短編
!同級生主
!捏造過多




アタシにはたった一度だけ犯したミスがある。それはほんの些細な、けれど致命的な、今でも夢に見るほどに惜しく、愚かしい過ちだった。

「ほらご覧よ!ナマエ・ミョウジの新作の詩だ!麗しく散りばめられた言葉に情緒的な表現……ああ、僕らも一度彼の目に留まり吟じられたいものだね!」

耳に飛び込んできた言葉に、思わず眉間にシワが寄りそうになる。伝統あるポムフィオーレ寮の麗しき談話室。一冊の冊子を広げ、やいやいと沸く新入生たちの会話に耳を傾けながら、ヴィル・シェーンハイトは忌々しげに自分のいるテーブルにも置かれた同じ一冊を睨みつけた。
この本自体はなんて事ない。文芸部が不定期に配布しているただの部誌だ。部員たちの書いた文章作品が掲載されている。

そっと本を手に取り、目次に並んだ名前の中にお目当ての人物を見つけてパラパラとページをめくる。
いくつかの作品を流し見しつつ目的のページに行き着き、そこに綴られたまばゆいばかりの優雅な文章を読んで改めて納得する。闇の鏡によってポムフィオーレに選ばれた新入生たちの見る目は確かだと。
ナマエ・ミョウジの生み出す文章は一流だ。学生の身でこそあれ、コンクールで多くの賞を受賞しているだけある。こんな学内の広報誌にさえ、一切の妥協を感じさせない完成された作品をあげてくる……徹底したプロ意識の高さは評価に値する。それ故にナマエの作品は文芸部の部誌の中でも人気が高く、少なくない数のファンとともに、その評判は確実に広まりつつあるのだった。

「(相変わらず、素晴らしい才能ね)」

紙面を踊る言葉たちに目を落として、苦々しい思いで奥歯を噛む。
昔のことを思い出して目眩がした。あの時の自分に戻れるのなら、絶対にあのチャンスを逃したりしなかった。ヴィルは初めてナマエと顔を合わせた時の出来事を思い出す。

まだお互いに一年生だったあの頃、既に芸能人として一定の評価を得ていたヴィルと違って、ナマエはまだコンクールに応募し始めて、ポツポツ評価が上がり始めた頃だった。

その日はよく晴れた一日で、夕日がとても綺麗だった。映画研究会の活動として撮っていた短編映画のワンシーンを撮り終え、衣装のまま寮に戻ってきた時のことだった。珍しく談話室には人があまりいなくて、仕事の時と違って段取りの悪い撮影で疲れていたアタシは勢いよく扉を開けてさっさと通り過ぎようとしていた時に、ちょうど呼び止められた。

「ナマエ、彼がヴィル・シェーンハイトだよ。やあ、ヴィル!彼はナマエ。君が褒めていた、NRCに彗星の如く現れた新進気鋭の詩人くんさ」

初めてアタシのことを見たナマエは目を見開いて、息をするのも忘れてしまったみたいだった。素晴らしい財宝を見つけた探検家のように、瞬きさえしないで惚けていた様子をよく覚えている。浅く息を飲んだことも。唇が震えていたことも。熱に浮かされたように呟いた言葉も。

『……なんて、』

その先の言葉を聞かなかったことを、今でもアタシは深く後悔している。その時はナマエの反応なんて余人と同じありきたりなもので、アタシにとっては当然の、ありふれた出来事だった。いつもと同じように、誰かがアタシに見惚れてるだけ。だってそれは当たり前で、ごく日常的な光景だったから。だからアタシはナマエの言葉を遮った。それよりもナマエの身なりが気になったから。

『このジャガイモがあの詩を書いたですって?姿勢も悪いし靴の手入れが行き届いてない!アンタ、あんな素晴らしい才能を持ってるなら身なりにも気を使ったらどう?詩だけ美しくたって、創造者の見た目が泥つきジャガイモじゃ台無しもいいとこよ!』

そこから先はいつもと同じような問答だ。ナマエは目を白黒されて、彼の友人は「さすがヴィルは手厳しいね!」なんて言って笑っていた。重要なのはその後。
ナマエは詩作のモチーフにアタシを選ぶようになった。直接名前を出すなんて野暮なことがあったわけではない。けれど誰が見ても彼の言葉の全てはヴィル・シェーンハイトのことを詠っているのだと分かるそれだった。そして綴られた言葉のどれもが、アタシを表するにふさわしい出来栄えだった。
その頃、アタシもナマエの作品を読むのが楽しみだった。彼の紡ぎ出す詩は美しく、時にはアタシ自身の気付いていない魅力さえも拾い上げ、開花させることがあった。何度言っても身なりのツメが甘いところはなかなか直らなかったが、アタシはナマエの価値を認めていた。けれど。

「(今ここに紡がれているのはアタシのための言葉じゃない)」

潮が引くように心が冷めていく。無意識に、本に触れる指に力が入った。
徐々にナマエは"ヴィル・シェーンハイト"ではない、"別の誰か"のことを詠うようになっていった。それが誰で、どんな理由があったとしてもアタシは許せない。

