士郎→紺子←アツヤでお隣パロディ
 
荒谷さん家のお隣に吹雪さん家が引っ越してきたのは数年前のことだった。
吹雪さんのお家はコンクリートで造られた新築で今風のそりゃ立派なお家だけど、荒谷さんのお家は広いは広いが古い木造建築で心無い悪童に「お化け屋敷」と揶揄されるほどおんぼろだった。そんな対称的な二軒が仲良く並んでいる光景は見てる側からすれば異様の一言だけど、住んでる人間は何とも思っちゃいないらしい。証拠に吹雪さん家の双子の息子と荒谷さん家の一人娘はとっても仲良しで、出会ったその日からどこへ行くにも何をするにもとにかく三人一緒。自然と親同士も仲良くなって、今じゃその内実を知ってる人からすればちぐはぐな両家が寄り添い合うように建つ姿さえ微笑ましい。
ところで、そんな吹雪家の双子の長男、吹雪士郎くんには人知れず野望があった。当時まだ十にも満たない彼の野望とは、荒谷さん家の紺子ちゃんをお嫁にもらうことだった。紺子ちゃんは優しいし可愛いし、何より女の子なのにサッカーに付き合ってくれるのだ。一緒に泥だらけになるまで喜んで遊んでくれる。他の女の子を誘っても、泥だらけのボールを見た瞬間「ここで見てるね」なんて言って、なかなか遊んでくれないのに、でも紺子ちゃんはそうじゃない。一緒にボール目掛けて走ってくれる。風になるという感覚を共有してくれる。それに、と士郎くんはこっそり思う。紺子ちゃんは落ち込みやすい士郎くんを度々励ましてくれるのだ。誰にも気づかれないように物影で泣いていると、すぐに見つけて隣にいてくれる。何も聞かずに背中を撫でてくれる。小さな暖かい手が背中に触れるたび、士郎くんはそれを宝物のように思うのだ。
しかし、双子の宿命か否か、士郎くんの弟アツヤくんも似たような理由で紺子ちゃんが好きだった。こちらは結婚という発想までには至らなかったけれど、大人になっても一緒だったらなあと考えるほどには好きだった。紺子ちゃんは士郎くんとアツヤくんを見比べたりしない。アツヤくんは士郎くんよりテストの点が低かったり、素行が悪かったり、更に細かしい点を上げれば、長距離走が苦手だったり野菜が食べられなかったり乳歯が抜けるのが遅かったり極端に寒がりだったり、そして学校の先生や友達はそういう点を一々あげつらって「士郎くんは出来るのに」と言う。まるで兄のおまけみたいじゃないかとアツヤくんは苛立って思うのだ。でも紺子ちゃんはそんなこと言わない。そのままのアツヤくんを見てくれる。だからアツヤくんにとって紺子ちゃんは家族のように特別だった。


そんなある日、放課後の学校で士郎くんとアツヤくんは紺子ちゃんを探していた。
小学三年生までは一緒のクラスだったのに四年生に上がってから別れてしまったため、二人は下校のとき必ず揃って紺子ちゃんのクラスを訪れていた。今日も一緒に帰ろうと紺子ちゃんの教室に顔を出すと、紺子ちゃんはいなくて、教室に残っていた子によると先に帰ったという。士郎くんとアツヤくんは顔を見合わせた。入学からこちら、学校のある日は毎日毎日一緒に登下校をしているのだ。今日だって一緒に登校して、お昼休みには一緒にグラウンドでサッカーをした。なのに、急に一人で帰るなんておかしい。士郎くんが「上履きを見てみよう」と言った。アツヤくんも頷いて玄関の方へ行くと、紺子ちゃんの下駄箱には紺子ちゃん愛用の泥だらけのスニーカーだけがぽつんと置かれていた。
「内履きがないってことは、まだ学校にいるんだよな」
「探さなきゃ!」
兄が飛んで行こうとするのをアツヤくんは急いで追いかけた。
「探すったってどこをだよ!」
「全部!」
「全部って…女子トイレにいたらどうすんだよ!」
「関係ないよ」
思わずアツヤくんは兄の正気を疑ってしまった。隣りを走る士郎くんをちらっと見て、アツヤくんは女子トイレの話をしたのを後悔した。士郎くんの目はマジだった。マジで紺子ちゃんを探しに女子トイレへ入る気だ。このままじゃ明日にはクラスで兄が変態扱いされてしまう。いくら比べられるのが嫌でもアツヤくんは士郎くんを兄として慕っていたので、そんなことになったら兄が可哀相だと思った。
「女子トイレは…最後にしようぜ」


