短編
!エンド後
!ねつ造あり
!ご都合主義
!同業者主



ああ、こんなはずじゃなかった。心底こんなはずじゃなかったんだ。終わりの見えない負債の返済に追われながら何度もそんなことを思い浮かべる。
体は墓石の中に閉じ込められ、魂はこの通り。奴らの影のひとつとして無限に続くかのごとき労役を課されている。超過した負債分が払い終わったら魂を喰われるのか、それでもこのまま永遠に働かされるのか……それは分からない。

何度でも繰り返すが、こんなはずじゃなかったのだ。影の使役も奴らへの借りも、町を牛耳って使い切れないほどの大金を手に入れたら清算するはずだった。町の奴らの魂を差し出して、さらに足りない分はローレンスにでも押し付ければいい。
そうやって自分の借りは全部帳消しにして、散々こちらを見下してきた金持ちどもをあざ笑い、今度はこのわたしこそが栄光を手に入れるつもりだった。あの小娘が邪魔さえしなければ!

奴らの世界に引きずり込まれてからはそりゃあもう散々だ。毎日毎日後悔と、恨めしさと、絶望感に打ちひしがれている。


そんな時間感覚もなくなるような日々を送っていたある日。奴らに呼び出されたかと思ったら、魔法の力で突然どこかへ飛ばされた。
あちらとこちらをつなぐゲートを通る一瞬の風景を彩る、眩く輝く色とりどりの光、歪み、風。風?風だって?!
奴らの世界にはない、懐かしい故郷に吹きすさぶそれ。嵐のような召喚が終わり、強い閃光と共に現われ出でたそこは、狂おしいほどに恋しかった現実世界だった。

「ああ!ここは……!ここは元の世界、なのか?!」

混乱する思考と共に、そんな言葉を吐いて辺りを見渡す。祭壇に護符……いたるところに呪物が散りばめられたそこそこ立派な魔術師の部屋だ。目の前には古びたクロスのかかったテーブルがひとつ。
相対するその奥で何者かが笑う気配がした。魔法の名残で鮮やかに煌めく靄が晴れてくるにしたがって、その人物がはっきりと目に映った。懐かしい顔が煙の中から浮かび上がる。

「お久しぶりです、ファシリエさん」
「お前は……!ナマエ!」

そこにいたのは同業者兼知り合い……いや、友人……待て待て、親友!のナマエだった。

「すっかり薄っぺらくなっちゃって。ダイエットでもしました?」

そんなつまらない冗談を言いながら、すっかり影となったわたしを横目に見つめてナマエがうっすらと笑う。
ナマエという男はわたしと同じブードゥーの魔術師、だがわたしより腕は一段も二段も劣る三流魔術師だった。そして、何より。ハハァ!
思わず笑みが漏れる。そう、この男はわたしのことを随分慕っているのだ!

ニューオーリンズに店を構えた頃のことを思い出す。露店ならともかく、屋内にちゃんとした仕事場を設けられるのはこういう生業の者の中でもごく一部だ。それ故に、当初は妬まれたり煙たがられたりしたものだが、ナマエはその頃も変わらず……むしろより一層わたしに懐いて鬱陶しいくらい周りをうろちょろしたものだった。
出来ることといえばせいぜい他人の認識力を落として物をスリ取るちょっとした手品程度……影も操れない半人前の魔術師がわたしのあとを付いて回ってうっとりとした顔で口癖のようにこう言うのだ。

ファシリエさん、あなたはオレの憧れです!

