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「ねぇ母さん!変じゃない?子供っぽくない?」

鏡の前で何度も服を見ながら問い掛ける僕に母さんは苦笑を溢しつつも律儀にこちらを見て返事を返す。

「はいはい充分大人っぽいわよ。そろそろ健二くんのお兄さん来るんでしょ?さっさと支度しちゃいなさい」

その言葉に分かってる、と返して僕は鞄を掴む。今日は珍しく名古屋まで出張となったナマエさんとOZの名古屋支社まで動作テストをしに行くのだ。

夏に僕とナマエさんが恋人になって丁度二ヶ月がたった。あの夏以来僕たちは二三回しか会っていない。なんでもOZのバージョンアップが近いとかでナマエさんの仕事が極端に忙しくなっているのだ。
今回会うのも決してデートとかそんな甘いものではなくOZのアバター動作テストにナマエさんがキングカズマを呼んだのが切っ掛けである。まあそこは職権濫用と言うか、ナマエさんが僕に会いたくてわざわざ動作テストと銘打ってカズマを起用したらしいんだけど……。

「(どうせなら、二人っきりで会いたかったな……)」

ナマエさんの仕事が忙しいのは分かっている。住んでるとこだって離れてるし、頻繁に会うのがなかなか難しいことだって。

「(でも、)」

僕だって、好きな人と会えなかったら寂しいのだ。仕事と私どっちが大事なの!なんてよくある、ドラマの女の人が言うような女々しいことは言いたくないけど。でも。

「(……ナマエさんのバカ)」

俯くと同時に玄関のチャイムが鳴り響く。それに顔をあげれば玄関から母さんの声が僕を呼んだ。

「佳主馬ー!ナマエさん来たわよ!」

ナマエさん!
その声に急いで玄関へと走る。するとそこには出会ったときと同じく、微笑を浮かべて優しくこちらを見つめるナマエさんがいた。

「佳主馬くん」

僕を瞳に写したナマエさんが穏やかに笑う。それにきゅんとしつつもその気持ちを圧し殺してそっぽを向いた。素直に喜ぶのは何となく癪だった。
だってナマエさん、全然普通なんだもの。僕はこんなに嬉しいのに何だかこちらばかりのようで悔しい。

「遅いよ。早くして」
「コラ佳主馬!すいませんナマエさん。今日はよろしくお願いします」

ぶっきらぼうな僕の言葉に母さんが申し訳なさそうに眉を下げてナマエさんを見つめる。ナマエさんは愛想よく笑ってそれに応えた。

「いえ、今日は俺が佳主馬くんを付き合わせるんですから。じゃあ佳主馬くん、行こうか」

母さんに丁寧に頭を下げたナマエさんが晴れやかに微笑む。その顔から視線を逸らして僕は車に乗り込んだ。

「久し振り、佳主馬くん。元気だった?」
「まぁね。ナマエさんみたいに忙しくないから」
「はは、手厳しいな」

ナマエさんが困ったように曖昧に笑う。
そんな他愛もない話をしながら車に揺られること数十分。乱立するビル群の中でも一際大きくそびえ立つ建物がOZの名古屋支社だ。地下駐車場に車を止めたナマエさんは迷いない足取りで広い廊下を進む。エレベーターに乗って地上へと上がれば広いエントランスが眼前に広がった。

「まずは受付して俺の使ってるオフィスへ行こう。テスト用のパソコンは別室に用意してあるから、それを常時モニタリングするんだ」

ついてきて、とナマエさんに案内されたのはスーツ姿の人たちで賑わうパソコンだらけの部屋だった。部屋に入ったとたん大勢の人が僕を見て目を見開く。

「その子……もしかしてキングカズマか?」

茶色っぽい髪の男の人がナマエさんに問い掛ける。ナマエさんがそうだよ、と言って肩に手を置いたので軽く頭を下げると途端に部屋に大きな歓声が上がった。

「すげ!君が噂の佳主馬くんか!俺はこいつの同僚で佐藤っていうんだ。よろしくな」

佐藤?と目の前で人懐っこい笑みを浮かべる男の名前を反芻して漸く思い出す。陣内家でナマエさんが電話していた同僚の人だ!
当時の印象を思い出してそっとナマエさんに寄り添う。僕よりもナマエさんの近くにいられる人……という点で僕は彼を勝手にライバル視していた。もちろんそれは今であっても変わらない。

だってこの人は僕よりナマエさんと長く一緒にいるんだ。なんて羨ましい。僕もこの人みたいになればずっとナマエさんと一緒にいられるのだろうか。
じっと見つめる僕に目の前の茶色は不思議そうに首を傾げてみせた。

「じゃあ自己紹介はこの辺にしてさっさと始めちゃおうか」

こっち、とナマエさんに案内されたのは隣の部屋だった。きちんと整えられた机に大きなデスクトップのパソコンが鎮座している。ナマエさんは慣れた手つきでそれを起動させるとくるりとこちらを振り返った。

「モニター中は後ろを人がうろうろしたりすると思うけどあんまり気にしないで。疲れたりしたらすぐ休んでね。俺もなるべく様子見るようにするから、何かあったらすぐに呼んで。いい?」

そっと僕の髪に手を添えながら言うナマエさんに僕は憮然として頷く。
何だか凄く子供扱いだ。僕はもう子供じゃないのに。

「分かったから、もう行って」

拗ねているのも相まってぶっきらぼうに言えばナマエさんは困ったように眉を下げてごめんね、と呟いた。何についてのごめんねなのさ。馬鹿ナマエさん。

それからは2時間ほどひたすらアクションモードでバトルをしたりしていた。バージョンアップ版だということで確かに動きはスムーズだし、グラフィックも綺麗だ。最近OZは重くなってきていたから、動作が早くなったのはかなり操作しやすい。

