!五年主
!鉢→主竹
「もう終わりにしよう」
座学が終わった午後。五年長屋の廊下。見つめあう俺とナマエ。
「え?」
俺は呟かれた言葉に間抜けな声を出すことしかできなかった。だってそうだろ?自室に帰ろうと廊下を歩いているところを恋人に呼び止められて、一緒に世間話をしながら歩いていただけだったんだ。
よう八左、今日は委員会はないのか?
今日は日が沈んでから狼たちを散歩させるから、夕方までは暇なんだ。
そうなのか。それより八左、俺たち別れよう。
そ……、え?
そして冒頭の台詞に戻る。
おかしいだろ、絶対。そういう流れでもないし、そういう雰囲気でもなかった。まるで今日の献立の話でもするかのようにナマエは俺に別れを切り出した。悲しいとか辛いとか、そういうのを感じる以前に意味がわからなかった。だって全然現実味がない。自分で言うのも何だがナマエは俺にベタ惚れだった。俺を見つければ走ってくるし、所構わず睦言を言う。すぐ俺にくっついてくるし、八左八左と常に煩い。まるですりこみされた雛だ。
俺達が番になった切っ掛けだってナマエの告白からだった。番になった当初はやっとくっついたか、と周りに呆れられながらも祝福されて幸せであったはずだった。それから今まで些細なことでの喧嘩あれど睦まじくやって来たはずなのに。それなのにどうしてこんな、突然。
呆然と見つめる俺の視線に耐えかねたのかナマエはふいっと顔を背けた。さ迷うように伏せられた視線に泣きそうになる。ナマエはさ、確かに八左八左煩くて時と場所を弁えなくて、は組なだけあって何度恥ずかしいって言っても聞かずに大好きだ、って言うような馬鹿だったけど。だけど俺は確かにナマエが好きだったんだ。猪突猛進で俺のことになると言うこと聞かない、七松先輩みたいになるナマエのことが。
「い、やだ」
それはほとんど反射だった。口をついて出た拒否の言葉にナマエの瞳が揺れる。何だか、目の前のナマエこそ泣きそうだった。
「八左…」
酷く苦しそうにナマエが俺の名を呼ぶ。だって俺、ナマエと別れたくないよ。手放したくない。ずっと一緒に居たいんだ。別れを切り出したのはお前なのに、何でそんなに泣きそうなんだ?何でそんなに辛そうな……、
「やあっと見つけた!愛しの八左八左八左ー!」
突然聞きなれた声に名前を呼ばれて弾かれるように顔をあげた。声の先を見ようと目の前のナマエの背後に視線を向ける。するとそこにはこちらに向かって勢いよく駆けてくる恋人の姿があった。
「ここに居たのかよー。俺わざわざ裏山の方まで探しに行っちまった……ってうおッ!俺がいる!」
こちらにやって来たナマエは俺の前にいるもう一人のナマエを見てぎょっと目を見開いた。刹那、もう一人の肩が僅かに震える。
だが次の瞬間顔をあげたもう一人は先程の表情が嘘みたいにハッと馬鹿にするように鼻を鳴らして俺たちを見つめた。
「ちぇっ、本物が来てしまったか。つまらないな。暇潰しにからかってやろうと思ったのに」
「あっ、てめぇ三郎!俺の顔してどんな悪戯しやがったんだ!」
「ナマエが来るから失敗してしまったよ。折角ハチの慌てる顔を見てやろうと思ったのに」
そう言うとナマエの顔をした三郎は一瞬で面を雷蔵のものに戻して唇をつり上げる。相変わらずの早業を呆然としながら見つめていると、いつもの姿になった三郎はからかうような視線で俺たちを一瞥するとサッときびすを返した。
「じゃあな。私は雷蔵の所へ行ってくる」
ナマエは相変わらずだなー、と呟いて俺の隣に寄り添う。そのまま振り向きもせず足早に去っていく三郎の背をじっと見つめて絶句した。
なあ、嘘だろ。三郎。お前。
全然笑えてないぞ。
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笑えない話。