この言葉のもと、程の良い小間使いに散々こき使ってやったものだった。生意気にもわたしの縄張りの近くで手相の露店を出した時に、こっぴどく叩き出してやったのを契機に姿を見なくなったのだが……まさか今このタイミングでわたしの前に姿を現すとは!
胸に宿ったほのかな期待に、すがるような気持ちでナマエの顔を見つめる。

「いやぁ、驚いたんですよ!あなたがこうなったっていうのはオレのオトモダチから聞いたんですが。本当に意外で!あのファシリエさんが。まさか、こんなことになるなんて!」

テーブルの向こうの男が大袈裟に悲しそうに眉を寄せて震える。

「ファシリエさんはオレの憧れなんです。覚えてますか?オレがあなたの手伝いみたいなことをしてた頃。あなたがオレにやれっていうことは毎日毎日大変で」
「でも!あなたの役に立てると思うから頑張れた。思い返せばあの日々はオレにとって幸せな時間でした。いつか金持ちどもを見返してやる!って野望に燃えるファシリエさんは輝いていて」
「大変なことも多かったけど、あなたのやり方を間近で見て、そばにいることができた……」

そう呟いてナマエは肩を落とした。しばしの沈黙が落ちる。そんなに言うなら今すぐにわたしを助けろと怒鳴ってやりたかったが、ここでコイツの機嫌を損ねるのはよろしくないので無言で続きを待った。

「オレ、あなたみたいになりたかったんです」

それだけ独り言のようにこぼしてナマエはうつむく。わたしはコイツを鬱陶しいだけで頭も腕も悪い三流の小間使いとしてみていたが、ナマエはそんな憧憬をわたしに抱いていたのか。
ほんの少しだけ感傷的な気分になりつつも、これはしめたと思った。ナマエが何のために……本当に泣き言や昔話をするためにここまできたのかは分からないが、これはチャンスだ。コイツをダシに新たな取引を持ちかけることができるかもしれない。わたしは切迫した思いを圧し殺して、できうる限り優しい声音でナマエに語りかけた。

「なあ、ナマエ。お前の気持ちはよぅく分かった。わたしをそんな風に思ってくれていたとは……。昔のことは、こちらにも多少の……誤解が!あったようだ。今なら、お前にわたしの術の全てを教えてやろう」

ナマエがパッと顔をあげる。その瞳が喜びに輝いているのを見て、わたしは自分の目論見がうまく運ぶであろうことを確信した。

「術の全てを……本当に?ファシリエさんの手ずから教えてもらえるんですか?前みたいに盗み見て覚えようとするんじゃなく?それって……なんて素敵なんだ!」

キラキラと瞳を輝かせるナマエに内心ほくそ笑んで、懐深い師のような表情を浮かべる。こいつがわたしを助けるために、奴に取引を持ちかければ、それに一枚噛んで脱出のチャンスを掴める!
早くしろと急く気持ちを悟られないように努めて余裕を持った態度を演じていると、不意にナマエがチラリと後ろの様子をうかがった。そして、かすかに身をかがめると声を落として密やかに囁く。

「ファシリエさん、口裏合わせてくれます?あなたが、オレに大きな借りがあるってことに」
「は……?何を言いだすかと思えば!借りなんてそら言を言って、どうするつもりだ?」
「取り引きを有利にするためですよ。ファシリエさんを解放するために契約を〜なんて、こっちの欲しいもの丸分かりじゃないですか。足元見られるに決まってます。それよか同じ債権者ってことにしておいた方が、よっぽど話が進めやすい」

何ふっかけてくるか分かんないんですから、と後ろに目配せするナマエのいうことも一理ある。やつらの取り引きの対価はシビアだ。解放さえされればあとはナマエがどうなろうとどうでもいいが、解放するための条件が厳しくなるのはわたしとしても困る。

短く息を吐いて、小さく頷いた。ナマエが満足そうに口の端を持ち上げて笑顔を作った。途端にパッと後ろを振り向いて、奴に声をかける。

「なあ、聞いてくれよ!オレ、ファシリエさんにでっかい貸しがあってね。なのに当の本人がおたくに徴収されて困ってるんだ。貸しの返済が滞ってる!」

ね、そうですよねファシリエさん?
わたしの方を見てナマエが笑う。昔より要領というか、あしらいにそつがなくなったような気がする。多少は揉まれて、三流っぷりも少しはマシになったということだろうか。まあ、とは言っても二流程度がそこそこだろうが。
奴が「本当なのか?」と確認するような表情を浮かべたので、それに渋々頷いた。

