次の日、ダンデはバトルタワーの高層階で頭を抱えていた。思い出すのは昨日のことばかりだ。寝ても覚めても頭から離れない。
自分のことが好きなのか?と問うてダンデの両頬を包み込んだナマエはダンデが今まで見たことがないような顔で笑った。ダンデは胸を膨らませて甘やかな期待と共にうたうように答える。
「ああ、オレは、キミのことが好きなんだ」
ダンデのまっすぐな告白を受けたナマエは、肯定も否定もせずに浮かべた笑みをただただ深める。
「本当に、そうなんですね」
柔らかく緩んだ表情にダンデは恋の成就を期待した。ナマエの顔は本当に甘やかで、声は今までにないくらい弾んでいて、明確な喜びがそこにはあった。
ナマエはダンデの頬に添えていた手を離し緩やかに口を開くと、その蜜色の目を見て微笑む。
「それじゃあオレ、明日仕事なんで帰ります。おやすみなさい、ダンデさん。」
「ああ、おやすみだぜナマエ!」
気がついた時にはナマエはその場に居らず、胸いっぱいな気持ちで一連の出来事を振り返っていたダンデはナマエの気持ちを聞いていないことに、後から気がついた。
どうしたらいいんだ?オレはナマエの恋人になれたのか?
大体のことは思い切りよく決断をくだせるダンデだが、こと恋愛においては圧倒的に経験不足だった。普段であったらとにかく実践あるのみだが、今のこれに関しては絶対に失敗したくない。
誰かに相談してみようか。
そんなことを考えてみるが、いかんせんよい相談相手が思いつかない。ダンデの周りには人が多いが、仕事関係の繋がりがほとんどだ。しかも、他人に頼るということにあまり慣れていなかった。生来の器用さで大抵のことはこなせるうえ、道に迷ってもそこは有名なガラルチャンプ。黙っていても周りの方から手を差し伸べられることがほとんどだ。それに、リザードンがいれば道に迷っても大丈夫だった。
バトルのことでは師匠が、チャンピオンとしてのことではローズが助言をくれた。ふたりはダンデが悩みの兆しを見せると、それとなく先回りして導いてくれたものだ。
けれどごく個人的な部分においては、踏み込んでくることのない人たちだった。
ダンデという人は、公人としての社会性はあるが、個人としての振る舞いには、とんと慣れていなかった。彼の立場はいつだって明確だ。チャンピオンとして、大人として、家族として、ひとりのトレーナーとして。
それは彼自身が、周囲の期待と自分自身の望みにちょうどよく折り合いをつけ、同じ方向を向けていたからだ。無理をしているというわけではなく、そうすることがダンデにとって自然なことだった。
けれど、ナマエが関わると途端に立場が曖昧になる。自分がどんな風に在ればいいのか定まらなくなってしまう。こんなことは初めてだった。今まで対峙したどの人だって、これほど何を考えているのか分からないことはなかった。どうすれば望む結果がもたらされるのかも。
とりあえず知り合いを思い出そう!と知っている限りの名前を思い浮かべる。
ローズは既にいない。オリーヴはオレに怒ってるし、ホップ……家族はダメだろ……。キバナは仕事仲間だからな。師匠は遠すぎるだろう。ソニア……うん、ソニアならいいかもしれないぜ!
