなったんです。もう一度、その優しさに触れたくなったんだと、思います」
「……」
 幸村は再び、夕陽を浴びてキラキラと輝く灰に視線を落とした。
 自分が逝くな、と叫んだ言葉に縛られていたわけではなく。眠りを妨げられ、嫌々と現に舞い戻ったわけではなく。ただ望んでくれていたのか。もう一度、相見えることを。
「そんな真田さんに会えたから……あんなに、穏やかな顔をしていたんだと思います」
 光に包まれ、消え逝く彼女は。笑顔であったと、五葉は言った。
「……そうであれば、良いでござるな」
「はい」
 気休めかもしれない。慰めにもなっていないかもしれない。……それでも。彼女の望みは叶えられたのだと。彼女は満足して逝ったのだと、そう思う自分の心を、どうしても幸村に伝えておきたかった。

 ゆるゆると、重ねた手を撫でていた感触が伝わったのか、不意に幸村が視線を落とす。それを目視した彼の顔が、何故か一瞬のうちに赤く染まった。
「?真田さん?」
「は、は……っ!」
「は?」
「破廉恥でござるぅぅあぁぁっ!!」
 いきなり何事だ!と突っ込む暇も隙もなく。至近距離で幸村の絶叫を浴びた五葉は、容易く意識を失ったのだった。


 ――そして、赤い夕陽が青白い月へと姿を変えた頃。
 ようやく目を覚まし、敷かれた布団から起きあがった五葉の前では、幸村がそれは見事な土下座を披露してくれていた。
「え、ちょ……っ、真田さん、やめてください!」
「申し訳御座らん、五葉殿ぉぉっ!」
「あー、旦那、また叫ぶと五葉ちゃん倒れちゃうから」
 やめてあげようねー、と幸村を宥める佐助の顔には、慣れてますから、と書いてあるような気がした。
「五葉ちゃん、具合はどう?」
「あ、もう、大丈夫です」
 少し頭がくらくらするが、特には問題はない。そう答えると、佐助は安堵したように微笑んだ。
「ごめんね、旦那ってば女の子が苦手なもんだから」
「いえ。私が軽率でした」
 まだ知り合って間もないというのに。肌に触れた自分が悪かったのだと、五葉は頭を下げる。そうすれば、幸村が慌てた様子で声を上げた。
「五葉殿は何も悪く御座らん!頭を上げて下され!」
 それに従って顔を上げると、佐助が早速だけど、と口を開いた。
「ここが、これから五葉ちゃんが過ごす部屋になるから。女中は、あとで改めて紹介するよ」
「はい。ありがとうございます」
 先程の部屋より一回り大きい部屋を見回して、私は素直に頷いた。片隅には剣、机の上には鏡が置いてある。それらを見つけた時、何故か心のどこかがホッとした。
「紹介するまで、自分は五葉ちゃん付きの女中だっていう奴が近づいてきたら、俺様か旦那を呼んで」
「……はあ」
 先程の件があって警戒しているのだろう、佐助の目が鋭い。というか正直、女中などいなくても構わないとも思ったのだが。なにせ五葉はこの時代の作法を知らない身。ここは黙って好意を受けておくことにした。
「五葉殿、明朝、お館様がこちらに参られます」
「お館様、ですか?」
「ああそっか。お館様っていうのは、この甲斐を治める、武田信玄公のことだよ」
「武田信玄、公……」
 自分の世界の常識がここでも通用するならば、五葉だって知っている、有名武将のひとりだ。
 そんな偉いお方が何故こちらへ?と首を傾げれば、驚くべき答えが返ってきた。
「お館様は、五葉殿と一度お会いしたいと仰られておりまする」
「わ、私と!?」
 こんな一般人と、会いたいと仰る?意味がわからずに、困惑して佐助を見やれば、彼も些か戸惑った様子で頬を掻いた。
「五葉ちゃんが本当に“刻の旅人”かどうかを、自分の目で見定めたいんだってさ」
「刻の旅人?なんですか、それ」
「実はねー……」
 そこで、五葉は初めて聞かされることになる。
 日ノ本に蔓延る異変と、謙信が視たという天啓。五葉という名の存在を、彼らがどう見始めたのかを。

「そんな、私が……救い主だなんて」
「俺様も、正直信じられないんだけどね」
 はあ、とため息を吐く佐助は、言外になんでこんなのが、と言っているようで、ちょっとイラッとしたのは内緒だ。
「だけど、死者が蘇るなんて、それはもう立派な“異変”だ。そして五葉ちゃんは、偶々かもしれないけどそれを解決した」
「解決……」
「そう。その鏡で」
 佐助が指さしたのは、机の上に置いてある鏡。淡く輝いていた光はもうなく、今はただ静かにその場所にあるだけだ。
「その鏡から放たれた光に当たって、死者は消えた。少なくともその鏡は、異変と何らかの関係があるってことにならない?」
「そうかも、しれません」
 あの時。夢の中に現れた女性は鏡を指してこう言っていた。

 ――天照らす浄化の光を。闇に囚われた者達を救う、道標となるように。

「案ずることはないでござる、五葉殿。お館様は“救い主”に会いに来るわけでは御座らん。五葉殿に、会いにいらっしゃるのです」
「私に」
「左様。……五葉殿は、そのままでいてくだされ」
 渦巻いていた不安が、すとん、とどこかに落ちていった気がした。
 五葉はほんの少しだけ微笑むと、こくりと頷く。
「信玄公のお目にかなうかはわかりません、が。会ってみようと思います」
「おお、左様にござりまするか!」
 ぱあ、と顔を明るくする幸村は、ずいぶんとそのお館様を慕っているらしい。
「それじゃ、そろそろ夕餉にしないとねー。旦那も、部屋に戻るよ」
「む、そうであったな。五葉殿、どうぞゆるりとお休み下され」
「ありがとうございます、真田さん」
 ぺこり、と頭を下げて。出ていくふたりを見送りながら。五葉はまだ見ぬ武田信玄に思いを馳せるのであった。



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