俺の部下には頭がおかしいのがひとりいる。そいつはアラバスタにやって来た当初、砂漠に落ちていたのを地元住民だと勘違いして拾ったものだ。"英雄"として君臨するのなら良いエピソードはいくつ作っておいてもいい。そんな思いで助けた男だったが、オアシスの町で目覚めたそいつの一声はそりゃあもう酷いものだった。
「…ママ?」
男は目を覚まして俺を見るや否やそう呟いたのだ。俺はガキを作ったことはおろか女ですらねェ。大体男の見た目はゆうに成人を越しているのだ。ママもへったくれもあったもんじゃねぇ。目覚めたのが砂漠のど真ん中であったなら一瞬で殺していることだろう。しかし残念ながらそこは俺がこれから"英雄ごっこ"で手に入れる予定の国の町であり、そんなことをしてしまったら計画に多いに支障をきたす。結果、顔をしかめるだけに留めて沈黙した俺を見て男…後に俺の部下となるナマエは殺したいほど嬉しそうに笑った。
バロックワークスの豪奢な社長室のソファの上でクロコダイルは大義そうに葉巻をふかした。丁度いい反乱軍たちの暴動により、国はいまだかつてないほど疲弊し、それに伴ってクロコダイルの名声は揺るぎないものへと完成しつつある。順調極まりない計画の進行にほくそ笑んでいると控えめなノックの音が室内に響いた。葉巻をふかしたまま入室を許可すると弾むような足取りでナマエが扉を開けて入ってくる。
クロコダイルの前までやって来ると「報告です」といって手に抱えた写真や資料をバラリとテーブルの上に広げた。
「これは反乱軍の新しいメンバー。この男は貴族の次男坊。多分すぐ死にます。こっちは今度起きる暴動の作戦計画書で、これはオアシスの町に残った住民のリスト。あと、王宮内に勘の良い奴が居たんで、邪魔になるかと思って消しときました。あとで反乱軍にやられたってことにして、遺族にお見舞金を包んで…おきます」
「…ああ」
つらつらと続く報告に簡潔な感嘆詞のみを返す。するとナマエは期待に輝かせていた瞳を少しだけ伏せて上目がちにクロコダイルを見つめた。無視して資料を手に取るとおずおずと問いかけてくる。
「…ママ、嬉しい?」
こちらの顔色をうかがうナマエにクロコダイルは吐き気のする思いがした。ナマエは、今やこのバロックワークスの諜報員だ。拾った当初、人目がつかなくなったら殺してやろうと思っていた男は意外に優秀な人材だったようで潜入の腕には目を見張るものがあった。その上トチ狂ったことにいまだクロコダイルのことを母親だと思っているようで、見返りも求めず彼に尽くしている。母親を喜ばせることが唯一の原動力であるかのように。
「無駄口叩いてねェで、さっさと仕事に戻れ」
そんなナマエにクロコダイルの態度は冷たい。勝手に慕って尽くしてくるのだ。気を遣う必要も、ましてや猫を被ることなどは一切しない。そう言い放って視線もくれずに資料に目を通し始めたクロコダイルにナマエはしゅんと肩を落とす。
「はい、ママ」
さみしげな声が広い室内に落ちた。踵を返して扉に手をかけたナマエは名残惜しげにクロコダイルのことを振り返る。そして小さく彼のことを呼んだ。
「、ママ」
書類に集中しているクロコダイルの視線がこちらを向くことはない。しかし、彼は鬱陶しげな口調で口を開いた。
「なんだ、さっさと失せろ」
その一言でナマエは満足そうに表情を明るくすると弾むように回廊を歩いて行く。クロコダイルはもちろんママだなんて認めていないし、ナマエのことを頭がおかしい男だと思っている。つまり全ては無自覚なのである。
クロコダイルは少しずつ、だが確実に侵食されていた。そして、こうした詰めが甘くて迂闊な"ママ"が、ナマエは大好きなのである。