短編
!イヌイヌ能力者主


世界一の大剣豪、ジュラキュール・ミホークには年下の恋人がひとりいる。単純で馬鹿な、犬のような恋人である。

「ミホークさァん」

暇つぶしの航海から古巣であるシッケアール城に戻った時、尻尾をパタパタと振り回しながら自分を出迎えたハスキー犬を見て、他人には分からないくらい微かにミホークは目元を緩ませた。
付き合いの長いナマエは、それでも表情の変化に気付くことなくミホークの足にまとわりつく。普通の犬猫にするように頭を撫でてやると「おかえりなさい」とつぶやいてピスピスと鼻を鳴らした。

ナマエはミホークの恋人で、イヌイヌの実の能力者である。モデルはハスキー犬らしく、本人はその姿をいたく気に入っている。普段はいつも獣形態をとっており、人の姿に戻ることは滅多にない。服も身につけないから、黙っていれば本当にただの犬のようである。この方が面倒ごとにも巻き込まれないし、楽なのだと本人は語っていた。

「変わりはあったか?」
「んーん。特にはないよ。いつも通りジメジメしてて陰気くさくて、しみったれた島さ!」

その上今日は雨まで降っていたから、最悪だね。
そう呟いてナマエは濡れたミホークの手のひらに鼻先を押し当てた。
シッケアール島は常時天気がぐずついており、いつだって曇天か雨だ。落雷や豪雨にあうことも多く、ミホークが濡れて帰るのも珍しくはなかった。

「はやく暖炉に当たろう。このままじゃ俺まで濡れちゃいそうだ。濡れた犬ってやだよ」

そう言ってハスキー犬はミホークを先導するように踵を返す。それに短く返事を返してミホークも後に続いた。
チャッチャッと軽快な足音を立てて深紅の絨毯の上を行く四足について朽ち果てた城内を歩き出す。豪奢な扉を押し開けて廊下から室内に入るとふわりと温かい空気が頬を撫でた。巨大な暖炉にはごうごうと火が灯っており、ベルベットのベッドソファーの隣にはチーズとワインが添えられていた。
暖炉の前でこちらを振り返ったハスキー犬が「褒めて!」と言わんばかりに耳をピンと立ててこちらを見つめている。帰ってきてすぐに飛びかかっていた頃に比べれば大した進歩である。雨水を吸って重くなった帽子を脱ぎ捨ててソファーに腰を下ろす。ちらりとサイドボードの上のワインを見ると底に微かに澱が沈んでいた。これはデカンタージュしなければならないものだ。相変わらず、爪の甘いナマエらしい。

「ミホークさァん」

くつろぐ間もなく酷く甘ったるい声で名前を呼ばれる。足元を見下ろせばいつの間にかハスキー犬が膝にのしかかっていた。「なんだ」と野暮は承知で聞き返す。しかしナマエは大して気にした風もなくペロリと舌を出して笑った。犬なのにこんなにも喜怒哀楽の表情が分かりやすいとは、器用なものである。

「セックスしたい」

ストレートな台詞にミホークはぱちりと一度瞳を瞬かせた。
ナマエは、随分と性欲の強い男であった。もはや色情魔と言っても過言ではない。ミホークと出会う以前は毎日男に女に取っ替え引っ替えだったらしい。今こうしてミホークが留守の間大人しく待っているのが奇跡のような人間なのだ。だからナマエはミホークがこの城にいる間、決して彼を離そうとしない。抱き潰すという言葉がふさわしいくらい昼夜に関わらず求めてくる。ミホークは一般人に比べれば随分と頑丈な身体をしているが、それでもへとへとになるくらい激しい。色情に取り憑かれた男。それがナマエである。

ペロリと犬のザラザラした感触とは違う、柔らかな舌に頬を舐められて顔をあげる。すると目の前には若さにキラキラと輝く青灰色の瞳があった。室内にはミホークと先程までは居なかった青年の二人きりだ。
静かに獣型を解いたナマエはちゃっかりミホークの上にのしかかると嬉しそうに軽く唇を啄ばんだ。ミホークの上に跨る肢体はもちろん一糸も纏っていない。

「服を着ろと言っているだろう」
「いつも獣型だからいらないさ。この方楽だし、すぐセックスできる」

そう言って楽しそうに笑ったナマエは待ちきれないと言わんばかりに腰を揺らした。本能に忠実すぎる恋人を見上げてミホークは深く息をつく。ナマエに言わせると衣服なんていうものはナンセンスで、人間生まれたままの姿が一番美しいらしい。何よりすぐにでも愛を育める、とのたまう姿はまるで獣だ。あまりにも動物的に過ぎる。

しかし、この壮年の世界一の大剣豪は年下の恋人が犬のように明け透けに自分を求める様が嫌いではないのだから、全く救いようもない。求められたら求められた分だけ与えてしまう。この恋人がいる限り、自分の死に場所は今のところベッドの上だろう。そんなことを考えながら食らいつくような口付けを受け入れた。
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