!タナトス主
!捏造過多
!ご都合主義
「なあ、オレは怒ってるんだ!マジの、マジで!」
薄暗い冥界の最奥。悲しみの大王が住まう最も暗く最も陰鬱なその宮殿で、かの王の前に立つ男は責め立てるように吠えた。
「早くあのヘラクレスを何とかしてくれ!あいつがヒーローよろしくあっちこっちで怪物退治や人助けするもんだから死者の数がここんとこグーンと激減!商売あがったりだってんだ!」
部屋の中央に置かれた堂々たる大円卓。その上を飾る無数の怪物たちの駒を散らす勢いで、男はテーブルを叩いた。
「いいか?アンタはいい同僚だが、今回ばかりはうまくない!怪物どもをヘラクレスにけしかけてるみたいだが、みーんなヘラクレスに退治されちまってる!ヘラクレスは元気!怪物の数だけ減ってる!怪物がいないから死者の数も減る!ヘラクレスを倒せないなら、せめて怪物の数を減らさないでくれよ!このまま死者が減り続ければ死の神としての沽券に関わる!」
パニックとペインはその様子を石柱の影で震えながら見守っていた。未だかつて我らが主人にあんなにもストレートに怒りをぶつける者がいただろうか?
案の定、ハデスの纏う炎は赤く染まって今にも爆発せんばかりにチラチラ揺れている。瞬間湯沸かし器な主人が未だ噴火していないのが不思議なくらいの状況だった。
「タナトス……いいから、まず、その口を、閉じろ」
「タナトスなんで古臭い名前で呼ぶのはやめてくれ!オレには自分で決めたナマエっていう名前があるんだ!厳格に荘厳に陰気臭くなんていうスタンスは500年前にやめたんだから!今はゴスペルトゥルースでフランクにやらせてもらってる。ね、そこの死者ちゃん!キミをお迎えした時はイメチェンした前だっけ?後だっけ?」
ベラベラと喋りまくる男…ナマエは死者の坩堝でたゆたう魂のひとつに向かってニコニコと話しかける。
タナトスといえば死者を冥界に迎える死神として有名だ。地上では静なるもの、陰気な黒ローブの青ざめた老人なんて語られたりもするが、今の男は若々しい青年の姿だ。まるでセールストークが止まらないやり手の商人のようなやかましさ。ハデスを怒らせることこの上ないタイプだ。
ナマエの様子を見ながらペインとパニックは顔を見合わせる。彼が死の神だというのなら、ふたりにとっても上司みたいなものだがハデスに仕えて此の方、ナマエの姿を見たことは一度もなかった。もとより死神とは、冥界と同じく365日休みなく死を迎える者の間を飛び回って役目をこなす忙しいものだ。その彼がハデスの元を訪れるということは、今起きているヘラクレスの活躍は、どうやらよほどのことなのだろう。
「そもそもお前、それほどビービー騒いでる大事なお仕事は一体どうしたんだ。あれだけ俺が顔を出せと言っても仕事優先で来なかったくらいなのに、どういう風の吹き回しだ?」
己を落ち着けるため深く息を吐き、呼吸を整えてからハデスがナマエに問いかける。
「そう!それだよハデス!なんでオレがここにいるかって?……お仕事が!ないからだよ!怪物どもが仕事しないから、人間はピンピンしてる!病人だってヘラクレスの活躍に勇気付けられて持ち直す始末さ!あのヘラクレス人形握って目をキラキラさせてさ、ボクもわたしも彼みたいに強くなっていつかコロシアムを見に行くんだって!張り切っちゃって、ねえ?あのヒーローひとりにどれだけ振り回されてるか!」
「落ち着け!詰め寄るのをやめろ!」
「いいや!やめないね!ハデスがちょっかい出してるからああなるんだろ?まさかとは思うけど、実はプロデュースしてるとかじゃないよね?怪物あてがってヒーローに仕立ててさ。スーパーパワーを持った可愛〜い甥っ子にメロメロになっちゃったり?」
「馬鹿なことを!!言うなッ!」
とうとう怒りが爆発したハデスが目を怒らせて叫ぶ。上半身が真っ赤な炎とともに燃え上がり、辺り一面に火の粉が飛び散った。
ペインとパニックは慄きながら小さくなって震えだしたが、相対するナマエは大して怯みもせずハデスを見返している。