次の目的が決まれば即行動だ。すぐにリザードンに飛び乗って駅まで行くとブラッシータウンに向かった。事前にロトムで連絡を入れておいたので、駅に着くとすでにソニアが迎えに来てくれていた。
目立ち出す前に「相談ごとなんでしょ!」と足早に研究施設ではなくマグノリア博士の家に案内される。博士達は外出しているようで、ソニアが慣れた手つきで紅茶を入れてくれた。
「で、どうしたの?ダンデくんが相談事なんて、初めてじゃない?」
湯気を立てる紅色で満ちたカップを前に、ソニアが頬杖をついてダンデを見つめる。昔と変わらず面倒見のいい幼馴染に感謝を抱きつつ、ダンデは好きな人に会いに行ったらヒートアップして告白した旨と、明確な返事を貰わずに解散してしまったことを説明した。
「だから、客観的に見てオレは付き合っているといえるのか聞きたいんだが……」
「ちょ、ちょっと待ってよ。突然飲み会?に参加して抜け出したのはいいとして、ダンデくんに自分のこと好き?ってその人が自分で聞いたの?」
「?……ああ!そうだが?」
快活に答えるダンデにソニアは頭を抱える。
ダンデくんのオーラに押されずにそんなこと言ってのけるなんて、その女性はすごく大物だ。でも気になるのが……。
「それで答えを聞いたらサラッと帰っちゃったの?」
「そうだぞ!」というこれまた元気な返事に脱力感が襲う。それって相手にされてるの?からかわれてるんじゃない?余裕たっぷりに男を翻弄する大人の女性を想像して、呆れたような気持ちになる。
「ダンデくんはその人がいいの……?なんか、からかわれてるわけじゃないよね?」
うかがうように返した答えに、ダンデは勢いよく拳を握って身を乗り出した。
「そんなことはない!……はずだぜ!少なくともオレはそう思う。でも、ハッキリ答えを聞かせて欲しいから今日にでも会いに行こうと思うんだが」
「えっ!今日?これから?!」
「ああ、思いついたら即行動だぜ!都合がつかなかったら日を改めるつもりだが」
「これからって…どこで会うつもりなの?プランは決まってるの?」
「いや、特に決めてないぞ」
好きな人、しかもなんとなく脈がなそうな人相手にノープランで挑むなんて無謀すぎる。頭痛がする思いでため息をついたソニアだが、このまま丸腰で行かせるのも忍びない。せっかくダンデくんが自分を頼ってくれたのだから、幼馴染としてできるだけのことはしてあげようと思った。それが無駄に終わったとしても。
「いい?ダンデくん!素敵なデートっていうのはね……」
声を張り上げたソニアにダンデは一瞬驚いて目を丸くしたが、語り出したソニアの言葉を真剣な表情で聞いている。本当にその人のことが好きなんだ、と意外な気持ちになったが、だったらうまくいくといいなと薄い希望を祈りながらソニアは言葉を紡いだ。
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突然のお誘いを受けたと思ったら、まさかこんなところに来ることになるとは。
シュートシティを一望できる観覧車のゴンドラの中から、まるでイルミネーションのように色とりどりの輝きを放つ夜景を見下ろしてナマエはそんなことを思った。
『キミにデートを申し込みたい』
そんな連絡から始まった仕事終わりのランデブーは食事からスタートした。行き先として告げられたのはかの有名な5つ星ホテル、ロンド・ロゼだ。
ナマエの給料じゃ選択肢に上がりもしないハイクラスホテルに、ダンデは気後れすることなく堂々と入っていった。仕事で送迎をしたことは何度かあるが、プライベートで訪れたのは初めてだった。ご馳走するという言葉がなかったら躊躇し倒す金額だ。
出された料理は普段のジャンクな食生活に慣らされた舌には衝撃的な味で、今となってはうまかったという漠然とした感想しか覚えていない。ステーキがあんなに柔らかいなんて、普段食っていたアレはなんだったんだと疑いたくなった。
そんなロンド・ロゼも今や遥か眼下の米粒だ。ゆらりとした微かな揺れとともに天上へ登る箱の中で、ナマエはここへ誘ってきた張本人へ視線を移す。
ホテルの中では堂々とした態度で食事をしていたダンデだが、何故かここへ来ていたく緊張したような面持ちをしている。密室だからなのか、ふたりきりだからだろうか。つい昨日の衝撃的な告白を思い出してナマエは気分が良くなる。緊張しているダンデを見るのが愉快だった。試合でだってこんな表情、見たことがない気がする。
「キレイですけど、せまい空ですね」
