※学パロ
 
中間テストを終わらせる学校のチャイムが鳴ると、校内全体の張り詰めた空気が緩んで飛んだ。担任教師の声を聞いているのかいないのか、ざわめきはHRが終わるまで止まなかった。
部活動をしていない生徒たちが何事か声高に笑いながらまばらに下校していくのを、私は薄暗い空き教室の窓からぼんやりと眺めていた。この狭い教室は元々資料室で、何台か置かれている本棚には使われなくなって久しい道徳などの教科書がしまわれている。長いこと本格的な掃除はされていないらしく、昼の日差しで空気中の埃がきらきらと漂っていた。私は左手首に巻いた腕時計に目を落としてから、窓から離れて四つしかない席(しかも決まってどれもペンキが剥げていたり背凭れが曲がっていたりする)のひとつに腰掛けた。もわんとする空気に耐えられず窓を開けようかとも思ったが、一度椅子に落ち着いてしまうと再び立つのが気だるかった。天気予報では二十七度になるといっていた窓の外は、どう見ても気持ちの良さそうな風が吹いているようには見えない。
「すまない、」
何度目か腕時計に目を落としていたとき、唐突にがらりと後ろのドアが開いた。振り返る前に私はほっとして立ち上がった。誰か確認しなくても、こんな時間にこんな教室に来る生徒なんて私を除いて二人しかいない。
「やけに遅かったですね、ルートヴィッヒさん」
「…今日は日直だったのを、君に伝え忘れていた」
学生鞄を肩にかけながらからかうように声を掛けると、淡いプラチナブロンドをオールバックにした少年 (見かけは完全に青年である)は、決まり悪そうに掛けていた眼鏡を外した。僅かに息が上がっているのは、急いで来てくれたととっていいのだろうか。もう少しいじめてやろうかと思ったが、それに免じてやめてやることにした。
「フェリシアーノ君は?」
いつも連れ立っている友人がいないのに首を傾げると、ルートヴィッヒはやれやれといった風に少しばかり乱れていた前髪を後ろに撫で付けた。
「美術部の顧問に拉致られていた」
「ああ…」
「先に帰ってくれと」
美術部といえば、近々コンクールの締め切りが迫っているとフェリシアーノ自身が零していたのを聞いたことがある。滅多に部活に顔を出さない彼に部の顧問が業を煮やしたのであろう。気持ちはよくわかる。彼の腕があればどんな名誉ある賞も取れるに違いない。
「それにしても、ここは夏場は地獄だな…」
うんざりした顔でルートヴィッヒが学校指定の白い開襟シャツの襟元を仰ぎながらぽつりと零した。
「窓くらい開けておけ、熱射病になるぞ」
「まあ、どうせもう帰りますし」
「…俺は君のそういうところが心配だ」
ルートヴィッヒは何か苦いものを噛んだような顔でゆるゆると首を横に振った。私は一瞬胸が詰まって、少し逡巡したあと結局「あなたに心配されると、なんだか嬉しいです」と素直に言うことにした。
 
「おや、今日は自転車でしたか」
「ああ」
駐輪場へ寄らせてくれと断わった彼についていくと、彼はさっさと自分の自転車を見つけて鍵を差し入れた。殆ど引っ手繰るように奪っていった私の学生鞄をカゴに入れて、彼はわざわざ私の歩調に合わせて自転車を引いてくれた。いつものことなので礼を言うのも何かはばかられて、私はまた気持ちを持て余してしまう。校門を出るところで、彼は不意に立ち止まった。
「ルートさん?」
「あー…その、後ろに乗らないか?」
「えっ、でも」
それって二人乗りってやつじゃ。口ごもる私に彼は「見つからなければいいだろう」と言って笑った。彼には珍しいその仕草にあっ気にとられた私が何も言い返せないでいると、彼はくすぐったそうな顔で頬を掻いた。
「やはり似合わないだろうか、そういうのは…」
「い、いいえっ」
思わず肩を怒らせてしまった私を見て彼は目を丸くさせる。咄嗟に誤魔化そうにも力が入りすぎてぐっと握り締めた左拳が滑稽すぎた。
「乗ります!」
勢い込んで身を乗り出す私に、彼は眩しそうに目を細めた。
 
自転車の速度は肌を焼く熱気を切って面白いくらいにぐんぐん上がる。しがみ付いたルートヴィッヒの背中は熱く汗ばんで湿っていて、私は悪戯のように腕に力を込めた。暑い、と怒られるかと思ったが、意外にも彼はひくりと肩を揺らすだけで私を受け入れた。顔を寄せると汗と整髪剤の混ざった匂いがした。そのまま広い背中に顔を埋める(そのとき、私はついに気づくことはなかったけれど、彼は静かに耳先を火照らせていたのだ)。
私はゆっくりと瞬きをする。
どこまでも見透せる、遠い青が落ちてくるような空が眩しかった。