end(old)
5日目の夜。外で鳴く鈴虫たちの声に相まって、がやがやとにぎやかな声が明かりと共に夜の庭へ広がってゆく。
食卓にならんだ色とりどりの料理を囲み、みんなで話しながらの夕食はこの陣内家の定番である。いつもだったら黙々と食べているだけだがナマエさんが隣にいる食卓はなんだかいつもより楽しく、自然と口が饒舌になる。

「ほら、ナマエさんもっと食べないと。なくなるよ」

料理を小分けした皿を渡しながら言えば「ありがとう」と微笑まれた。去年健二さんも言っていたことだが、どうやら大人数での食事が珍しいらしい。楽しそうにしているナマエさんを見るのは僕もとても楽しかった。

「我が陣内家では代々〜」

少し顔を赤くして大袈裟にお決まりの陣内家の歴史を語りだす師匠の声にみんなが「また始まった」と呆れ顔をする。けれどナマエさんだけは楽しそうに話を聞いていた。そういえば彼はこの話を聞くのは初めてか。

「へえ、すごいな。歴史ある血筋の家なんだね。陣内家って」

くぴ、とお酒を一口飲んでナマエさんが笑う。今まで特に気にしたこともないけれどナマエさんに褒められるとなんだか誇らしかった。

「ん、なんか薙刀とかならばあちゃんの部屋にあるよ。後で案内してあげようか?」
「本当?嬉しいな」

ナマエさんが笑うと、僕も嬉しい。その笑顔がくすぐったくて顔をそらす。赤くなった顔を誤魔化そうと近くにあるビール瓶に手を伸ばした。

「……ほら。コップ、空でしょ」

空になったグラスにビールを注ぐと師匠と同じくらい顔を赤くして酔っ払った様子の直美おばさんがにやっと笑った。

「佳主馬ぁ。あんた世話女房も体外にしなさいよぉ」
「、はあ!!?」

途端に顔にかっと血が昇る。

「何言ってるの!?ばっかじゃないの!!」
「だってあんたがそんな甲斐甲斐しいところ初めて見たし。もう夏希と一緒にナマエさんに娶ってもらえばぁ?」

瞬間、どっと今に笑いが起きる。けらけらと笑う直美おばさんに真悟たちが「めとるってなに?」「およめさん?」なんて話している。
いつもだったら酔っ払いの戯れ言だって聞き流せるけれど今はそんな余裕はない。よりによってナマエさんの目の前で!

「冗談じゃねーよ!!俺はまだ夏希の結婚の事だって認めてねーからな!!」

突然ばっと翔太兄が立ち上がる。そしてびしっと仁王立ちでこちらを指差した。

「だいたい夏希も夏希、佳主馬も佳主馬だろ!!こんなへらへらヤローに絆されやがって!結婚だ?嫁だ?馬鹿言うな!」

大声で怒鳴る翔太兄にナマエさんが困ったように笑う。ナマエさんが、困ってる。
ナマエさんはへらへらなんかしてない!優しくて、綺麗で、格好良くて―――。

「そもそもだって兄貴がこんなんだから弟だって軟弱なんじゃ…へぶっ!!!」

いまだ喋り続ける翔太兄の頬に手加減なしで拳を入れる。ばきっという音がして翔太兄が縁側に吹っ飛んだ。握った拳がじんじんと熱い。視界の端にナマエさんの驚いた顔が映った。
その唇が妙にゆっくりと動くのが見えて言葉を紡ごうとするその前に納戸の方へと駆け出した。

「佳主馬くん!」

ナマエさんが僕を追って立ち上がる気配がしたけど、走り続けた。

「……あーあ、行っちゃった」
「あんたが最初に佳主馬くんをからかうから」
「だぁってー」
「でも今のは翔太が悪いからね」
「……うるせーよ」

---

「待って!佳主馬くん!」

どたどたと、遠かった足音が徐々に近づいてくる。居間から大分遠ざかった所でとうとうナマエさんに追いつかれた。ナマエさんより遥かに住み慣れた家の中で捕まったのはやはりコンパスの差だろうか。ぎゅっと掴まれた手首から伝わる体温にわずかに体が震える。

正直、ナマエさんの顔を見るのが怖かった。優しいナマエさんだから、翔太兄を殴ったところを見て僕のことを嫌いになってしまったかもしれない。

「佳主馬くん」

びくり。体が過剰に震える。
翔太兄を殴ったことは後悔していないけれど(基本、翔太兄とは馬が合わない)ナマエさんに嫌われるのだけは嫌だった。心臓が煩い。幻滅、されただろうか。諭される?呆れられる?
嫌。嫌だ、そんなの。

「ありがとう」
「……え、?」

予想外の言葉にぱっと顔を上げる。すると視界いっぱいに穏やかに微笑むナマエさんの笑みが広がった。うつむいていた僕の顔をナマエさんが覗き込んでいる。

「俺のために怒ってくれたんでしょ?殴ったのは良くないけど、それだけは本当に嬉しかったから」

だから、そんな顔しないで?
ナマエさんが僕の目の端に滲んだ涙を親指の腹で優しく拭い取る。あまりにも優しいその所作にじわりとのどの奥から何かがこみ上げてくる。きっと今、僕の顔はぐしゃぐしゃだ。

ぎゅっと目の前の温もりにしがみつくように抱きつけば、そっと抱きしめ返してくれて再び涙が溢れてくる。ぽんぽんと背中を優しく撫でる手のひらに胸がいっぱいになる。何故だか分からないけど、涙が止まらない。目が溶けちゃいそうだ。

「もう少しして涙の痕が消えたら、そうしたら二人で謝りに行こうか」

その言葉に無言で頷いてナマエさんのお腹に頭を擦りつける。ナマエさんも黙って僕の背中を撫で続けてくれた。
優しくて、あたたかくて、いいにおいがして嬉しくて。でもほんの少し、苦しくて。

「ナマエ、さん」

僕はあなたが、あなたのことが、

「すき、」

優しく触れる手のひらが一瞬、こわばった気がした。

- ナノ -