「怒ったってことはまさか図星?オレ、ヘラクレスって一回も見たことないけど、生まれた時にはみんなお披露目会に行ってたんだよね?そこでエロスの矢に撃ち抜かれちゃったり?ハハハ!」
「ーーーア”ア”ア”ア”ア!お前が!!言うな!!」
目も当てられないほどの大噴火だ。小さな手下たちは思わず両手で顔を覆う。
「俺があの小僧を殺すのにどれだけ頭を悩ませていると思う?!そんなに言うなら、お前がヘラクレスの魂を連れて行ってくれてもいいんだぞ!なあ、死の!神!タナト〜ス」
怪しくけぶる靄を纏わせたハデスが揶揄するようにぐるりとナマエの背後に回って肩に手を添える。ペインたちはまたナマエがハデスに何か言い返すのではないかとハラハラしながら成り行きを見守っていたが、予想に反して静かなままのふたりの様子に首を傾げた。
ここに来てはじめて言葉を詰まらせたナマエは、拳を握ってふるふる震えている。
「……オレが、英雄の魂は運べないこと知ってるだろう」
しんと広間の空気が重く沈む。絞り出したようなナマエの声は暗く、これこそ死を運ぶ神という重苦しさだった。
うつむいた顔からチラリと覗く鋭い眼差しにパニックとペインは震え上がる。だが、彼らの上司は予想していたかのような、いつもと変わらぬ調子で応えた。
「そうだな、ウンウン。知ってるぞ。……だから言ったんだ」
軽い語り口調から一転、ハデスも地を這うような声音で念を押すように返す。しばしの沈黙が落ちた。室内には遠くから響く死者たちのうめき声だけが充満する。
まさに地獄のような沈黙の中、先に口を開いたのはハデスの方だった。
「お前が俺と同じくらーい、あいつらを嫌ってるってことも知ってるぞ……そうだろう?お前は一般人の魂、誉れ高い英雄の魂はヘルメス担当って分けたのもゼウス。人当たりのいい弟のことばっかり持てはやして、勤勉で根暗なお前のことは放ったらかしにしてるのもゼウス」
「……ハデス」
「振る舞いだけ変えても、現状は変わらないぞ?職務から離れたのだって久しぶりだろ。やりたくもない仕事を押し付けられ、報われず、感謝もされない。押し付けた本人たちは天高いオリュンポスで面白おかしく暮らしてるんだ。……俺たちが出向いても、嫌な顔されるだけだしな」
「黙って」
固く鋭い声がハデスの言葉を制す。先ほどまでとは打って変わった……きっと言うなれば、イメチェン前の様相だった。
「帰る。次に会うときまでにヘラクレスを何とかしておいてくれ」
それだけ言い残すとトガの裾をひるがえしてナマエがパッと姿を消す。残滓として微かに残った光の粒子を見つめて、ハデスは眉間にシワを寄せた。
次に会うときだと?俺と同じくらい休みなく働き続けるお前が、次に会いに来るときなんぞ、一体いつになるっていうんだ?
円卓の上の輝ける英雄の駒を睨みつけて、ハデスは思う。
兄弟にコンプレックスを抱いているところも、与えられた仕事に満足していないところも、奴と自分はよく似ている。だから放って置けないし、あいつのことは同じ神々の中でも特に気に入っているのだ。
タナトス……ナマエ自身は己が変わることで自分を納得させようとしているようだが、俺はそうは思わない。天上で踏ん反り返っているあのバカどもの鼻っ柱を叩き折って、この俺こそが宇宙の支配者となるのだ!そうすればもう、薄暗くて陰鬱とした冥界で面白くもない仕事漬けの毎日を送ることもない。それに。
「(俺が支配者となれば、あいつだってもっと……)」
ナマエにはちょっとくらい良い思いをさせてやってもいい。会うことはあまりないとはいえ、同じ陰気なところに押し込められた者同士だし、共通点も多いから妙に憎めないところもある。だから、少しだけ大目にみてやろう。
ナマエが消えていったその場所を見つめて、ハデスはフンと鼻を鳴らす。ペインたちはその姿を柱の影からこわごわ覗きつつも、どこか機嫌がよさそうに見える主人を見て、首をかしげるのだった。