「ああ。すっかり忘れていたがそうなんだ、友よ。ナマエには……借りがある」

言い終わった刹那、ナマエの瞳が妖しく輝いた。
さて、ここからどう交渉するんだ?と成り行きを見守っていると、奴に向き直ったナマエが意気揚々と口を開いた。

「な?ファシリエさんはオレに借りがある。だから……提案だ!彼の所有する財産での清算を要求する。彼の仕事場と、彼があんたたちと結んだ契約をそのままオレが引き継ぎたい!」
「なっ??!」

わたしの仕事場と、奴らと結んだ契約を……なんだって?!
予想していた話と全く違う内容に目を剥いてナマエを見つめる。ナマエは驚きに戦慄くわたしを振り返ることなく、奴に語りかけた。

「仕事場はおたくらには価値のないモンだし、契約も悪くないだろ?ファシリエさんとの取り引きは、こういう結果で終わっちまったけど……オレは約束はちゃんと果たすぜ!ニューオーリンズを手に入れて、あんたたちにたくさんの魂を提供してみせる!」

巨大な仮面が、周りの同類たちと顔を見合わせてから、ニンマリと笑う。そして懐かしき所作でもって大きく口を開けると、中から大量の影たちがきらめく靄と共に吹き出してきた。
それらに渦巻かれてナマエの姿がすっぽり覆われ、見えなくなったかと思うと、激しい七色の光と共にパッと爆発して辺りに風と閃光が飛び散った。ずっと周辺を漂っていた靄が散らされて周りがハッキリと見渡せるようになる。
よく使い古されたテーブル、ドクロが描かれた幾重にも重なる天幕、見覚えのあるタリスマンや呪物の数々、客を引き込むために手塩にかけたわたしの舞台装置。よく見知った仕事場の真ん中で、ナマエの影が床の上から這い出て楽しげに踊りだした。

「取り引き成立だ!」

忙しなく動き回る自分の影を見てナマエが嬉しそうに歓声をあげる。憎っくき裏切り者の背中に向かって、ありったけの怒りと呪詛を込めて叫んだ。

「ナマエ貴様!しでかしたことの意味が分かっているのか!!わたしを解放する話は?!三流のお前がわたしを出し抜くなんて……!わたしの財産をかすめとるなど!」
「そういうとこが良くないんだファシリエさん。あんたは自分を見下す金持ち共に対しては狡猾で計算高いが、奴らと同じように……自分より下だと思ってるオレのことを見下してるじゃないか。だから、足元をすくわれる。あんたが金持ちに執着するのと同じ目でオレから見られているのに、バカにしてるから気付かない」

ナマエがこちらを見つめてわらう。ナビーンとローレンスに魔法をかけた時のわたしと同じ、自分の企みに絶対の自信を持っている顔だ。

「オレはファシリエさんと同じ轍は踏まない。あんたの持ってた全てを奪って、今度はオレがのし上がってやる。ファシリエさんはそこで自分の愚かさでも恨んでいてくださいよ。オレはもっと上手くやってみせる!そう……」

高らかな宣言から空気が一変する。精霊たちには聞こえない大きさで呟かれたそれは、まるで思わず漏れた本音のような。

「そうすれば、どんな視線であっても……今度こそあなたはオレを見るだろう」

暗い瞳が一瞬だけ輝いてわたしを見つめる。
しかしそれは瞬きの間に、優越感に浸る傲慢な表情に切り替わってしまった。
わたしは思わず言葉を失う。

まるでこの部屋の主であるかのような悠々とした態度で椅子に座りなおすナマエの後ろで、わたしのかつての友がニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべてその姿を見つめていた。

その様子を見て、思う。
どうせナマエがわたしと同じ姿になるのもそう遅くはないだろう。三流魔術師のナマエが奴ら相手にうまくことを運べるわけがない。
そしてそれを忠告してやるほど、わたしは寛容でも優しくもないのだ。だからお前は、はやくここまで落ちてくればいい。そうしたら、そう。
先ほどの言葉の意味をここで、たっぷりと聞きだしてやる。

似た色の炎を瞳に燃やすふたりを視界に入れて、巨大な仮面はただ笑みを深めた。

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