張り詰めた空気を緩ませるように、なんでもない話を振ってみる。観覧車には久し振りに乗ったが、こんなにも閉塞感があったものかと意外だった。
「オレはいつもアーマーガアの背中の上ですけど、客用座席の中はこんな感じなのかな」
せまくて、暗い。ここに比べるとオレの職場は最高だ。広くて高くて、遠くて。どれだけ見ていてもちっとも飽きない。
毎日眺めているはずなのに少し雲の流れ、日の傾き、空の色が違うだけでハッとするほどに胸を打たれる。飽きるほど見上げているはずなのに、それでも何度でも美しいと心を揺さぶられるなんて、そう在れと作られたかのような。まるで呪いのようだ。
「空の上ではいつもダンデさんがゴンドラの中でオレは上にいるのに、今は隣同士で……なんか変な感じで……」
すね、と続けようとした言葉は目の前の男の唇に吸い込まれた。いつのまにこちらに来ていたのか。触れるだけのキスをして重なっていた唇がゆっくりと離れる。
やられたな、と思いながら妙に輝く黄金色の瞳を見つめるとダンデさんはきゅっと眉を寄せ、切なそうな表情でこちらを見返した。
「返事を、聞かせてくれないか」
きっと今日のデートの目的はコレなんだろう。メールで聞けば済むことなのに、まるで女性に対するような完璧なエスコート。元チャンピオン様のやることはセオリーの中でも最上級のそれで、隙がない。
オレが黙っているとダンデさんは、合点がいっていないと思ったのか「昨日のことについてだ」と補足を入れた。せっかくなのでそれに乗っかることにする。
「昨日の…?ああ、告白についてですか」
コクリとダンデさんが首を縦に降る。ひとつ、静かに深呼吸をして何かを確かめるように台詞を投げかけた。
「ダンデさんは、オレと付き合いたいですか?キスしたり、セックスしたり。そういうことがしたいです?」
純粋なる疑問を乗せて問いかければ、意外にもダンデさんは悩むことなくスルリと答えた。
「ずっと、したいと思っている」
真剣な眼差しがオレを貫く。瞳はギラギラとあやしい光を放っていた。余裕がなさそうだ。あのガラルチャンピオンが。誰にだって英雄然とした態度を崩さない、空に輝く星のようなこの男が。
ああ、この顔をもっと見ていたい。いや、もっともっとぐしゃぐしゃにしてしまいたい。すましてなんかいられないくらい。徹底的に。オレは星に手を伸ばした。
「じゃあ、付き合おうか。オレたち」
そう答えると素早くダンデさんの顔を両手で掴んで、何か言おうと開いた口に噛み付いた。ぢゅ、と唇に吸い付くとダンデさんの口が応えるように開く。舌を伸ばして口内を愛撫すると、うごめく彼の舌が乞うようにオレのそれに絡んだ。
薄眼を開けてその様子を観察する。興奮しているのか、かかる吐息が酷く熱い。身も世もなく夢中になっている様に、優越感で胸が膨らんだ。
顔を掴む指に藍色の髪が絡む。相手の頭を抱え込むようにして指を這わせると、房に整えられていた髪が無秩序に散った。お互いの息づかいの音が近い。顔を引いて終わろうとすると追いすがられるので、ぐいと頭を引き離して、もう終わりという意味を込めてべろりと唇を舐めた。
物足りなげな勢いを残したままひざまづいたダンデさんがオレを見上げる。興奮のためか、服の上からでもそれが勃ちあがっているのが分かった。
「勃ってる」
感想のように呟くと期待と熱のこもった視線を送られた。
「したい、ナマエ」
チャンピオン様は話が早い。あまりにも余裕をなくした姿に耐えきれず笑みが浮かんだ。
「ダメでーす。しない」
パッと体を離して先ほどとは違う種類のにこやかな笑顔を作ると、ダンデさんはキョトンと目を丸くした。お預けを食らった瞬間のワンパチのようだ。
「だってオレ、男同士とかさすがにやり方知らないし。調べてからじゃないとね」
オレの言葉にダンデさんはポカンとした後でパッと顔を輝かせた。
「ああ!オレも調べるぞ!一緒に調べよう、ナマエ!」
その場でロトムを取り出して調べだしそうな勢いなのを手で制す。残念ながらもうしばらくで終点だ。
残りわずかとなった空からの夜景を眺めるために窓を覗き込む。キラキラと星くずのように輝く街明かりを見つめてから、ふと隣の男に視線を向けた。黄金色の瞳が応えるようにオレを写す。窓の外の星くずよりも、このボックス内の方がよほど輝かしい。一等強い光を放つ一番星が在るのだから。
そしてこの星はもうオレのもの。
オレがくしゃくしゃにした髪もそのままに嬉しそうな笑顔を浮かべるその人に、ぐるぐると欲望のままに渦巻く感情は隠してにっこりと笑ってみせた。