短編
!志村さん家の警察官





曇天の隙間から刺すような冷たい雫が地上に降り注ぐ。
常とは違う変色した血のようなそれは着実に純白だった白衣を赤黒く染めていく。
それさえも些事と成り果てた異界の片隅で宮田はふう、と息を吐いた。
既に村人達は軒並み化け物へと姿を変えた。
今はとりあえず安全な場所を探さなくてはならない。

蛇ノ塚を抜けてなんとか開けた場所を目指す。
すると前方で一発の銃声が響いた。
続いて聞き慣れた声が震え交じりに空気を割く。


「く、来るな!それ以上近付くと発砲する!次は本当に当てるぞ!!」


これは聞き間違えることなくあの男の声である。
声のした方に歩を進めると二体の化け物と対峙する見慣れた警察官の姿があった。
それを認めて俺は顔をしかめる。
思わず木陰に身を潜めてその様子を伺った。


「吉川さん!俺が分からないのか?!頼む…来ないでくれ!…吉川さん!!」


そんなもの、もう人ではないのだからさっさと撃ってしまえばいいのに。

男…志村ナマエは羽生蛇村駐在所勤務の警察官である。
本人の正義感溢れる気質と志村の血筋特有の感の良さで宮田や神代、果ては教会までに疑惑を持ち、ちょろちょろと辺りを嗅ぎ回っている非常に厄介な男だ。
村の連中からは何かと頼りにされているようだが兎に角こちらを警戒してくるので油断ならない。
まさに神代からしたら目の上のたんこぶのような男でうちの医院の患者候補リストに名を連ねる人物であった。
そして俺とは犬猿と形容されて支障ないような仲である。


志村ナマエは拳銃を構えたままじりじりと後退し続けている。
必死に化け物になった人物の名を叫んでいるため、恐らく知人には手があげられないのだろう。
全く…反吐が出るほど甘い男だ。
同時に怒りのような感情が徐々に湧き上がってくる。

俺は確かに志村ナマエに良い感情は持ち合わせていない。
けれど、けれど何故。
お前は手をあげようとはしないのだ。
あれほどまでに俺に向ける厳しい疑心や敵意を、どうしてそれには向けはしない。
それはもう、人ではないというのに。


気がついたら体が動いていた。
素早く木陰から飛び出すと手にしたスパナを振り上げてこちらに気付きもしていない化け物の頭部目掛けて振り下ろす。
ちらりと見た志村ナマエの表情は驚きと恐慌に染まっていた。


「みやッ……ッ待て!!」


彼の声など介せず、ぐしゃりという打撃音が響いた。
化け物は呆気なくその場に崩れ落ち動かなくなる。
息を飲む彼を一瞥してスパナを懐にしまった。


「どうせ、すぐにまた動き出します。志村さん、あなたこんな所で何をしているんですか」


淡々と話しかければハッと目を瞬かせた彼が俺の名を呼んだ。
そして厳しい表情でこちらを問い詰める。


「どうして殺したんだ!知り合いなんだぞ?!もしかしたら、まだ元に戻るかもしれなかったじゃないか!何故…ッ」

「寝ぼけないでください。俺は医者ですよ?戻るわけないでしょうあんなもの。もう死んでるんです。息の根を止められるかどうかも疑問だ」

「ッ…しかし!あんたの位置ならわざわざ倒さずとも逃げ出すことだって…!」

「逃げたら、恐らくあなたは死んでいましたが?」


俺がそう返すと彼はちくしょう、と小さく呟いてその場に項垂れた。
まあ彼の性格なら撃てないのは自明の理である。
そして当然、俺が居合わせなかったら命を落としていたことも。


「……あんたは命の恩人だ」


項垂れていた彼がそう呟いて、俺は徐に視線を向けた。
志村ナマエが真っ直ぐにこちらを見つめる。
その表情が疑惑に歪んでいないのは、はじめてのことだった。


「何でもするよ…宮田さん。あんたに、…救われた命だ」


この男はどこまで馬鹿正直なのか。
俺は面食らって彼を見つめた。
この騒動の元凶の一端は確かに俺にもあるのだ。
きっとその疑念を彼は今も持ち続けているだろう。
それでも、そんな戯言を言うというのか。
…言うのだろう。
彼はそういう男だ。

水面下での攻防とはいえ俺はこの男をよく知っている。
神代からの命で調べたことだってあるのだから。
この男は、そういう男だ。


「……なら、俺と結婚してください」


は?

するりと口から滑り落ちたなんの脈略もない言葉は俺自身、思いも寄らないことだった。

…今、俺は何を考えていた?
どうして、一体、志村ナマエに。

混乱した頭で考えるが答えは出てこない。
当たり前だ。
するりと、それこそ考えもせずに出た言葉なのだ。
答えなんかあるわけもない。

何だ。どうして。俺は。


「分かった」


混沌としていた思考の中に、突然その言葉だけが飛び込んでくる。
顔を上げた時には彼がすぐ目の前にいた。
こんなに近付いたのもはじめてのことで驚いた俺は思わず怯む。
彼は後退りしかけた俺の手を取って握っていた拳銃を手渡した。


「これを、渡しておく。きっと俺には撃てない」


見上げた彼は見たことのない表情をしていた。
その顔は厳しいが、かつてのような敵意はない。

そうか。
きっと、俺は。


「いざとなったら囮にしても見捨てても構わない。今は兎に角、生き延びよう」


歩き出した背中は大きく、そして無防備だった。
だって彼はそういう男だ。

志村、ナマエ。
きっと俺は。


「…ああ」






たわごと

(考える間もなく滑り落ちたのは確かに俺の本心だった)


♪Presents for いたい
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