!義兄主
チン。
無機質な機械音と共に鳳学園の最上階にエレベーターが到着する。開いた扉から現れた人物を、努めて人好きのする笑顔で中へ招き入れた。
「やあ、こちらへどうぞ。お義兄さん」
義兄、と呼ばれたその男は少し遠慮がちに一歩部屋へと足を踏み入れる。落ち着きなく
瞬く瞳が印象的だった。
「どうもすいません。香苗を訪ねてきたら、アンシーちゃんに案内されたんですけど。ここにいるんですか?」
「香苗さんでしたら、今は不在なんですよ。紅茶でも出しましょう。来るまで待てばいい」
彼女がここを居としているわけではないことを棚に上げて、そんなことをうそぶく。ごく慕わしげにソファへうながすが、彼は首を縦には振らなかった。
「いや、お構いなく。いないようなら出直します。留守中とは知らず……すいませんね」
「そんな遠慮しないで。今日ちょうどケーキを焼いたんです。一緒にお出ししますよ」
「そんな、大丈夫ですから。ほんと、顔を見に寄っただけなんです」
俺の誘いをこんなに素気無く断るのは、彼くらいなものだろう。そのことに微かな不快感を感じつつ、静かに穏やかな笑みを浮かべた。踵を返そうとする彼を、一歩近付いて引きとどめる。
「僕は、せっかく家族になるあなたと仲良くなりたいだけですよ。ナマエさんとは一番、顔を合わせていないですから」
この機会にぜひ、と笑顔を深めるとエレベーターの方を向いていた彼の足が止まる。困ったように眉を下げて浮かべた笑いは少し自嘲気味な表情に見えた。
「家族、と言っても俺は親父からは勘当されてます。ずっと昔に家を飛び出したんでね。香苗とは連絡を取り合っていたけれど、顔を合わせるようになったのはつい最近なんですよ。暁生くんが理事長になってから」
「理事長代理、ですよ。お義父さんはご健在なので」
「理事長のようなもんさ。そのおかげで、俺はこの学園に顔を出せる。この輝ける少年少女の学び舎にね」
「フフ、ここからは彼らの姿もよく見えますよ。そうだ、プラネタリウムはいかがですか?同じ輝けるものなら、空を見上げるのもいいでしょう?この部屋の設備は最高ですよ。ぜひ一緒に」
「いやあ、たしかにこの機械はすごいですが、俺のことは気にしないでください。本当にこのまま……おっと失礼」
甲高い電話の呼び出し音がナマエの言葉を遮る。こちらをうかがう顔に、構わないと告げると彼は軽く会釈して電話に出た。
「はい、もしもし?……いや、そういうのはいいよ」
「しつこいな」
「いらないって言ってるだろ」
「……え?」
「いや、失礼」
ピッ。
電話が切れる電子音が静かな室内に短く響く。「お仕事の電話ですか?」と朗らかに問いかけるとハッとした彼は、気後れしたように眉を下げた。
「ラジオの質問コーナーらしくて。……応募したりした覚えはないんだけどな。三択クイズに答えるみたいな。世界の果てがどうのって」
ボーン。ボーン。ボーン。
時間切れと言うように、場面が切り替わるかのように、時計の鐘が鳴り響く。
彼はここに来て初めてリラックスした様子で「それでは」とこちらに向き直った。
「もう、お暇します。今度はちゃんとアポを取ってから来ますね。香苗とアンシーちゃんによろしく」
「じゃあ車で駅まで送りますよ。それくらいさせてください、お義兄さん」
「ああ、いや」
また否定。それでもその男は笑う。俺の誘いを全て断って。まるで路傍の石でも見るような、なんの熱度もない瞳で俺を見つめて。
「バイクで来てるんで、それで帰りますよ。……今度、よければ星を見に行きましょう。香苗からプラネタリウムが好きだって聞いてまして。夜空を見上げるのに、いい観測スポットがあるんです。この部屋も幻想的でいいですが、本物の星空はそりゃあ綺麗ですよ」
ではまた、と言い残してエレベーターが下へ下がっていく。ひとり荒涼とした部屋に残された俺はふと薄い笑みを浮かべる。
「……振られてしまったな」
本物の星空なんて、いらない。星なんて好きじゃない。俺が見ているのはそんなものじゃなく。もっともっと素晴らしいものだ。俺の、欲しいものだ。
「(欲しいもの……)」
時間は無限に存在する。駒だっていくらでも手に入る。それもこれも計画を練れば。周到に手を回せば。少しの手間と甘い魅力を差し出せば。王子様の顔を見せれば。
それでも、ああいうものは手に入らないのだろう。
本当は、一目見た時からずっと気になっていたのだ。俺に"妹の婚約者"以外の色を見ない彼を手に入れるにはどうしたらいいのだろう。デュエリスト足り得る資格もなく、女の子でもなく、大人の男であるナマエを振り向かせるためには。
投影機が幻想を写す。天に輝く城を。咲き誇る薔薇を。永遠のものを。奇跡の力を。
そして部屋に映し出されたものの中には、部屋の隅でたたずむ先ほどの男の姿があった。