「お疲れー。佳主馬くん」

ヘッドフォンを外して息をついたところで後ろから声をかけられる。ゆっくりと振り返ると片手にジュースのペットボトルを持った佐藤さんが立っていた。

「キングカズマの戦いって初めて見たけどやっぱすげーのな。アバターがあんなに早く動くとこ初めて見たよ」

ニッと笑って彼はペットボトルを差し出す。それを受け取ってどうも、と返せばじっと僕を見つめた佐藤さんがしみじみとした様子で呟いた。

「しっかし君とナマエがねぇ……。あいつもう完璧に犯罪者だな」

その言葉に僕は持っていたペットボトルを思いっきり握り潰した。
え?ナマエさんと僕って……。何で知って……?

「おー、驚いた顔してるな。何で俺が知ってるか知りたい?」

僕はこくこくと首を縦に振る。すると佐藤さんはクワッと眉をつり上げた。

「そりゃあもう毎日毎日ナマエの奴が君のことを俺に自慢してくるからだよ!」

ナマエさんが僕を自慢?目を丸くする僕に佐藤さんがさらに言葉を紡ぐ。

「ほんっと!あいつ君のこと大っっ好きだからさ!やれ佳主馬くんは可愛いだの良い子だの耳にタコができるくらい聞かされるわけ。お前には絶対会わせたくない、とか!」

僕はぽかんと口を開け目を瞬かせる。佐藤さんの言葉を理解する度に顔に熱が上っていった。
何それ。すご……く、嬉しい。

「今日だって盆休みに駆り出された借りに絶対早く帰るからって脅されてさー。知ってるか?あいつ結構かっこつけだからほんとは君が来て滅茶苦茶はしゃいでるのにクールに決めようと我慢してるんだぜ?君のいないとこでは総崩れだけど」

本当君にベタ惚れだよ、と呆れ顔で笑う佐藤さんに僕は真っ赤になった顔を俯かせた。

「……ほんと、バカ」

僕は緩む口許を押さえて呟く。胸が暖かい。何だか拗ねているのが馬鹿らしくなってしまった。ナマエさん。やっぱり、僕はあなたが大好きだ。
ナマエさんに会いたい。

本当はずっと嫌だったんだ。ナマエさんは大人で、母さんに挨拶したときだってそつがなくて、こんなことで拗ねている自分がとても子供っぽく感じた。だからそっけない態度をとってしまったけど。でも本当はすごく嬉しかったんだよ。ナマエさんに会えて。もっと、一緒にいたいよ。

「お疲れさま佳主馬く……って佐藤!?」

部屋に入ってきたナマエさんがこちらを見つめて目を見開く。そして素早くこちらに近づくと佐藤さんから庇うように僕を抱き締めて自分の背後に隠した。

「ちょっ、佳主馬くんに近付かないでよね!大丈夫?佳主馬くん。この男に変なことされてない?」
「てめぇナマエコノヤロー」

ナマエさんが僕の前にしゃがみこんで心配そうに頬を撫でる。その真剣な表情にさっきの佐藤さんの言葉を思い出した。僕の前でも崩れちゃってるよ、ナマエさん。

「ううん、大丈夫じゃない。ナマエさんと会えなくて、すっごく寂しかった」

早口で言って目の前のナマエさんの胸に飛び込んだ。え、と息を飲んだナマエさんは抱き着いてきた僕を受け止めてそっと抱き締め返す。ずっと思っていたことだけど、やっと素直に言えた。
赤く染まった顔を隠すようにナマエさんの肩口にぐりぐりと頭を擦り寄せると頭上でナマエさんの微笑む気配がした。

「もしかして、全部お見通し?」
「当然でしょ。もうナマエさんは僕の前でかっこつけ禁止だから」

バレてたか、とナマエさんが照れくさそうに頬を掻く。そして背に回した手で優しく僕の髪に触れた。

「俺も、寂しかったよ。ずっと」

ナマエさんが僕を見て柔らかい笑みを浮かべる。その笑顔に満たされていくのを感じた。

「我が儘を言って、佳主馬くん。寂しい思いをさせたお詫びに俺に出来ることなら何でも叶えてあげる」

僕は悪戯っぽく笑うナマエさんを見上げたあとでチラリと佐藤さんを見つめる。
僕の願いは決まってる。彼には悪いけど、仕方ないよね。

「ナマエさんが名古屋から帰るまでナマエさんと一緒にいたい。勿論二人っきりで」

ナマエさんは僕の言葉に溶けるような極上の笑みを浮かべるとお安いご用、と言って佐藤さんを振り返った。

「というわけで俺は急に高熱が出たから。佐藤あとはうまくやっといて」
「は?ちょ、おい待てよナマエ!この犯罪者!」

驚いて目を剥いた佐藤さんがぎょっとした様子でナマエさんを呼び止める。ナマエさんはそれに涼しい表情を向けて僕の手をとった。

「佳主馬くんと一緒にいられるなら犯罪者で構わないよ。悪いな、佐藤」

ナマエさんがにっこりと笑って部屋から駆け出す。後ろでこれで借りはチャラだからな!と佐藤さんの叫ぶ声が聞こえた。何だかとてもおかしくて口の端に笑みか浮かぶ。

「佳主馬くんは何処に行きたい?」

ナマエさんが僕を見つめて楽しそうに笑う。僕はそれに同じく楽しそうな笑みを返した。
僕の答えなんか、もう決まっているのだ。

「ナマエさんと一緒なら、何処でも!」

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