それはアタシよりも魅力的な何かがあるということ。美とは絶対のもの。そしてアタシは世界一美しいものである自負がある。
ナマエは自分の作品に嘘はつかない。だから書かなくなったということは、彼の中の最も美しいものがアタシではなくなったということ。ナマエの才能を認めているからこそ、その事実を許容することができなかった。

だからこそ、これ程までに後悔しているのだ。「なんて」の後に続く言葉さえ吐かせていれば。
美しい?綺麗だ?そんなこと飽きるほどに言われているが、それをあれだけの表現力があるナマエが言ったということが重要なのだ。夜空の星の数ほど装飾の言葉を持つナマエから、その全ての語彙を奪い去って口にされる陳腐な褒め言葉。口にさえ出させてしまえば、作家として矜持のあるナマエのことだ。絶対に自分が発言した評価を揺らがせることはないだろう。そうなればナマエの中で一番美しいのはこのアタシ。世界一美しいヴィル・シェーンハイト。自分が認めた才能に、アタシ自身の体現する美を認めさせるのは、当たり前のことだ。

「ご機嫌よう、麗しき毒の君。そんな顔をして、一体君の憂いの原因は何かな?」
「ちょうどいいところに来たわね、ルーク。手伝って欲しいことがあるの」

自分がすべきことを思い浮かべながら、そう持ちかけるとルークの目が愉快そうにキラリと光る。

「おや、狩人の目をしているね。トレビアン!素晴らしい狩りを楽しめそうだ」

あの言葉の先を手に入れるために。そう、アタシはもう一度ナマエの魂を奪わなくてはいけない。妥協は一切しない。
そのためにアタシは、あの一瞬をすべて再現……いいえ、それ以上のクオリティでもって、やり直すことを決めた。


準備にはかなりの手間を要したが、全てを完璧に設えた。ただあの状況を再現するだけじゃつまらない。昔と比べてアタシの美しさはさらに磨きがかかっている。美貌も演技力も洗練さもあの頃とは違うのだから、いっそ映画自体からリメイクすることにした。
同じ脚本だけど、衣装も演出も全て一新して臨んだ。もちろん状況だって再現のための付け焼き刃なんかじゃない。同じシーンを撮り終えたその時と同じタイミングに全部を合わせた。あの時ナマエの隣にいた友人たるクラメイトにナマエを招かせて、ごく自然に同じ舞台を作り上げた。
人もまばらなポムフィオーレの談話室。柔らかく交わされる人の声と、かすかに混じるラジオのクラシック。幻想的な色の夕日が窓辺から室内に拡散する、厳密に時間を合わせたマジックアワー。あの頃よりも磨かれたアタシをより引き立てる、手の込んだ繊細な衣装。

全て完璧。この扉をくぐれば始まる。そうよ、まるで星の如く。アタシは世界で一番美しい。
あの時と同じに、勢いよく扉を開けた。ナマエの方には一瞥もくれず、足早に寮室の方へと急ぐ。

「ほら、ヴィルだ。やあ、寮長!ちょうどナマエが来てるんだ。顔でも見て行ったらどうだい?」

視線を感じる。あの時のように何の気もない目で、けれどあの時よりも優雅な仕草で振り向いた。爪の先に至るまで気を張ってコントロールされた美しい所作でもって。
全てが完璧だった。
ナマエの瞳がアタシを写す。落ちつつある夕日の赤とも、沈んだ空の青ともいえない柔らかな色合いの光が辺りを染めていた。
ナマエが口を開く。

「……なんて、」

なんて?さあ、美しいんだ、と!その先のたった一言をアタシに頂戴!
態度には出さないようにしながら微かに息を呑む。

「……懐かしいんだろう。2年前の映画をリメイクするんだよね。撮影中の写真、マジカメで見た。公開を楽しみにしているよ、ヴィルくん」
「……ッ!」

それは心臓に冷たいナイフを突き刺されたような。

胸が詰まる。言葉が出なかったが、かろうじて踏みとどまって無理やり口を開いた。

「……そうね。分かったわ」

それだけ返して早急に談話室から立ち去る。歪みそうになる表情を鉄の意志で抑えてその場を後にした。歪んだ顔ももちろん美しくて当然だが、今のナマエには見せたくなかった。ナマエ。そう!こんな……よくも。よくも!

このアタシの美が屈するなんて!それも、恋なんていうただの暴力に!

頭の中で文字が弾ける。美しい言葉。アタシではない誰かのために結ばれ、詠い綴られたそれ。

「……認めないわ、絶対に」

今のアタシで足りないのなら、さらにもっと美しく。そう、出来るはずよ。もっともっと良く磨けるはず。だって、アタシはヴィル・シェーンハイト。誰もが認める、世界で一番美しいもの。
あらゆる概念を打ち砕いて、必ず一番に輝くの。再現なんかじゃない。今度は、全く新しい衝撃でもって陳腐なそのたった一言の賞賛を引き出してみせる。


♪Presented to 大理石の中の天使

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