「すぐぽきぽき折れちゃうから、んでね、みんながこれはまだ早いから、鉛筆使いなさいって」
赤い色のシャープペンを握りしめて、紺子は難しい顔で開いたノートにくるくると円を描いた。途端に勢いよく芯が折れて、大きな放射線を描いて机の外へ飛んでいった。
紺子の前の席から椅子を拝借して座っていた吹雪は、前から知っていました、みたいな顔で頷く。
「うん、僕もそう思うよ」
「でも、このシャーペンすっごく気に入ってるんだべ!」
「鉛筆だって、すぐ気に入るのが見つかるよ」
そうかなぁ、と頬杖をついて思い悩む紺子を前に、吹雪は締りのない顔で「次の日曜に、一緒に探しに行こうよ」と誘い、紺子はそれには「うん」と生返事を返した。休日も会える約束を取り付けたことに、彼はひとまず胸中でガッツポーズしたが、紺子はまだ浮かない様子でカチカチと芯を出している。そうして、何か言いかけようとしたとき、教室の窓から珠香が手を振っているのが見え、紺子は手にしたペンを置いてぱっと席を立った。吹雪もゆっくりと後を追う。珠香の後ろには喜多海がいつものマフラーに顔の半分を埋めて突っ立っていた。
「紺子、遊ぼー!…あ、吹雪くんここにいたんだ」
昼休み開始と同時に自らの教室から消えた吹雪が隣の教室に馴染んでいるのを発見し、彼のクラスメイトである珠香は、前から知ってたけど一応言っておきました、みたいな顔で言った。その後ろに立つ喜多海はぼーっと珠香の帽子のしっぽを見つめている。何を考えているのかは誰にもわからない。
「うん、遊ぶ!グラウンド空いてるべ?」
「今烈斗たちが4on4やってるよ!」
珠香が目を細めてくすくすと笑う。「空野くんがキーパーやってんだけど、ゴールの前でおろおろしちゃってて」と可笑しそうに言った。珠香が笑うと世界が一変してきらきら光る。
「ね、早く行こ!どっちが勝つか見なくっちゃ」
言うが早いか珠香は既に駆け出していて、喜多海が紺子らを一瞥してその背を追った。紺子も続こうと、教室を飛び出した。もちろん、吹雪の手を握って(もしもこのとき紺子が後ろを振り向いていれば、なかなか珍しい顔をした吹雪を見ることができたであろう)。
 
4on4から始まったミニゲームは、いつの間にかサッカー部員以外も集まって大所帯の紅白戦となった。吹雪の一人勝ちかと思われた試合展開は予想外に白熱して、同得点のまま昼休みが終わった。
「みんな、上手になった」
放課後、部活動を終えた生徒たちが疎らに帰路を辿る中で吹雪がぽつりと零した独り言に、紺子は力強く頷いた。
「うん!みんな、吹雪くんがいない間に、たくさんがんばったべ!」
「そっか…。うん、やっぱり僕は、みんなとやるサッカーが好きだ」
吹雪の瞳は光の加減によって淡い水色になったり鮮やかな緑色に見えることもあった。そうして、こんな赤い西日に照らされると、金色にひらめく一瞬がある。今もそういう目をして穏やかに話す吹雪に、紺子は胸を詰まらせて、慌てて言葉を探すのだった。
「…み、みんなだって、吹雪くんとサッカーするの大好きだべっ!あ、でも、スキーでも、スノボーでも、何でも楽しいべっ!」
勢い込みすぎて両手を振り回さんばかりの紺子に、吹雪は破顔してから間を空けて「ありがとう」とだけ言った。吹雪にだって、すぐには言葉が出てこなくなることもある。
「だって、ねえ、吹雪くん、あのね」
「ね、ちゃんと聞いてるから、ゆっくり喋ってよ」
「だって」
「だっても何もきみ、急ぐとしゃっくり返るような喋り方するでしょう。僕は心配なんだ、いつかきみが絡んだ舌で咽喉を詰まらせるんじゃないかって」
「もう!」
いつの間にか吹雪はぴくりとも笑わず「本当に心配なんだ」と呟いた。紺子が膨らました頬の処理に戸惑っていると、吹雪の手が伸びてきた。頬どころか顔中すっぽり吹雪の手の中だ。気恥ずかしい。なにより心配性の域を超えている。膨らんだ頬はいつの間にかしゅるしゅると萎んで、普段通りの丸みを取り戻していた。
「そんな、お餅みたいに、咽喉に詰まったりしないべ」
「こんにゃくゼリーかもしれない。…あ、マシュマロでもいいな」
紺子はすでに何の話をしていたのかわからなくなっていた。なんかよくわからないけどおいしそうだな、とぼんやりマシュマロのことを考えていた。その内に頬を包んでいた手は離れて、自然な流れで少女の左手を引いて歩き出した。紺子はもう、マシュマロの味も思い出せない。
「ね、シャーペンの話だけど」
「え、あ、うん」
「どうして鉛筆じゃ嫌なの?」
「嫌っていうか…その、」言い難そうに言葉を切って、紺子は視線を下へ落とした。「…子供っぽいから」
頬がかっかと燃えるように熱い。急に居場所がないみたいに思えて、更に視線を下げた。吹雪の大きな足が見える。サッカーボールを誰よりも強く高く遠く蹴り上げる、大きな足。紺子のちんちくりんな小さい足とは全然違う。走る速さも、きっと見える景色も。だから紺子はときどき、強い焦燥感に駆られるのだった。早く大人になりたいと祈って止まない。大人になれば色んなことが自由自在に出来てしまえると信じているのだ。
「鉛筆を握る紺子ちゃんも、その…素敵だよ」
まるでトンチンカンなことをのたまった吹雪の顔が、夕焼けよりも真っ赤に染まっていることに、紺子はまだ気がつかない。