アツヤくんの心配は杞憂に終った。
特別教室のある南棟の一階にある、物置になった空き教室に紺子ちゃんがいたのだ。壊れた地球儀やらめちゃくちゃに汚れた三角定規やらが埃を被ってざっくらばんに置かれている奥で、足の拉げた机の隣りに蹲っていた。士郎くんとアツヤくんが揃って近づいても気づかない。士郎くんが「紺子ちゃん」と声をかけると、びくりと震えて顔を上げた。
「あ、…士郎くんとアツヤくん?」
「お、お前、泣いてたのか」
紺子ちゃんのびっくり顔に涙があるのを見つけて、アツヤくんはひどくうろたえた。士郎くんは悲しい顔をして蹲る紺子ちゃんの隣りに座った。兄がそうするのを見て、アツヤくんも机を退けて士郎くんの反対側に座る。紺子ちゃんは二人の登場に驚いた様子で、両隣をきょろきょろ見回してから、「か、帰ったかと思ったべ」と目をごしごし擦りながら言った。
「紺子ちゃんがいないのに帰れないよ」
士郎くんが真面目に言うと、アツヤくんも「そうだそうだ」と同調した。
「一人でこんなとこ、勝手に行きやがって。探すの大変だったんだぞ」
「ご、ごめん」
「アツヤ」
士郎くんが一言二言多い弟を窘めて、「アツヤの言うことなんか気にしなくていいよ」と紺子ちゃんに言った。でも紺子ちゃんは曇り顔で俯いたまま、もう一度「ごめん」と謝った。これにはアツヤくんも困ってしまって、言葉が続かなかった。
「…紺子ちゃん、何があったの?」
士郎くんが意を決して尋ねる。だって尋常じゃない。こんなふうに泣いてしまう紺子ちゃんなんて初めてだ。いつもやってもらっているように背中を撫でてみようかと思ったのに、ランドセルが邪魔をした。
紺子ちゃんは真っ赤になった目をぎゅっと瞑って首を振った。
「何にもないべ!」
「紺子ちゃん…」
「おい紺子、お前俺たちが信用できないのかよ」
アツヤは段々苛付いてきた。こんなふうに紺子ちゃんを泣かせた原因も、口を割らない紺子ちゃんにも。何にもない訳がないのに何にもない振りをする。壁を作られた気がして、アツヤくんは面白くない。
「アツヤ、またそんなこと言って」
「士郎はいいのかよ。紺子が泣いてんだぞ。俺は泣かせた奴殴り飛ばさなきゃ気が済まない!」
「アツヤ」
“それは後でやる。”士郎くんの至って冷静な眼差しから心の声が聞こえた気がして、アツヤくんは口を閉ざした。ちょいちょい兄が恐ろしく思えるのはどうしたことだろう。両隣のやりとりをおろおろ見ていた紺子ちゃんは、信用してないから話さないなんて思われるのは嫌だと思って、迷い迷い、やっと口を開いた。
「…あの、あのね、お化け屋敷って」
「え?」
「お家のこと。ほら、家、古いから。でね、私は、笠お化けなんだって」
「……誰がそう言った」
「そんなこと言うのはどこの誰かな」
地獄を這うような二人の声に、紺子ちゃんは今度こそ固く唇を噛んだ。さっき殴るだのなんだの不穏な言葉が飛び出していたので、これだけは絶対に言わないと胸に誓っていたのだ。しかし、あんなに傷ついて悲しかったことが今はそんなでもない気がして、こんなふうに泣いてしまったのが急に恥ずかしくなってきた。
「た、大したことないべな。ごめんね、もう大丈夫だべ」
誤魔化すように笑って立とうとすると、横からぐっと腕が伸びてきてよろけた。後ろから「あっ!」とアツヤくんの驚いた声が聞こえる。
「…士郎くん?」
「紺子ちゃんはお化けなんかじゃない」
「……うん」
抱き寄せられた近い距離から優しい声。笠を被った頭の上から撫でられる感触がして、不意に紺子ちゃんはまた泣いてしまいそうになった。我慢しているとぐいぐいと後ろからランドセルを引っ張られて、仰向けに倒れてしまうところを引っ張った張本人のアツヤくんが抱え込んだ。アツヤくんの満足そうな顔が目を丸くした紺子ちゃんを覗き込む。
「わ、わ、アツヤくん何するべ!」
「紺子がお化けなら俺もお化けになる!」
「ええ?」
「あ、そういうことなら僕も」
紺子ちゃんは目をぱちくり瞬いて、とってもおかしそうに笑い出したので、士郎くんとアツヤくんは嬉しくなって、顔を見合わせて一緒に笑ったのだった。笑いながら紺子ちゃんは、二人がいてくれて本当に良かったとしみじみ思って、二人にわからないようにちょっとだけ泣いた。


すっかり日の暮れたオレンジ色の帰り道を、三人は紺子ちゃんを真ん中に手を繋いで歩いていた。そういえば、とアツヤくんがにやにや笑いながら紺子ちゃんに言った。
「士郎のやつ、紺子を探しに女子トイレにまで入りそうになったんだぜ」
「えっ」
紺子ちゃんが驚いて士郎くんの方を向くと、士郎くんは夕日より赤い顔で「アツヤのばか」とアツヤくんをねめつけた。「だからさ」とアツヤくんは士郎くんの視線を気にしないで紺子ちゃんと繋いだ手をぷらぷら揺らす。
「もう一人でどっか行くなよな、じゃないと士郎も俺も何するかわからないぞ」
どんな脅迫の仕方だ、と士郎くんはちょっと呆れたけど、事実はその通りなので何も言わずに繋いだ手をちょっと強めてみると、同じ強さで握り返す手があった。
「うん」
紺子ちゃんは小さく頷いて、照れたようにはにかんだ。長く伸びた三つの影は団子のように寄り添って、お家に着いてもなかなか離れなかった。紺子ちゃん家のおんぼろ屋敷を前にして、士郎くんは今度泊まりに行ってもいいかと尋ね、アツヤくんは今度泊まりに来いよと誘って、紺子ちゃんはこくこくと頷くのに忙しかった。
これからもずっと三人でいれたらいいなあ。三人の子供は三人とも気づかない内に同じことを考えていたのだった。