「ずっと考えていたんだけど、紺子ちゃんは少し無防備すぎていけないよ」
また何か言い出したなあ、と紺子はベッドの縁に凭れながら吹雪の部屋に置いてあったサッカー雑誌をぺらぺら捲った。ふと目に留まったのは浅黒い肌のいかにもなスポーツマンがインタビューを受けている記事だった。試合に対する意気込みやら好きな食べ物まで取り留めのない話がページの端から端まで埋っている。将来吹雪もこんな雑誌に載るようになるんだろうか。そんな先を思い浮かべると決まって紺子は自分の立ち位置についてまで考えが及んで少し落ち込んでしまう。どうも紺子は自分と吹雪との釣り合いが取れてないように思えて仕方ないのだった。
紺子がはあと溜息をついた横で、吹雪は紺子が穿いている短すぎるズボンについて苦々しく思っていた。近頃やっと雪が解けてきたとはいえ、そんな太もも剥き出しでは寒いだろう。寒いだろうし何より目の毒だ。そこで冒頭の台詞に繋がるのである。「大事な話だからちゃんと聞いて」と紺子が眺めていた雑誌を奪って放り投げてしまうと、吹雪は大真面目に言った。
「その髪の毛の甘い匂いや柔らかい体がどんなふうに僕を追い詰めるかきみは全然知らないんだ。いっそ全部心の中が筒抜けになってしまえばいいのに。そうしたらきみも考えを改めるだろう。僕ばかりこんなにどきどきしてずるいよ」
「……吹雪くん?」
「言っておくけどこれは個人の話じゃないよ。男女間の問題ってのは」
「…男の子って本当に何考えてるのかわからない」
「そんなに大した違いはないと思うけどね。宇宙人じゃあるまいし」
「宇宙人、ねえ」
それはどうだろう、と紺子は訝ったが声には出さなかった。今日の吹雪は妙に扱いづらくて面倒臭いなと思っていた。放り出された雑誌はベッドの上でくしゃくしゃになってしまっていて、寸前まで読んでいた紺子はその雑誌が憐れに思えて「ねえ、くしゃくしゃだべ」と指差して吹雪に訴えかけたが、またぺらぺらと演説めいた訳のわからない話が続いただけだった。若干うんざりした紺子はどうやったら静かになるかしらとぼんやり吹雪を眺める。段々と暖かさが増す春先は思考をぼかさせるらしく、ぼやけた思考はとろとろとまどろみ始めて紺子はちょっと眠たくなっていた。吹雪の膝の上なんて、とても温かそうだ。あそこでうたた寝したらきっとすごく気持ちが良いだろう。自然と物欲しげな顔になってしまった紺子を見て、吹雪は大変動揺した。自分の主張は聞き入れられただろうか、しかしこの子の様子を見るにどうも理解はされてないらしい。理解された上でこの表情というなら吹雪とて自制するのも馬鹿馬鹿しいのだが、先ほど唱えた男女間の問題というやつを引っ張り出して考えてみると、男の自分と同じ情熱で紺子が吹雪を求めているとはどうにも信じがたく、結局吹雪に出来たのは目を逸らすことだけだった。激しく目の毒である。
「ねえ、吹雪くん」
唐突に、思わぬ近さで囁かれた声に驚いて振り返ると、やはりとても近くに紺子がいて吹雪は二重に驚いた。慌てて距離を取ろうとするが先に紺子が動いた。小さな体が膝の上に登ってくるのを吹雪は硬直して見ていた。彼の膝の上が思った通り居心地良くて、紺子は満足げに微笑んで首を傾げてみせる。
「どきどきしたべ?」
「僕の話、聞いてたよね」
「うん。ちょっと膝貸して」
「え?」
「眠たいの」としょぼしょぼと眠そうに言った紺子がくったりと力を抜いて更に身を寄せてくるので、吹雪は余計に冷静になることを意識しなければならなかった。柔らかくて温かくて良い匂いがする。こんなにくっつかれたら体の凹凸さえはっきり分かってしまう。どきどきどころじゃない、心臓が爆発しそうだ。
「少し、嬉しかったんだべ」
不意打ちのように呟かれた言葉に吹雪はきょとんとなって「何が」と尋ねた。
「雑誌ごと放り投げられたべ、憂鬱も一緒に」
「何の話?」
「秘密。吹雪くんこそ何の話してたんだっけ」
「……丸っきり、聞いてなかったじゃないか」
紺子の秘密も大いに気になるところではあるが、目下この状況だ。本当に全部筒抜けに伝わってしまえばいいのに。醜い欲望の一つ一つ丁寧に教えなければわからないなんて耐えられない。口の中が乾いていくのを感じていると、膝の上でくすくすと笑う紺子に気が付いた。吹雪の胸の辺りに凭れ掛かった頭の重みが震えるのがまた妙に心地よくて、払い除けるなんて選択肢すら考え付かなかった吹雪はただ溜息をついた。
「まったく、どうして紺子ちゃんはそんなに暢気なのかな。きみ、今すごく危ない場所に自ら乗り込んできたんだよ」
「うん。どきどきしてるの聞こえるべ」
「ああ、今わかった。紺子ちゃんは僕の心臓を壊したいんだ」
「そしたらまた創ってあげるべー」
「破壊と創造?またやけにロマンチックだね。それはそうと本当にそこで眠る気なのかな」
「ちょっとだけ、だめ?」
「……あとで絶対お返しするから」
その上目遣いはルール違反ではないだろうか。このことについても後でしっかり言っておかなくちゃいけない。吹雪はすぐ寝息を立て始めた紺子の唇をちらちらと眺めながら「お返し」の内容を考えて、たびたび自制心と戦わなければならないのであった。