混乱した頭を抱えて迎えたその日の放課後。
俺を待ち受けていたのはかの有名な四天宝寺のスピードスターだった。
「なあ、今ちょっとええ?」
ホームルームが終わったのを見計らって、わざわざ五クラスも離れた俺に声をかけてきた忍足謙也を俺は目を見張る思いで見つめた。
「まあ」と手に持っていた鞄を机に置いて先を促すと、彼は少し辺りを見渡した後で若干声を潜めて口を開いた。
「ミョウジ、白石と絶交したらしいやん?それ…俺にはどないな経緯があったんかよう知らんけど…仲直りしたってくれへん?白石今ホンマ死にそうになっててん」
半ば予想していた忍足の言葉に俺は辟易とした思いで眉を寄せた。
見るからに人の良い忍足ならば、そう言うであろうことは予想に容易かった。
白石は良い友人に恵まれている。
遠山とかいう後輩にしたって白石を心配しているようだったし、俺なんかよりもテニス部の友人たちといた方が、あいつにとっては楽しいに決まってるのに。
「それ、お前らの後輩にも似たようなこと言われた。仲直りさせようとするのはまあ分かるけど、嘘はやめろよな。すぐ分かるから」
「はあ?後輩って…ざいぜ…や、多分金ちゃんのことやんな?てか嘘てなんやねん」
「その、白石が落ち込んでるとかいうのだよ。あいつがこんなことで落ち込むわけないだろ」
何しろ、白石は完璧な人間なんだから。
何度も言うが本当に親友に絶交を告げられたのだったら、あの場で笑うことなんかないはずだろ。
俺がそう言うと忍足は大袈裟に目を見開いて「んなことあらへんわ!」と叫んだ。
さっきまでの小声から一変して、突然声を荒げた忍足に俺は驚いて目を見開く。
「逆に白石がミョウジ以外のことで落ち込むわけあらへんわ!白石がおかしなる原因の八割は自分のせいっちゅー話や!これ四天宝寺テニス部の常識やで!」
忍足の言葉に目を白黒させて彼を見つめる。
「そんなわけ…」と呟いたが続きは喉に引っかかって出てこなかった。
昼間の白石を思い出して俺は口を噤む。
どうして、あいつはあんなにも焦っていたんだ。
まさか……。いや、そんなはず…。
「そのま・さ・か・やでぇ!」
突然体に衝撃が走って右腕に誰かが絡みついてきた。
背後で「浮気か!」という声が上がる。
驚いて振り返るとそこには俺の腕に抱きつくクラスメイトの金色とこちらを睨みつける一氏の姿があった。
「な、にがだよ!」
絡みつく金色を振りほどいて言えば彼は「ああん」といって残念そうに俺を見つめた。
テニス部の連中は何を考えているのか分からん。
「蔵リンがナマエくんの一挙一動に恋する乙女よろしく振り回されてるっちゅうことや!はい、これ証拠」
そう言うと金色は自分の携帯をサッと俺の目の前に出した。
その画面には白石の写メらしきものが表示されている。
その写真を見て俺は目を丸くした。
写真に写っているのは何の変哲もない、自分の携帯を見つめる白石の姿だ。
しかし、その表情は今まで見たことのない、あからさまな喜色と幸せそうな笑顔に満ちていた。
微かに赤らんだ頬、目元は滲むように細められて口元は完全に緩んでいる。
信じられないが…確かに、まるで恋でもしているかのようであった。
いや…何だよ、これ。
困惑した表情を浮かべる俺に金色がニンマリと笑って写真の中の白石が握った携帯を指差す。
「こ・れ。ナマエくんが蔵リンに一緒に夕飯食べよ、て誘ったメール見てるんやで」
「はあ?」
笑う金色を驚愕して見つめる。
確かに前に親が仕事で、夕飯を外で食べなきゃならなくて白石を誘ったことがあったが…。
まさか、そんな。
「違うだろ!大体こんな写真じゃ携帯の中なんて見えないし、そんな…覚えてるわけ…!」
「ミョウジ、小春を誰や思てんねん。IQ200の四天宝寺の超天才やで!」
一氏がそう言うや否やキラリと眼鏡を輝かせた金色がペラペラと、まるで詩でも暗唱するかのようにその日一日の出来事を語り始めた。
俺は呆気にとられてその様子を見守るしかない。
朝練に始まり、昼に白石が俺たちのクラスに遊びにきたこと。
午後の授業で俺が当てられたこと。掃除当番は窓拭きだったこと。
俺ですら忘れているようなことをスラスラと喋った上で「はい、証拠」と言って写真の日付を見せてきた。
確かに、俺が白石を夕飯に誘った日にち。
「時間、ナマエくんの携帯で確認してみればええやん。丁度ナマエくんが蔵リンにメール送った直後やで」
嬉しそうな笑顔を浮かべる白石の下に時刻も表示されている。
何なんだよ。なんで、白石。
そんな。こんな…はず。
俺は咄嗟に金色から携帯をひったくると廊下に勢いよく駆け出した。
一氏の怒った声が教室から響いてくる。
俺は逃げるようにスピードを上げた。
嘘だろ。なんだよこれ。
なあ、教えて、助けてくれよ。
白石。
(もう、俺にはわからないんだ)